メッセージ - 最新エントリー

 金曜徹夜祈祷会

感謝せずにむさぼり食べる者の行く末(民数記11章)

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 ホセア書 講解説教 水曜夕礼拝

姦淫をやめさせるための3つの「それゆえ」(ホセア2:1-15)

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 エゼキエル書 講解説教 水曜昼礼拝

鉄面皮を粉々に砕くダイヤモンド・ヘッドが与えられるために(エゼキエル2:1-3:15)

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他の引用箇所:
黙示録4:1-2
黙示録10:8-11
2テモテ4:1-5
 

早天礼拝

「しもべ」を通してご自身をあらわしてくださるイエス(使徒10:24-33)

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詩篇 講解説教

好んで悪に加担する者達に殺されそうになった時にダビデが宣言した祈り(詩篇59篇)

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詩篇59篇表題「聖歌隊の指揮者によって、「滅ぼすな」というしらべにあわせてうたわせたダビデのミクタムの歌。これはサウルがダビデを殺そうとして人をつかわし、その家をうかがわせたときダビデのよんだもの」
 
この時の状況は、1サムエル記19章11節以降に記されている。
ダビデはサウルの元で仕え、戦争の時は千人隊長として真っ先に敵陣に突入して勝利をもたらし、平時はサウルの元で立琴を弾いていたが、サウルは妬みにかられ、悪霊に憑かれて、ダビデに槍を投げた。
ダビデは槍を逃れて、妻ミカルがいる家に逃げ帰ったが、サウルは使者をその家に遣わし、夜があけたらダビデを殺そうとしていた、まさにその夜の状況を、ダビデは詩篇に編纂し、後にダビデが王になった時、聖歌隊にこれを歌わせ、主を賛美した。
 
詩篇の順番は、時系列ではなく、内容順にまとめられており、特に51篇以降、ダビデが「自分自身の罪」という敵に、あるいはサウルやペリシテ人など、あらゆる外的な敵によって苦しめられた時、それらに対し、いかに主と共に克服して行ったかが記されている。
ダビデが危機に陥る都度、彼は主を叫び求め、祈り、そうして心の平安と、そして実際的な助けを得て行った。
これらの詩篇は、全て私たち主の民に対するメッセージであり、私たちも危機的状況に陥った時、どのような祈りをすればよいか、また、主はどのような危機から解決して下さるかを、知る事が出来る。
 
59:1 わが神よ、どうかわたしをわが敵から助け出し、わたしに逆らって起りたつ者からお守りください。
59:2 悪を行う者からわたしを助け出し、血を流す人からわたしをお救いください。
 
わが神(エロハイ)の呼びかけによって、この詩が始まる。
いのちを付け狙う者が目の前にせまっていて、今にも殺されそうな時、ダビデは神を「わが」と呼び、神は自分のもの、と宣言した。
 
私たちもこれを習うべきである。
神は、すべてより頼む者を助けて下さる。
神は、私たちと関係無き存在ではなく、私たちと関係される存在、そして、私の拠り所、と宣言するなら、主が本当に直接関わって下さる。
 
59:3 見よ、彼らはひそみかくれて、わたしの命をうかがい、力ある人々が共に集まってわたしを攻めます。主よ、わたしにとがも罪もなく、
59:4 わたしにあやまちもないのに、彼らは走りまわって備えをします。わたしを助けるために目をさまして、ごらんください。
 
ダビデがいのちを付け狙う者達に囲まれているのは、ダビデが悪い事をしたからではなかった。
彼はただ、サウル王の元で、神と、神の民イスラエルに、純粋に仕えていただけだった。
しかしサウルは、ダビデの活躍をねたみ、ダビデは命を狙われる事になってしまった。
 
そこでダビデは、主に、「目」を用いて、この状況を見てください、と願い求めた。
正しい事が行われていない現状です、自分は殺される事などしていないのに、不当にも命が奪われようとしています、と。
私たちも、主に願い求めるのだ。
主よ、どうか今のこの状況をご覧になって下さい!と。
 
59:5 万軍の神、主よ、あなたはイスラエルの神です。目をさまして、もろもろの国民を罰し、悪をたくらむ者どもに、あわれみを施さないでください。〔セラ
 
「もろもろの国々」と訳された語「ゴイーム」は、群生する獣やいなごが元々の意味で、特に、主を知らない異邦の者達のことをいう。
敢えて好き好んで、悪に加担する者達を罰してください、とダビデは主に願う。
その者達が、以下の意図をもって悪を行っているからだ。
 
59:6 彼らは夕ごとに帰ってきて、犬のようにほえて町をあさりまわる。
59:7 見よ、彼らはその口をもってほえ叫び、そのくちびるをもってうなり、「だれが聞くものか」と言う。
 
彼らは、口で(言葉で)、多くの罪を犯しているのだ。
「だれが聞くものか」。
これは、「神はいない」という人生観で、誰も見ていない所では、どんな悪い事を犯してもいい、と思い込んでいる人々だ。
そのような者達には、主が生きておられる事、主は決して嘲られるお方ではない、という事を、知るべきだ。
そのために、ダビデは以下のように祈る。
 
