メッセージ - 最新エントリー

どんな人々でも食べられるように来てくださったイエス様(ルカ2:8-14)
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哀歌1:1 ヨハネ21:16

早天礼拝
神と人との永遠の綾織物(マタイ2:9-12)
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マタイ2:9 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
2:10 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
2:11 そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
2:12 そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

乙女マリヤとヨセフをはじめ、クリスマスの主人公たちはすべて、主の言葉への従順を持っていた。
もし彼らに御言葉への従順が無かったら、キリストの誕生は無かった。
博士たちは黄金、乳香、没薬を捧げたが、主への従順、それこそ、何よりの捧げもの、真の礼拝である。羊飼い達は、それを捧げた。

1サムエル記15:22 サムエルは言った、/「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、/燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、/聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 そむくことは占いの罪に等しく、/強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、/主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。

礼拝とは、神と人とのコラボレーションである。人の側は捧げものをし、神の側は御言葉の恵みをくださる。
真の礼拝とは何か。博士たちのように、何か物や金銀を捧げる事も礼拝だが、真の礼拝とは以下に記されている。

ローマ12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な(ロギコス:理に適った)礼拝である。

自分自身のからだ(ソーマ:肉体・魂・霊の全部)を、神に捧げる、という事。
自らの思い、意思、感情、そして体、霊の全部を、主の御言葉に従順する。それが、霊的な(ロギコス:理に適った)礼拝である。

この、神の御言葉への従順によって、自分自身を神の御言葉と織りなす事、その綾織物が、神の王国を建てあげて、神の国の歴史が動かされていく。
神の御言葉と自分を混ぜ合わせない人間歴史は、御前から消されてしまう。マタイ1章の系図は、まさにそうだ。
モーセは言った、

出エジプト記32:32 今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば――。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。
32:33 主はモーセに言われた、「すべてわたしに罪を犯した(ハター)者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。

罪を犯す(ハター)とは、神の秩序を割る事。神の創造した永遠に変わらぬ秩序を破壊する者は、永遠から除外されてしまう。

人の人生は、一つの巻物のロールのようだ。その人が一瞬一瞬した事が神の前にレコードされ続けていく。
時間に縛られている人間は、過去に戻ってやり直したり、発した言葉や行った行いを「やっぱり今の、無し」と言って、そのレコードを編集したりする事は出来ない。

黙示録20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物(ビブリオン:巻物、書)が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。

私達は、手紙であるとパウロは言った。死人は、上書き禁止されたビデオテープのようなもので、その行いの記録は、既に固まってしまって変更不能である。人は、そのしてきたしわざに応じ、また主の基準にしたがって、さばかれる。
しかし、キリストにつながった人、永遠へと綾織りされた人は、いのちの書に名が書き記され、その人は天国に入る事が出来る。

主に捧げる事、それは永遠への仲間入りをする事である。天国は神と人とが共に住み、もはや離れる事は無い。
私達は日毎、主に捧げ、主から恵みがほどこされ、そうして一日一日、主と共に歩む綾織物を織りなす人生を送って行きたい。
 

 

クリスマスイブ礼拝
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主日礼拝
素晴らしい喜びの知らせが直接与えられる人とは(ルカ2:8-20)
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週報/メッセージ(説教)概要

 キリストのご到来は、バプテスマのヨハネの時とは違い、ひそかに、人々にはあまり知られない形で来た。
赤ちゃんとして来られたイエス様のご降誕の現場に居合わせ、そのイエス様に礼拝を捧げるという「幸い」にあずかれた人達が、羊飼いと、羊達であった。しかも彼らは特別に、御使いから直接、その知らせを受けた。そのような栄誉にあずかる事ができる性質とは、一体何だろう。
彼らは夜、人々が眠っている時でも目を覚まし、羊たちを見守っていた(ルカ2:8)。彼らは羊と生活を共にし、野宿を続けているので不潔な出で立ちをしていた。それで人として数えられず、住民登録に呼ばれず、神殿での礼拝にも参加できなかった。なぜそんな彼らに、御使い達が現れたのか。
御使いは、主を恐れる人々に仕えるために遣わされる霊であり(ヘブル1:14)、主を恐れる者の周りに陣を張って守ってくれる存在である(詩篇34:7)。実は、彼らの性質が、御使いを引き寄せる性質だったのだ。

