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主日礼拝
時を支配する者となれ(エステル記3-4章)
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English Service: Be the ruler of the time (Esther 3-4) Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要
今年は主の恵みの年、主の復讐の日というビジョンが与えられた。主の恵みの年、主の復讐の日を始めた良い例は、エステル記に記されているが、それを理解するためにモーセの時代へ遡らなくてはならない。
イスラエルの民が、エジプトから約束の地へ旅していた途中、アマレクが襲ってきた。彼らはイスラエルの中の、疲れ、弱っていた人達を狙い撃ちに来た。アマレクの性質を一言で言うなら「弱い者いじめ」である。
主は、そのような者の記憶を、天の下から消し去らなければならない、と命じられた(申命記25:17-19)。
それができるようになった「主の時」は、サウル王の時代に訪れた。主は、彼にそれを命じたが、彼はアマレクの王アガクを惜しみ、実行しなかった。それで彼は、災いの根を後々に残してしまう(1サムエル15章)。
主の時に、主に言われた通りに実行しないなら、後の自分や後の子孫が被る災いを、大きくしてしまうのだ。
時代が降ってエステルの時代、サウルが根絶しなかったアガグの子孫と言われているハマンは、権力を得て、イスラエル民族を皆殺しにしようと企む。彼は、ユダヤ人モルデカイが彼に敬礼しない、という理由で、非常に憤り、モルデカイを殺すだけでは飽き足らず、彼の民・ユダヤ人をも絶滅しようと執念を燃やし、必要経費として、銀1万タラント(1タラントは30〜40キログラム)を出す、とまで言った。ハマンには恐らく、経済的に祝福されているユダヤ人の財産を没収して、私服を肥やそう、という意図も、あったかもしれない。
この時は、ユダヤ人にとっては滅亡のカウントダウンの時間に見えたかもしれないが、人の目に見える時間と、見えない時間がある。私達が見える時間は、政治家、社長、株主など、この世の強者が支配しているが、神は、見えない時間を管理しておられ、神の民に神の時を告げ知らせ、神の経営を実行させるために御言葉を下さる。私達は、その「時間マスター」になるべきである。主のタイミングで主の御旨を実行する時、主の大いなるわざを、その時代にもたらす、「歴史の主人公」となれるが、それを実行しないなら、大きなチャンスをみすみす逃すのみならず、後々の自分や子々孫々へ、大きな災いを残してしまう事になる。
今、私達に与えられている時間を、世が仕組んだ時間としてではなく、主が仕組んだ時間として悟り、管理するべきだ。私達・神の民が、時間を管理し損ねると、その、管理しなかった分の解決すべき問題の山が、管理しなかった人間関係や、勉強時間が、その他もろもろが、こちらを強制的に支配しにかかって来る。
神の時間を自覚せず、自分流の時間をそのまま生きるなら、時間という鞭に追われる「奴隷状態」となってしまうのだ。私達はどうやって自分の人生やこの歴史に、神の時間をスタートさせる「主人公」となれるのか。それは、神の時を見極め、その仕事を「やります」と従順し、神から託された地位や力を用いる時にである。
モルテガイは、ハマンが定めたユダヤ人虐殺の法令を聞いた時、王妃エステルに、王の前に出て直訴するように言った。しかしエステルは、自分は王から30日も召されていない、もし召されないままで行くなら、自分は殺されるかもしれない、と返事した。そこでモルテガイは言った。『あなたがもし、「このような時」に黙っているならば、他の所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、「このような時のため」でなかったと誰が知りましょう」。』(エステル4:14) そう、エステルは、「このような時」のために、神の摂理によって、王妃という地位が与えられていたのだ。主が彼女を通して働き、神の民を救うのみならず、神の民を世界的に偉大にさせる、という、神の「見えない時」を実現させるために。 私達も、神の摂理によって地位が与えられている。
それは一見、つまらない地位に見えるかもしれないし、あるいは逆に、どうしてこんなに高い地位と成功が与えられたのか、分からないかもしれない。しかしそれは、神の時の歯車が噛み合って、御心が実行に移されるために、神が入念に準備しておられたからだ。 それにもかかわらず、与えられている地位や富に安住し、主が「その時」のために整えられておられた使命を全うするのを拒むなら、モルデカイが言った通り、本人も、本人自身の家も、滅びてしまう。神は全ての人に、時と機会を備える(伝道者の書9:11)。神の定めた「時」と「機会」に乗り、その使命を果たす人が、主の御旨を遂行する事に用いられ、勝ち取って行くのだ。
エステルが、自分がたとえ死ぬとしても、王の元に行きます、と引き受けた時、ペルシャの歴史が「主の恵みの年」へと変化した。主は、エステルが命がけで御旨を遂行しようとした決心を受け取り、神の民に栄誉を与える方向へと、歴史に手を加え始める。 与えられた地位を用いて主の御旨を行う決心をし、主の恵みの年、主の復讐の日を開始して行く皆さまでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
悪人をすべりやすい所に置き、義人を堅い所に立たせて下さる主(エステル5:9-14)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2022-1-18 6:41
悪人をすべりやすい所に置き、義人を堅い所に立たせて下さる主(エステル5:9-14)