59:8 しかし、主よ、あなたは彼らを笑い、もろもろの国民(ゴイーム)をあざけり笑われる。
59:9 わが力よ、わたしはあなたにむかってほめ歌います。神よ、あなたはわたしの高きやぐらです。
59:10 わが神はそのいつくしみをもって/わたしを迎えられる。わが神はわたしに敵の敗北を見させられる。
 
ダビデは宣言した。
自分は、彼らが軽んじた主が「わが」力である、そして主は、主をないとする者達(ゴイーム)をあざける、と。
さらに主は、ダビデを襲う者達の敗北を見させて下さると。
なぜなら彼らは、何も悪い事をしていないダビデを、不当に追い回し、いのちを奪おうとしており、対してダビデは、主が「わが神、わが避けどころ」と宣言した。主の軍配は、確実に、ダビデに上がるのだ。
 
59:11 どうぞ、わが民の忘れることのないために、彼らを殺さないでください。主、われらの盾よ、み力をもって彼らをよろめかせ、彼らを倒れさせないでください。
59:12 彼らの口の罪、そのくちびるの言葉のために/彼らをその高ぶりに捕われさせてください。彼らが語るのろいと偽りのために
59:13 憤りをもって彼らを滅ぼし、もはやながらえることのないまでに、彼らを滅ぼしてください。そうすれば地のはてまで、人々は神がヤコブを治められることを/知るに至るでしょう。〔セラ
 
彼らのように、悪辣な事を平気でする者達が、あまりにも速やかに滅びるとするなら、人々は、すぐに忘れてしまうため、むしろ人々が忘れないように、敢えて彼らが長くさまようようになって、人々がそれを見る時、「確かに悪者はこうなるのだ」「主は確かに生きておられる」と、知るように、とダビデは願った。
義であられる主は、主に逆らって悪を行う者達に、災いを降す事によっても、栄光をお受けになるのだ。
 
59:14 彼らは夕ごとに帰ってきて、犬のようにほえて町をあさりまわる。
59:15 彼らは食い物のためにあるきまわり、飽くことを得なければ怒りうなる。
 
「うなる」と訳された語の元の意味は「とどまる」「ずっとそこにいる」事をあらわしている。
ダビデを狙っていた者は、その晩、一晩中ずっとダビデの家の外で待ち伏せ、夜が明けたらダビデを捕縛して殺そうとしていた。
しかし、ミカルがダビデを窓から吊り降ろして助けてくれたので、ダビデは主の守りの内に逃げる事が出来た。
 
59:16 しかし、わたしはあなたのみ力をうたい、朝には声をあげてみいつくしみを歌います。あなたはわたしの悩みの日にわが高きやぐらとなり、わたしの避け所となられたからです。
59:17 わが力よ、わたしはあなたにむかってほめうたいます。神よ、あなたはわが高きやぐら、わたしにいつくしみを賜わる神であられるからです。
 
彼は最後、主への喜びの賛美でこの詩を閉じる。
どんなに敵が夕に攻めて来て、一晩中、犬のようにうろつきまわっても、朝には主の守りと平安が来るからだ。
彼は主をやぐらとし、助けとした。
そのような人に対し、主はどのように扱って下さるか。
詩篇91篇に記されている。
 
91:1 いと高き者のもとにある/隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
91:7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
91:8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
91:9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
91:10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
91:11 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で/あなたを守らせられるからである。
91:12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。
91:13 あなたはししと、まむしとを踏み、若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。
91:14 彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
91:15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。
91:16 わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。

主日礼拝

「変異型ソロモン」が書いた書の読み解き方(伝道者の書9:9-16)

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週報/メッセージ(説教)概要

 伝道者の書は、世界で最も知恵に恵まれたソロモンが書いた書だが、彼が行きついた境地は「全てがむなしい」だった。ソロモンは、若い時、素晴らしい信仰を保っていたため、神は彼を祝福したが、富と名声が増し加わるにつれ、彼は多くの妻を囲い、異邦の女達にたぶらかされ、偶像の宮を建てるようになり、主から二度も戒めを受けたのに聞かなかった。それで彼の後半人生は、ただ「むなしさ」で満ちるようになった。
 その堕落後のソロモンが書いた伝道者の書は、主を知らない人達には、非常に共感できる書である。
イエス様抜きで知恵を積み上げた人間が行き着く、究極の境地は、「全ては空」であり、これが、世の宗教・哲学の究極思想である。それとは違って、イエス様を信じ、御言葉に従って歩み続け、天国行きが約束されている私達・信仰者は、どう「虚しさ」を打ち破るか。この伝道者の書から、逆説的に恵みを頂きたい。
 