羊飼いの仕事は、羊達を守り養う事である。羊は弱く、身を守る術が無く、近視眼で、迷子になりやすい。
自分で食べ物を見つける事が出来ないので、羊飼いは、彼らを牧草地や水のほとりへ導いて行く。彼らはどこでも汚物を垂れ流し、自分の毛につけたまま歩くので、臭い。強情で、時には怒って羊飼いに体当たりして来る。学習能力が弱いので、同じ失敗を何度も繰り返す。また悪い獣に狙われ易いので、羊を狙って来る悪い獣を、杖や鞭、石投げで追い払う。そんな面倒臭い仕事など、ほとんどの人はしたくないためか、その時代、人々は商売人になったり、王宮で仕えたり、より楽で華やかな職業へと就いて行った。
しかし羊飼いは、聖書ではとても重要な職業である。信仰の父祖達は、人生の大半を羊飼いとしてその生活を費やしていた。アベル、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデ、彼らは皆、そうして来たのだ。
主もまたペテロに命じられた。わたしを愛するなら、わたしの羊を飼いなさい、と。(ヨハネ21章)
羊は弱く、愚かかもしれない。しかし、主への捧げものになる事の出来る、数少ない動物である。
羊は、ひずめが分かれており、反芻(咀嚼)するので、きよい動物とされている(レビ記11章)。ひずめは、自身と世との間に境界を引いて一線を画するもので、主はその性質を、きよい性質の一つとされた。
また、反芻するとは、食物をよくハムハムと噛む事で、主はそれもきよい性質の一つとされた。私達も、まことの食物である御言葉を、折を見ては取り出しハムハムするなら、きよい者として、主への捧げ物となる。

主のお生まれを告知された羊飼い達は、どういう性質だったか。彼らは「ダビデの町」で救い主がお生まれになったと聞くと、ミカ書の言葉を思い出し、「ベツレヘムに行こう」と判断した程、仝羝斥佞棒債未靴討い拭その点で彼らは、ヘロデ王や博士達より御言葉に精通していた。彼らは、羊飼いとして低く見られてはいても、普段から御言葉を摂り入れ、主に示されたならすぐに行動する性質だったのだ(15-16節)。
彼らは博士達のような捧げ物は所持していなかったが、「御声に聞き従い、すぐに行動する」という、雄羊の脂肪にも勝るいけにえを捧げたのだ。(1サムエル記15:22)
そして彼らは、ぜ腓ら伝えられた事を、そのまま正確に伝える性質だった。『この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた(ディアグノリゾー:正確に報告する、徹底的に知らせる)。』(17節)
赤ちゃんイエス様と出会う事ができた彼らは、見聞きした事が全て、神のことばどおりだったため、大いに喜び、神をあがめ、賛美しながら帰って行った(20節)。彼らはゼ腓魎遒咫∋身する性質だったのだ。

以上のように、主が内密に、そしてきらびやかに、喜びの知らせを与えられる性質とは、夜の時代でも霊的に目を覚まし、弱くて愚かな羊たちを誠実に養っている羊飼いの性質であり、普段から御言葉を摂り入れ、御言葉に精通し、主に示されたらすぐそのまま行動し、主から伝えられた言葉を正確に伝え、そして、主のわざを喜び賛美する性質である。また、羊のように、世と自分とを分離し、御言葉を常にハムハムしているなら、いかに羊のようにドジで、愚かでも、主からは「きよい者」として、主への捧げものとなる。
私達もこの暗闇の時代、彼らのような性質を持って行動しているなら、主は密かに、そして大いなる輝きとともに、御旨を伝えて下さり、滅多に出会えるものではない特別な姿のイエス様へと導いてくださる。それは、王宮のような所で華やかに生活したい人にはあずかり知れない、限られた聖徒達へ密かに与えられる喜びである。誰にも味わう事の出来ない、素晴らしい喜びにあずかるこのクリスマスでありますように!

早天礼拝
博士たちがひれ伏して拝まざるを得なかった赤ちゃんとは(マタイ2:9-12)
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第二テモテ 講解説教
水曜夕礼拝終わりの時代に苦難をもたらす者達の性質と、それへの対策(2テモテ3:1-9)
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早天礼拝
ビクトリー:世に勝つ者とは(1ヨハネ5:1-5)
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哀歌 講解説教 水曜昼礼拝
哀歌概要(哀歌1:1)
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主日礼拝
預言されていた真の王の性質(イザヤ9:1-7)
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賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要

 この待降節第三週は、キリストはどのようなお方として現れるのかを、第五の福音書とも呼ばれているイザヤ書から見たい。イザヤはやがて現れるメシヤがどのようなお方であるのか、700年前に啓示を受けていた。
 