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主日礼拝
主の恵みの年、主の復讐の日(イザヤ61章)
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English Service: The acceptable year of the Lord(Luk4:18-21) Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要
今年初めに、ルカ4:16-21とイザヤ61章の御言葉が与えられ、「主の恵みの年、主の復讐の日」を実現させる年というビジョンが与えられた。「恵み(デクトス)」とは「快く受け入れられる」「気に入る」「歓迎される」という意味で、すなわち、主から最高に歓迎される年である。 そして「復讐」とは、ルカ4:18にある通り、貧しさや奴隷状態、傷、盲目状態、虐げられてきた日々に対する復讐である。 エジプトを脱出した民は400年も奴隷として搾取されて来たが、彼らは主にあって、きっちり分捕り返した上で脱出した。同じように私達も、悪魔サタンに分捕られて来た分は、キッチリとイエス様にあって搾り取った上で(最低でも倍返し:イザヤ61:7)、以前の状態から脱出し、この年を、「主の恵みの年」として塗り替え行くのだ。
そうなるためには、ルカ4:21の、「今日は、この御言葉が、あなたの耳の中で成就した日です」という宣言は、自分に成就したもの、として、受け入れる必要があった。貧しく、奴隷で、傷を受け、盲目で、虐げられた日々は、もうイエス様が十字架の上で「完了」させて下さった、という真理を信じ、受け入れ、その前提で歩んで行くなら、主の恵みの年・復讐の日が始動し、実体化されていくのだ。 こうして「恵みの年」が始まると、私達はどのような働き人となるのか。それはイザヤ61:3以降に記されている。
すなわち、シオン(神の民)の悲しむ者達に、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせる働き(3a)、すなわち、神の民に慰めをもたらす働きである。
『彼らは義の樫の木と唱えられ、主がその栄光を表すために植えられた者と唱えられる。』(3b) 樫の木と訳された語「アイル」は「力」「強さ」「長」をあらわす。つまりその人は、強く垣根を超えていく枝となるのだ。
その人は、昔の廃墟を建て直し、先の荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する(4節)。
この国はかつて、福音が伝来した時は大いに広がり、信者が爆発的に増えて行ったが、当時の権力に迫害され、散らされてしまった。そのような、昔の廃墟を立て直し、復興させる働きを、今、起こすのだ。
『外国人は立ってあなた方の群れを飼い、異邦人はあなた方の畑を耕す者となり、ぶどうを作る者となる。しかし、あなた方は主の祭司(コーエン)と唱えられ、我々の神の役者と呼ばれ、諸々の国の富を食べ、彼らの宝を得て喜ぶ。』(5-6節)。コーエンというヘブライ語は、祭司長、あるいは人々の長を意味する。私達が「コーエン」となって、神と人との間に立って取りなし、御言葉を教え、人々はそんな私達を補助するのだ。
そして主の復讐の日が始まる故に、『先に受けた恥にかえて二倍の賜物を受け、辱めにかえてその嗣業を得て楽しむ。それ故、あなた方はその地にあって、二倍の賜物を獲、とこしえの喜びを得る。』(7節)。
これは、とても素晴らしい祝福だが、このような祝福が与えられたからと言って、欲を出したり、高慢になったりしないように、今からよく気をつけるべきである。イスラエルの王達の多くは、若い内は純粋に主に従った故に、祝福され、富と力を得るのだが、それによって高慢になり、罪を犯して、祝福が去ってしまった、というパターンばかりだった。私達はその例にならわないよう、祝福された将来の自分がそうならないよう、今からよくよくシュミレーションするべきである。次のように注意されているからだ。『主なるわたしは公平を愛し、強奪と邪悪を憎み、真実をもって彼らに報いを与え、彼らと、とこしえの契約を結ぶからである。』(8節)
このようにするなら、子々孫々が、主にあって栄光の次世代に、栄光のリーダーへとなって行く。『彼らの子孫は、諸々の国の中で知られ、彼らの子らは、諸々の民の中に知られる。全てこれを見る者は、これが主の祝福された民である事を認める。』(9節) 私達には、このビジョンが与えられている。御言葉教育をする幼稚園や学校を建て、テフィリン教育を施し、そうして若者たちを、ユダヤ人以上の天才に育て上げ、次世代のリーダーとし、国々が主の栄光を見て、イエス・キリストの福音の傘下を歩むようにして行く・・・。それが今、コーエン大学で養われた働き人達を中心に、世界中で起きている、テフィリンのムーブメントである。
主は、人のいないのを、うめいておられる。とりなす人や、主のうめきを察知して主の働きをする人がいないのを。私達は、神と人との間に立つ「コーエン」となって、人々のために取りなし、また、この時代に神の国を建て上げていく働き人となって、主の恵みの年を実現していくのだ。そのようなビジョンをもって、主のために意欲的に働く人に、主は、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださる(10節)。今年、全ての国に、主の義と、賛美を芽生えさせる働きをはじめ、主の恵みの年々、主の復讐の日々を開始して行く皆さまでありますように!
神の求めるものを固く守ろうとする者に、神が「与える(ナタン)」もの(ダニエル1章)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2022-1-12 15:52