 『全てあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。』(9:10) ソロモンは他人も陰府に行く事前提で書いているが、私達はここにアーメンしてはならない。私達信仰者が行く先は「陰府」ではなく、パラダイスだから。確かに聖書は、伝道者の書も含め、全て真理である。しかし、御言葉を正しく守り行っている信仰者には呪いの言葉は当てはまらないように、御言葉の全てが、私達に当てはまる訳ではない。もし、聖書で伝道者の書が一番共感できる、という人がいるなら、その人は陰府に行く事を前提に生きており、天国が実感できない人だ。その人はむしろ、イエス様が示された十字架の愛と贖い、福音の恵みにこそ心を向け、それを感謝して受け入れるべきである。
 私達は、正しく歩んでいた時の「信仰者ソロモン」が書いた箴言と、神から離れた「変異型ソロモン」が書いた伝道者の書とで、対応の仕方を変える必要がある。だから10節は、次のように読み替えたほうが良い。
 「全て、あなたの手のなしうる事は、イエス様の知恵と力でしなさい。あなたが行く天国は、死も、涙も、夜も、呪われるべきものは何一つなく、ただ、神の栄光と感謝と賛美で満ちた永遠の住まいだからである。」
 私達はイエス様にあって、いかなる立場であるか、聖書の他の箇所に即して、自分に当てはめるべきだ。
  11節では、強い者が必ずしも勝つ訳ではなく賢い人が必ず得るというのでもない事を論じているが、ソロモンはそれは「時と機会」、つまり「偶然」による、とした。彼の思考からは、一切、神が抜けてしまっている。
 『人はその時を知らない。魚がわざわいの網にかかり、鳥がわなにかかるように、人の子らもわざわいの時が突然彼らに臨む時、それにかかるのである。』(12節) 神を認めたくない人は、全ての事象を偶然の産物にする。生きものの存在も、自分の存在さえも。彼らは、自分の力を根拠に生きるため、自分が構築した基盤がいつ「偶然に」壊れるか分からず、いつも漠然とした不安を抱えている。しかし聖書は言う。全能なる神、愛なる神は、人を愛し、いつも最善の時に最善のものを与えようと、量っておられる。
  さらに13節以降に、ソロモンが心に留めた出来事を書いている。ある小さい町に、大王が攻めて来て、町が今にも滅ぼされそうな時、一人の貧しい人が知恵を用いて町を救った。しかし誰一人、その貧しい人を記憶する人がなかった。何と報われない事だろう、人が望むもの(お金、才能、美貌など)が乏しい人は、知恵を持っていても無駄なのだ、と。人は結局、豊かか貧しいかによって全て決まってしまうのだろうか?
私達は、「変異型ソロモン」の言葉を、そのまま自分に適用してはならず、イエス様にあって、他の御言葉を自分に適用しなくてはならない。ソロモンは、貧しい人は報われないかのように言ったが、イエス様は、金持ち達が捧げた大金には目を留めず、一人の貧しいやもめが捧げた2レプタに目を留められた。主は全ての人をご覧になり、彼女が全てを捧げるほど主を愛し、主に信頼していた事をご存知だった。
 ソロモンは、知恵があっても、貧しい人がした事は、誰も心に留めてくれない、と判定したが、主は敢えて、誰も心に留めてくれない貧しい道を歩まれた(イザヤ53章)。『主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。』(2コリント8:9)
 人々に称賛されたり、お金持ちになって美味しいものや異性で楽しむ事が全てだという「変異型ソロモン」タイプの人には、決して理解できないが、イエス様は神であられる立ち位置を捨て、貧しくなられ、実に、十字架の身代わりの死を通して、私達を買い戻し、罪と死から解放して下さった。これは偉大な事であって、決して虚しい事ではない。私達は忘れてはならない。たとえどんなに貧しく、世の最高知恵者が「むなしい」「報われない」と評価した所で、全ての人に知恵と権威を授けられるお方・イエス様の十字架の贖いによって、私達は神の子とされ、将来も全ての必要も保証され、そして永遠の天国が保証されているのだ!
 

 

詩篇 講解説教
あえて真理に耳をふさぎ、喜んで悪に同意し偽りを選択する者に対しての祈り方(詩篇58篇)
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詩篇58篇表題「聖歌隊の指揮者によって、「滅ぼすな」というしらべにあわせてうたわせたダビデのミクタムの歌」
 
この詩篇には、敢えて不正を好み悪魔サタンに同意するような者に対して、どう祈るべきかが記されている。
 
詩篇58:1 あなたがた力ある者よ、まことにあなたがたは正しい事を語り、公平をもって人の子らをさばくのか。
 
「あなたがた力ある者」と訳された所の原文は「あなたがた、もの言わぬ者」である。
すなわち、さばきの座で、あえて正しい事や公平な事には口を閉ざす者の事である。
 
箴言31章に書いてある。
箴言31:8 あなたは黙っている人のために、すべてのみなしごの訴えのために、口を開くがよい。
31:9 口を開いて、正しいさばきを行い、貧しい者と乏しい者の訴えをただせ。
 
さばく立場において、私たちの口は、御言葉に基づいて、弱い立場の人が守られるように、ただしいさばきを宣告するために、大いに開くべきである。
それなのに彼らは、敢えて口を閉ざすのだ。
 
正しい事に対し、口を閉ざす彼らは、果たして公平なさばきが出来るのだろうか。「否」である。
 
詩篇58:2 否、あなたがたは心のうちに悪い事をたくらみ、その手は地に暴虐を行う。
58:3 悪しき者は胎を出た時から、そむき去り、生れ出た時から、あやまちを犯し、偽りを語る。
 