 『ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子が我々に与えられた・・・そのまつりごとと平和とは「増し加わって(לםרבה レマルベー)」限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。』(イザヤ9:6-7) 有名なメシヤ預言であるが、原典の巻物は「増し加わって」の所が法則を破った形で記されている。ここの二番目の語メム(ם)は、通常形の開いたメム(מ)で記されなければならないのに、敢えて語末形の閉じたメム(ם)で代々記されて来た。
 なぜイザヤはそのように記したのか、ラビ達には代々ミステリーだった。ただラビ達は、開いたメムは開かれた胎を、閉じたメムは、閉じられた胎と理解している。イザヤはなぜ「法則破りのメム」を用いつつ、「主権と平和は増し加わる」と書いたのか。それは神は、処女という「閉じた胎」に、聖霊によってみごもらせ、そのみどりごの主権と平和は、法則破りの形で増し加わって行く、という事を啓示しているのではないだろうか。
 
 この来たるべきみどり子、ダビデの王座に座す王は、世の王達とは全く違った法則破りの王となっていく。
この王は、通常の世の王と、どう違うか。世の王は、人々の上に立って権力をふるい支配するが、神の国の王たる者はそうであってはならない、と イエス様は言う。神の国における王たる者は、皆に仕える者、しもべになりなさい、と。『人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである。』(マタイ20:28)
 主が立てたダビデ王も、そうだった。彼がサウル王に追われている時、彼の元には、困窮した人、負債を負っている人、心に苦さを覚えている人達が来た(1サムエル記22:2)。このダビデ王でなければ養えない、この王でなかったら保護されない、この王がなかったら、慰めを受けられない、そういう、一寸先が見えない人達がダビデの元に集まって来た。よりによって、サウルに命を狙われ、優れた人材を欲している時に。
 しかしそれが、ダビデを「真の王」にするための、主のトレーニングだった。たとえ苦しい状況の中にあったとしても、そんな彼らを、嫌がらずに受け入れ、彼らと共に、諸々の歩みを一緒に味わっていく。それはまさに羊飼いの性質である。アブラハムもモーセも、信仰の先人たちは皆、一様に羊飼いを経験したのだ。
羊飼いとして、弱くおろかないのちを養う者の姿勢こそ、主が求める真の王の姿であり、そして真の王・真の羊飼いであるイエス・キリストの性質である。ダビデは、そのように集った600人を受け入れ、共にサウルから逃れつつ、共に訓練を受け、そしてダビデが王になった時、彼らは優れた勇士になっていた。
 対してサウル王は、世の王と同様、自分の元に優れた有能な人々をはべらせ、王権を堅固なものにした。
一見すると、ダビデの群れは、サウルの軍団にたちまちやられてしまうかのように見えるが、実質、ダビデの群れはいつでもサウルの軍団の一歩先を行っていた。主にとっては、ダビデのような羊飼いの群れを、サウルのような者から守るのは、当然の事だった。主は私達にも、まず羊飼いである事を求めておられ、そして羊たちを養うのに十分な力を与えてくださる。私達もこの時代、ダビデのように、御前でへりくだった者となり、そしてゴリヤテのような敵・サタンに対しては凛々しく立ち向かって勝ち得る者となるべきである。
 
 このダビデの王座に座す王・メシヤなるイエスこそ、王の中の王である。イザヤは幻の中で、闇を完璧に吹き飛ばす偉大な光としてメシヤを見、それはガリラヤから輝き上る、と記した(イザヤ9:1-2)。ガリラヤはちょうど、イエス様が福音宣教を始められた所である。そこには、病を負い、悪霊に虐げられ、苦さを覚えている「闇の中を歩んでいた人達」があふれた所であったが、そこにイエス・キリストという大きな光が照った。
 キリストに照らされ、キリストに歩む人達はやがて増えて行き、彼らの喜びを増し加えられ、豊かな刈り入れを喜ぶように、または分捕り物を分けるときに楽しむように、御前で喜ぶ(3節)。そして、彼らの重荷も、肩のむちも、虐げる者の杖も、粉々に砕かれ、互いが互いを傷つけ、血を流し、戦いながら生きて来た今までの歩みも、火のえじきとして終わらせて下さる(5節)。それが、処女から生まれる「ひとりのみどりご」である。
 このアドベントの時、ダビデのように、主の前につつましく、しかし敵に対しては凛々しく立つ羊飼いとして、真の王の性質を身につけて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

早天礼拝
自分の思い・意思・感情を御前に捨てて、永遠のいのちを獲得する(ヨハネ12:12-36)
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