「暴虐を行う」と訳された語・パーラスは、均一化する、平たくする事の意味である。
彼らは、悪やうそを標準化しようと敢えてたくらんでいる。
もし彼らが御言葉を聞き、叱責を聞いて悔い改めるなら、救われるのだが、残念ながら、彼らはそうではなく、母の胎内にいる時から既に「うそ」で塗り固めていた者だという証明が、4節以降で為されている。
 
詩篇58:4 彼らはへびの毒のような毒をもち、魔法使または巧みに呪文を唱える者の声を聞かない/耳をふさぐ耳しいのまむしのようである。
 
まむしや蛇には、手足が無い、はずなのに、その無い手足を使ってでも、御言葉や叱責を聞く耳を塞ごうと、敢えてするのだ。
彼らは神の言葉も人からの叱責も、意図して、聞かないのである。
 
このように、意図して真理を受け付けない者のために祈る祈りが、6-9節である。
 
詩篇58:6 神よ、彼らの口の歯を折ってください。主よ、若いししのきばを抜き砕いてください。
58:7 彼らを流れゆく水のように消え去らせ、踏み倒される若草のように衰えさせてください。
58:8 また溶けてどろどろになるかたつむりのように、時ならず生れた日を見ぬ子のようにしてください。
 
歯や牙は、食べ物を食べるためについてるものだが、そのために用いるのではなく、あえて、人を害するために用いる。
そのような歯や牙は、主が折って下さいますように、と、祈るべきなのだ。
人をあえて傷つけるために込める矢、人を傷つける事において長けた舌という矢を、心の中に蓄えているとするなら、それらは全部へし折って下さい、彼らは水のように流れ去らせ、消え去らせて下さい、元々存在しなかった者のようにしてください、と祈るのだ。
 
詩篇58:9 あなたがたの釜がまだいばらの熱を感じない前に/青いのも、燃えているのも共につむじ風に/吹き払われるように彼らを吹き払ってください。
 
当時は、よく燃えるいばらを着火剤にしてたきぎに火をつけ、釜の中の青物や生物を煮ていたが、ここでは、悪人が悪を計画し、準備し、実行し、悪のうまいものを得るという全工程を、料理の工程にたとえている。
悪人が悪のうまいものを料理しようと、準備し、その着火剤に火をつけたその瞬間に、主が釜も、いばらも、中身の具材も、全部一式、つむじ風で吹き飛ばして下さい、と祈るのだ。
まさに箴言1章後半に書いてある。
 
箴言1:22 「思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで/思慮のないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけり楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
1:23 わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。
1:24 わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、顧みる者はなく、
1:25 かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨て、わたしの戒めを受けなかったので、
1:26 わたしもまた、あなたがたが災にあう時に、笑い、あなたがたが恐慌にあう時、あざけるであろう。
1:27 これは恐慌が、あらしのようにあなたがたに臨み、災が、つむじ風のように臨み、悩みと悲しみとが、あなたがたに臨む時である。
1:28 その時、彼らはわたしを呼ぶであろう、しかし、わたしは答えない。ひたすら、わたしを求めるであろう、しかし、わたしに会えない。
1:29 彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、
1:30 わたしの勧めに従わず、すべての戒めを軽んじたゆえ、
1:31 自分の行いの実を食らい、自分の計りごとに飽きる。
1:32 思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす。
1:33 しかし、わたしに聞き従う者は安らかに住まい、災に会う恐れもなく、安全である」。
 
彼らが災いに遭った理由は、悔い改めを促す言葉をかけられても、敢えて耳をふさぎ、無視し、その言葉をあなどったからだ。
意図して真理を憎み、主のいましめを軽んじる者には、恐怖があらしのように臨み、災がつむじ風のように臨み、悩みと悲しみとに覆われて、いっぱいいっぱいになる。
彼らは、自分自身が蒔いた種の実を食らうのだ。
 
イエス様は、敵を愛し、迫害する者のために祈れ、と言われた。
しかし、悪い者の悪辣さが祝福されるように祈れ、とは言っていないし、うそつきのうそが成功して不正が成功するように祈りなさい、とも言っていない。
 
もし、私達に害をなしたり迫害する者が、「知らないで」それを行っていて、無知ゆえに、自分に滅びを招くわざをしているとするなら、祈るべきだ。
何が主に喜ばれる事で、何が主に喜ばれない事なのかを知り、また、何が主の前で良い事で何が悪い事であるのかを知って、その呪いを招くわざを止め、祝福の歩みに入るように、と。
しかし、悔い改めの勧めや、叱責の言葉、矯正の知恵を教えても、あえて耳をふさぎ、敢えて悪を選択し、その悪の道を貫くような者に対しては、彼の牙が折られ、その悪のわざがもはや出来ないようにと、祈るべきなのだ。
 
詩篇58:10 正しい者は復讐を見て喜び、その足を悪しき者の血で洗うであろう。
58:11 そして人々は言うであろう、「まことに正しい者には報いがある。まことに地にさばきを行われる神がある」と。
 
ここの報いの原語ペリーは、「実を結ぶ」ことである。
正しい者は、正しさの故に結ぶ実を食べる事が出来、しかし悪を行う者は、悪の故の実を食らう。
これは一貫して流れている真実である。

主日礼拝
レムエルの母より、王たるわが子へのメッセージ(箴言31:1-9)
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週報/メッセージ(説教)概要

 

 本日の箇所には、マサの王の母が、息子レムエルへ贈った言葉が記されている。母は子が正しい道を歩んで欲しいと願い、色々な言葉を残すが、特にここでは、子が「王」として正しく歩むためにどうすべきか、格別な愛情と共にアドバイスをしている。私達もキリストにあって「王なる祭司」とされている。(1ペテロ2:9)
 私たちはどのようにして、王として正しく与えられている場を支配し、治め、また祭司として正しく務めをなし、人々を執り成す事ができるだろう。母の日である今日、レムエルの母からアドバイスを頂きたい。
 
 『わが子よ、何を言おうか。わが胎の子よ、何を言おうか。私が願をかけて得た子よ、何をいおうか』(2節) 
この言葉に、論理的な意味は見いだせないかもしれないが、彼女が主に願をかけて生んだ子・レムエルへの深い愛情と、うめきに溢れている。願いに願って与えられた子よ、王たるあなたが、道を踏み外さぬよう、また、王として正しく治める者となるように、何を言おうか・・・。その、考え抜いて出た言葉が、3節である。
 『与えるな(置くな)、あなたの力(、富、権力)を、女達に。あなたの道を、王たちを摩耗・消滅させる者へ(与えるな)』(3節直訳) 女性は、男性にとって魅力的で、夢中にさせる存在だが、ここの「女」は複数形なので、5章でも示されている通り、神を知らない「異邦の女達」の事だろう。妻に対してはむしろ、「若い時の妻と喜び楽しめ、いつも彼女の愛に夢中になれ」と書いてある。しかし妻といえど、神の言葉より優先してはならない。神の言葉より妻の言葉を優先させた結果、アダムとエバはエデンから追い出されてしまった。
 だから男性に限らず、女性も、夢中になりそうな異性や、溺愛しそうな相手には、気をつけるべきである。
本来、自分が保護者として養い守るべき相手に、力や富や権力をあずけ切って生殺与奪の権を与えてしまうと、神の国の秩序が脅かされてしまう。私達は、主従関係をはっきりさせ、御言葉を第一優先すべきだ。
 
 4-7節はさらに、夢中にさせるものに対する警告が記されている。『レムエルよ、酒を飲むのは、王のする事ではない、王のする事ではない、濃い酒(シェカール)を求めるのは君たる者のする事ではない。』(4節)
 シェカールは元々、うきうきさせるもの、夢中にさせ中毒性をもたらすのの意味である。今、私たちは、神の国とは関係が無い、そして、自分の意思で止める事が難しい、夢中にさせる何かがあるだろうか。レムエルの母は言う。その「シェカール」を求めるのは、王たる者のする事ではない、と。
 5節では、王は勅令を定め(ハカク:文字を彫り込む事)、悩む人を正しくさばくいて幸せへと導くべきものである事が書いてあるが、酒は勅令を忘れさせ、さばきを曲げてしまう。私たちは日々、御言葉を宣言して心に刻み、学ぶべきことを脳に彫り込み、正しくさばくべきである。そういった本来しなくてはならない事から離れさせたり、取り組まなければならない勉強や仕事を、かったるく思わせたりするものが、酒である。
 レムエルの母は、繰り返す。 酒を飲むのは、王のすることではない、王のすることではない、と。
 祭司も、シェカールの類を取るべきではない。レビ記10章には、大祭司の息子達が至聖所にむやみに入って焼き殺された事件があり、そのすぐ直後、祭司たるものは務めに入る時、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない、という命令が定められた。酒に酔ったまま、聖なる所に入るなど、もっての他なのだ。
 私たちは、ぼんやりさせ現実を忘れさせるものに、かかずりあってはならない。すべき事は、王なる祭司として、御言葉の勅令を定め、御言葉によって正しく物事をさばき、迷える人々に道を開かせていく事である。
 
 『あなたは黙っている人のために、すべてのみなしごの訴えのために、口を開くがよい。口を開いて、正しいさばきを行い、貧しい者と乏しい者の訴えをただせ。』(8-9節) 王たるものは、苦しんでいる人々のために積極的に口を開き、悪がはびこらないよう、正しくさばくべきであると命じている。その、正しいさばきが出来るための知恵は、御言葉に養われる事によって、である。
 母はいつも思う。子には良いものをあげたい、と。しかし、子が求めるものは何でも無条件に与えるものではない。おりにかなった御言葉を与え、時宜にかなったものをあげることによって、子は、正しく育っていく。
 レムエルの母は、おりにかなった正しいことばで息子を養った。そして偉大な王になっていくために必要なものが、御言葉である。御言葉によって養われ、また御言葉によって子を正しく育て上げ、立派な王として成長して行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

早天礼拝
ほら穴の中で信仰をもって宣言した通りになって行ったダビデ(詩篇57篇)
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詩篇57篇表題「聖歌隊の指揮者によって、「滅ぼすな」というしらべにあわせてうたわせたダビデのミクタムの歌。これはダビデが洞にはいってサウルの手をのがれたときによんだもの」
 
この詩篇57篇が創られたのは、おそらく1サムエル記22章にてダビデがアドラムのほら穴にいた時、あるいは、24章でエン・ゲディのほら穴にいた時であろう。
アドラムもエン・ゲディも、ともに死海の西側、洞窟が多い荒涼とした岩砂漠地帯である。
前回56章は、ダビデがペリシテ人に囲まれて気が違ったふりをして、散々な思いで逃れて来た状況だったが、そのすぐ後、彼はたった一人、アドラムのほら穴にいた。
しかし彼は、一人ではかった。彼の信頼する主がそばにおられ、彼はその主を呼び求める。
 
57:1 神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。滅びのあらしの過ぎ去るまでは/あなたの翼の陰をわたしの避け所とします。
57:2 わたしはいと高き神に呼ばわります。わたしのためにすべての事をなしとげられる神に/呼ばわります。
 
どこにも助けが無い、どこにも居場所が無い、そんな状態で彼にできた事は、ただ主に向かって助けを求めるだけだった。
ちょうど鳩が、敵を逃れて岩の隙間に隠れ、ただうめき鳴いているように。
それは拾は、最も幸いな事である。
主を呼び、主に助けを求める者に、主は平安と確信とを送られる。
 
57:3 神は天から送ってわたしを救い、わたしを踏みつける者をはずかしめられます。〔セラ/すなわち神はそのいつくしみとまこととを/送られるのです。
 
ここにセラが、すなわち、モードチェンジの指示がある。
1-2節では、ダビデはただ主に向かってうめくだけだったが、彼はそれによって主が平安と確信を得て、敵に対する報復を宣言する。
 
57:4 わたしは人の子らをむさぼり食らうししの中に/横たわっています。彼らの歯はほこ、また矢、彼らの舌は鋭いつるぎです。
 
4節で「横たわっています」はヘブライ語でシャーカブ、「休む」「寝る」の意味がある。
彼は、ライオンのような敵に囲まれていても、休みが与えられたのだ。
 
57:5 神よ、みずからを天よりも高くし、みさかえを全地の上にあげてください。
57:6 彼らはわたしの足を捕えようと網を設けました。わたしの魂はうなだれました。彼らはわたしの前に穴を掘りました。しかし彼らはみずからその中に陥ったのです。〔セラ
 
ダビデは宣言した。わなをもって捕らえようとする者は、自ら、その罠にかかる、と。
それは真理であり、法則である。箴言にも記されている。
 
箴言1:15 わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。
1:16 彼らの足は悪に走り、血を流すことに速いからだ。
1:17 すべて鳥の目の前で/網を張るのは、むだである。
1:18 彼らは自分の血を待ち伏せし、自分の命を伏してねらうのだ。
1:19 すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである。これはその持ち主の命を取り去るのだ。
 
もし、罠で捕らえようとする者がいるなら、私達も宣言するのである。
わなをもって捕らえようとする者は、自ら、その罠にかかる、と。
なぜならそれは、真理だから。
 
57:7 神よ、わたしの心は定まりました。わたしの心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます。
 
「定まる」のヘブライ語は、クーン。奮い立つ、あるいは揺るがない様を表す。
彼は主にあって、心が定まった。
 
57:8 わが魂よ、さめよ。立琴よ、琴よ、さめよ。わたしはしののめを呼びさまします。
 
立琴や琴は、元々、ダビデが得意とする賛美の道具であった。
彼はそれまで久しく追われていたため、賛美どころではなかったが、彼は奮い立ったゆえに、賛美を呼び覚まし、あけぼのを呼び覚まそうとした。
なんという復帰力だろうか。
その源泉は、鳩のように主に助けを求める所にある。
 
ダビデは、闇夜の状況に、あけぼのを呼び覚ます。
わが「魂」と訳された原語はカヴォド、元々の意味は肝臓で、肝臓は最も重い臓器である事から「重さ」を表し、また「栄光」を表すため、KJVでは「My glory」と訳されている。
ダビデは、すぐ前はペリシテ人の前で気違いを装い、栄光が地に落ちたかのようであったが、彼は、ほら穴の中で主に呼び求め、主にあって奮い立ち、どん底に落ち込んでしまった彼の栄光に向かって「さめよ」と宣言した。
実際彼は、その後、栄光を回復して行く。
 
57:9 主よ、わたしはもろもろの民の中であなたに感謝し、もろもろの国の中であなたをほめたたえます。
 
ダビデは、アドラムのほら穴にいた時、たった一人だった。
にもかかわらず、彼は「もろもろの国」を見据え、国々の間で主をほめたたえる、と宣言している。
 
事実、彼が宣言したとおりに、彼はその後、彼の敵は打ち負かされ、サウルに代わって王となり、聖歌隊を編成し、ダビデ自身が作った詩篇を歌わせ、そして多くの国々を占領し、主の栄光をあまねく告げ知らせて行った。
いかに一人ぼっちで、ほら穴に逃げ隠れしていたとしても、主を拠り所とし、主を信頼して、御言葉を宣言するなら、その宣言したとおりになるのである。
 
57:10 あなたのいつくしみは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及びます。
57:11 神よ、みずからを天よりも高くし、みさかえを全地の上にあげてください。
 
最初は嘆きで始まったが、最後は賛美で終わる。
彼が主にあって確信を得たからだ。
まさに詩篇23篇で彼が記した通りである。
 
詩篇23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
23:6 わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
 
ダビデはこの後、彼の元に次々と人々が集まって来るようになり、600人の人々の頭領となった。
その彼らがエン・ゲディのほら穴にいた時、ダビデのいのちをつけ狙って来たサウル王は、ダビデのいたほら穴に、自分から一人で来て、彼の無防備な様を、ダビデ達の前にさらした。
主がダビデの手に、敵であるサウル王を渡して下さったのだ。
 
ダビデはいつでもサウル王に手を下す事はできたが、それをしなかった。
それは、ダビデが大好きな主が、サウルに油を注いで下さったからだ。
そしてダビデは知った。
主により頼むなら、主はいつでも、自分の敵を手に渡して下さる、自分は、主にあって安全に守られるのだ、と。
 
今、コロナが流行っているこの時勢、私達も鳩のように、ただ家の中に閉じこもって主に向かって呼ばわるだけかもしれない。
しかし、そのような時期に、主を呼び求める事は、実は幸いな一時である。
それによって主は、平安と確信を送ってくださり、暁を呼びささます者とし、ゆくゆくは信じて宣言した言葉のとおりに栄光が与えられるからだ。

詩篇 講解説教
主によって黒歴史は感謝の歴史へ変わり、賛美へと変わる(詩篇56篇)
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詩篇56篇表題「聖歌隊の指揮者によって、「遠き所におる音をたてぬはと」のしらべにあわせてうたわせたダビデのミクタムの歌。これはダビデがガテでペリシテびとに捕えられたときによんだもの」
 
この状況は、1サムエル記21:10-16に記されている。
ダビデはサウル王から追われ、イスラエルに居場所がなくなったために、ペリシテのガテへと逃れ、ペリシテの王の元に身を寄せようとした。
ところがガテは、彼が倒したペリシテ人ゴリヤテの故郷であり、ダビデは、そのゴリヤテの剣を身に帯びていた。
結果どうなるか、大体創造できそうなものであるが、ダビデは恐れに取り憑かれ、焦って、そこまでの判断が出来なかったのかもしれない。
自国から遠く離れたペリシテの敵地に、たった一人でいて、敵に囲まれ、うめく声もあげられない状態、まさに「遠き所におる音をたてぬはと」の状況の中、作った詩である。
 
1サムエル記21:11 アキシの家来たちはアキシに言った、「これはあの国の王ダビデではありませんか。人々が踊りながら、互に歌いかわして、/『サウルは千を撃ち殺し、/ダビデは万を撃ち殺した』/と言ったのは、この人のことではありませんか」。
 
ペリシテ人らはダビデを「王」と呼び、そして彼がゴリヤテを倒した時に女達が歌った歌も知っている。さらに悪い事に、彼はゴリヤテの剣を身に帯びていた。
まさに彼の命は風前の灯、ダビデが恐れるに十分だった。
そんなダビデには、もはや、一択しか残されていなかった。
すなわち、いつでも彼とともにおられる主に助けを求める、という事を。
 
詩篇56:1 神よ、どうかわたしをあわれんでください。人々がわたしを踏みつけ、あだする人々がひねもすわたしをしえたげます。
56:2 わたしの敵はひねもすわたしを踏みつけ、誇りたかぶって、わたしと戦う者が多いのです。
 
「ひねもす」(新改訳では「一日中」)と訳されたヘブライ語は、「コール・ハイ・ヨム」。コールは「全」、ヨムは「日」の他に、「期間」の意味がある。
ダビデがペリシテにいた期間、ずっと、ひっきりなしに、ダビデはペリシテ人から責め立てられ、虐げられつづけたのかもしれないし、あるいは、サウル王に追われ続けたて来たこの期間、ずっと、そのような心境だったのかもしれない。
 
詩篇56:3 わたしが恐れるときは、あなたに寄り頼みます。
56:4 わたしは神によって、そのみ言葉をほめたたえます。わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。肉なる者はわたしに何をなし得ましょうか。
56:5 彼らはひねもすわたしの事を妨害し、その思いはことごとくわたしにわざわいします。
 
 
実に素晴らしい、かっこ良い告白であるが、ダビデがその時、自分のいのちを救うために取った行動は、かっこ良くなかった。
 
1サムエル記21:12 ダビデは、これらの言葉を心におき、ガテの王アキシを、ひじょうに恐れたので、
21:13 人々の前で、わざと挙動を変え、捕えられて気が変になったふりをし、門のとびらを打ちたたき、よだれを流して、ひげに伝わらせた。
 
彼の人生一番の黒歴史かもしれない。
主にあって自分自身を御言葉でふるい立たせ、「恐れません」と告白しても、結局は恐れて、恥ずかしい行動を取ってしまう。
 
それは私達にもあるかもしれない。
せっかく、苦しみの中で信仰を奮い立たせ、素晴らしい信仰告白をしても、弱いゆえに、あるいは恐れ混乱したゆえに、格好悪い事をしてしまう事が。
あの偉大なダビデでさえ、そこを通って来たのだ。
 
しかしダビデは、その事を隠さず、むしろその出来事を詩にして、聖歌隊に賛美させた。
なぜなら、ダビデは、彼を救い出して下さった主への感謝と喜びが、あまりに大きいために、自分の恥さえ喜んでさらして、主を賛美したかったからだ。
だからこそ主は、彼を高め、大きな栄誉を与えたのだ。
 
自分自身の、恥の黒歴史は、主が働く事によって感謝の歴史へと変わり、そして賛美へと変わる。
 
56:8 あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。これは皆あなたの書に/しるされているではありませんか。
 
ダビデは弱さのゆえに信仰宣言した通りに凛々しく振る舞えなかった事を悲しみ、涙を流した。
しかし主は、私達・信仰者が、主のゆえに労苦したさすらいの日々を数えておられ、主の書物に記しておられる。
そして、主のゆえに労苦して流した全ての涙を、皮袋にたくわえておられる。
 
ダビデは主の前に凛々しく立ち続けられなかったゆえに流した涙が、無駄にはならず、なおも主により頼んだ故に、確信をいただく。
 
56:9 わたしが呼び求める日に、わたしの敵は退きます。これによって神がわたしを守られることを知ります。
56:10 わたしは神によってそのみ言葉をほめたたえ、主によってそのみ言葉をほめたたえます。
 
ダビデはこの詩篇で、合計、3度も「御言葉をほめたたえた」。(4,10節)
だから、御言葉が彼の盾となり、城壁となって、彼を守る事になる。
いかに敵地の真ん中で、敵に囲まれ、ひっきりなしに責めたてられるような、危機的状況であったとしても。
御言葉は、千万の敵を前にしても決して揺るがされない完全な防護壁である。
だからダビデは、この詩を、賛美で終わらせている。
 
56:11 わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。人はわたしに何をなし得ましょうか。
56:12 神よ、わたしがあなたに立てた誓いは/果さなければなりません。わたしは感謝の供え物をあなたにささげます。
56:13 あなたはわたしの魂を死から救い、わたしの足を守って倒れることなく、いのちの光のうちで神の前に/わたしを歩ませられたからです。
 
ダビデはまだ、死ぬような時ではない。
彼はこれから、王としてイスラエルを導き、主の御名を褒め称える賛美をたくさん作り、神殿を建て、主の栄光を多くの人々に伝え残して行かなくてはならないからだ。
主はダビデを守ったように、主は、全て主に従おうとする人々を、あらゆる災いから守られる。
 
ダビデがこの危機的状況から脱出した時に作った、もう一つの詩が、詩篇34篇である。
 
詩篇34篇表題「ダビデがアビメレクの前で狂ったさまをよそおい、追われて出ていったときの歌」
34:1 わたしは常に主をほめまつる(バラク)。そのさんび(テヒラー)はわたしの口に絶えない。
34:2 わが魂は主によって誇る(ハラル)。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。
34:3 わたしと共に主をあがめよ(ガダル)、われらは共にみ名をほめたたえよう(ルーム)。
 
ダビデは、言葉を変えて色々な表現で主を賛美している。
彼のいのちが助け出された時の、彼の立ち居振る舞いが、いかに恥かしいものであっても、彼は真実な主を褒め称えたい故に、そして、多くの人々にこの主の素晴らしさを知ってほしいから、この詩を公開したのだ。
 
詩篇34:6 この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。
34:7 主の使は主を恐れる者のまわりに/陣をしいて彼らを助けられる。
34:8 主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。
 
あの敵地の只中、敵に囲まれたさ中にあっても、ダビデが守られたのは、目には見えない御使いが陣営をはってダビデを囲み、守っていたからである。
無数の御使いがダビデを守った理由は、ダビデが御言葉を3度もほめたたえ、御言葉を城壁としたからだ。
彼が信仰をまぜて御言葉を宣言し、御言葉を重んじたから、神はダビデを重んじ、御使いたちを遣わして彼を守らせたのだ。
 
主はすべて、御言葉を重んじ、御言葉をほめたたえる人に、御使いの陣営を遣わし、守ってくださる。
そして主は、主のゆえに労苦する信仰者の日々を数えておられ、その記録を主の書物に記しておられ、そして主のゆえに労苦して流した全ての涙を全て、たくわえておられる。
しかし主は、主のゆえでない涙、たとえば罪の楽しみができなかったゆえに流した涙や、騙しが通じなかったゆえに流した涙などは、数えてはおられない。
 
ダビデは常日頃、主により頼んでいたから、敵地の真ん中でも救われた。
しかし、常日頃から御言葉を軽んじている者は、いざという時に助けを求めても、何の答えも助けも無い。
 
箴言1:24 わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、顧みる者はなく、
1:25 かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨て、わたしの戒めを受けなかったので、
1:26 わたしもまた、あなたがたが災にあう時に、笑い、あなたがたが恐慌にあう時、あざけるであろう。
1:27 これは恐慌が、あらしのようにあなたがたに臨み、災が、つむじ風のように臨み、悩みと悲しみとが、あなたがたに臨む時である。
1:28 その時、彼らはわたしを呼ぶであろう、しかし、わたしは答えない。ひたすら、わたしを求めるであろう、しかし、わたしに会えない。
 
常日頃から主により頼み、どんな艱難の時代でも主から守られ、やがてダビデのように大いに用いられる皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!
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