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全てが虚しい?そうなる原因はこれ!(伝道者の書1:12-14) 2026/01/12 月 早天礼拝
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Ecc 1:13 私は、天の下で行なわれるいっさいの事について、知恵を用いて、一心に尋ね、探り出そうとした。これは、人の子らが労苦するようにと神が与えたつらい仕事だ。
Ecc 1:14 私は、日の下で行なわれたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。
ソロモンは、この天の下で行われる一切のことについて、知恵を一心に尋ね探り出そうとした、と言っています。
みなさん、神様抜きで、キリスト抜きでこの世のありさまを観察するとき、
皆さんは死体を見たことありますか。
皆さんは死体をじっくり調べて、死体の博士になって何の益があるでしょうね。
これをじっと見て、これは人間の子らが労苦するように神が与えた辛い仕事だ、とソロモンは言いましたが、そうじゃありません。
人々はこうイエス様に質問しました。
イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざ(仕事)です。」
だから、このソロモンのように、この世のありさま、滅んでいく人間、人間の愚かさ、狂気、、、
また、ソロモンは、伝道者の書の続く14節でこう言ってます。
Ecc 1:14 私は、日の下で行なわれたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。
聖書の他の箇所、伝道者の書以外の書では、「むなしい」ということばは、ここまで繰り返されていません。
この伝道者の書だけです、この虚しいという言葉が何回も何回も言われているのは。
14節の後半のところに「全てが虚しいことよ、風を追うようなものだ」と書いてあります。
肉である人間は、肉を超える事はできず、霊を理解する事はできません。
だから、風、すなわち霊が思いのままにする事は、ただ苛立たしいのです。
答えは、イエス様にあって、新しく生まれる事です。
イエス様はおっしゃいました。
Joh 3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
Joh 3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
Joh 3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
Joh 3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
だから、全部の答えは、イエス様にあるのです。
イエス様を信じること、イエス様を見つめること、イエス様の十字架とともに、自分自身の肉は、死に明け渡し、霊にあって新しく生まれる事。
それによってこそ、これら全ては、乗り越えることができるのです。
1:1 さばきつかさが治めていたころ、この地に飢饉が起こった。そのため、ユダのベツレヘム出身のある人が妻と二人の息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。
1:2 その人の名はエリメレク、妻の名はナオミ、二人の息子の名はマフロンとキルヨンで、ユダのベツレヘム出身のエフラテ人であった。彼らはモアブの野へ行き、そこにとどまった。
1:3 するとナオミの夫エリメレクは死に、彼女と二人の息子が後に残された。
1:4 二人の息子はモアブの女を妻に迎えた。一人の名はオルパで、もう一人の名はルツであった。彼らは約十年の間そこに住んだ。
1:5 するとマフロンとキルヨンの二人もまた死に、ナオミは二人の息子と夫に先立たれて、後に残された。
・・・
1:8 ナオミは二人の嫁に言った。「あなたたちは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたたちが、亡くなった者たちと私にしてくれたように、【主】があなたたちに恵みを施してくださいますように。
1:9 また、【主】が、あなたたちがそれぞれ、新しい夫の家で安らかに暮らせるようにしてくださいますように。」そして二人に口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
・・・
1:15 ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神々のところに帰って行きました。あなたも弟嫁の後について帰りなさい。」
1:16 ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
1:17 あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、【主】が幾重にも私を罰してくださるように。」
1:18 ナオミは、ルツが自分と一緒に行こうと固く決心しているのを見て、もうそれ以上は言わなかった。
・・・
2:3 ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。
2:4 ちょうどそのとき、ボアズがベツレヘムからやって来て、刈る人たちに言った。「【主】があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「【主】があなたを祝福されますように」と答えた。
・・・
2:8 ボアズはルツに言った。「娘さん、よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ってはいけません。ここから移ってもいけません。私のところの若い女たちのそばを離れず、ここにいなさい。
2:9 刈り取っている畑を見つけたら、彼女たちの後について行きなさい。私は若い者たちに、あなたの邪魔をしてはならない、と命じておきました。喉が渇いたら、水がめのところに行って、若い者たちが汲んだ水を飲みなさい。」
2:10 彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「どうして私に親切にし、気遣ってくださるのですか。私はよそ者ですのに。」
2:11 ボアズは答えた。「あなたの夫が亡くなってから、あなたが姑にしたこと、それに自分の父母や生まれ故郷を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私は詳しく話を聞いています。
2:12 【主】があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、【主】から、豊かな報いがあるように。」
・・・
2:15 彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若い者たちに命じた。「彼女には束の間でも落ち穂を拾い集めさせなさい。彼女にみじめな思いをさせてはならない。
2:16 それだけでなく、彼女のために束からわざと穂を抜き落として、拾い集めさせなさい。彼女を叱ってはいけない。」
2:17 こうして、ルツは夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。集めたものを打つと、大麦一エパほどであった。
私たちを買い戻す責任のある方イエス様 (ルツ記)
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【概要】
ルツ記を通して、買い戻しの権利のある方であるボアズと、イエス・キリストが私たちの救い主として買い戻してくださることの関係について語られている。モアブ出身の異邦人ルツが、イスラエルの神に出会い、信仰によってイエス様の系図に名を連ねるまでの物語を通して、私たちもイエス様の翼の下に避け所を求めるべきことが示されている。
【聖書箇所】
ルツ1-4章、ルツ3:9、マタイ1章
【慰めの言葉】
イエス様は私たちを買い戻す責任と権利のあるお方であり、その衣を広げて私たちを覆い、愛、憐れみ、許し、恵みの中で守ってくださいます。神様は皆さんを辛い思いにばかり合わせるお方ではありません。その全能者の翼の影に入ってきて、助けを求めてきたすべての民に対して開かれた神様です。
【励ましの言葉】
主の翼の影に隠され、その守りと愛の中で包まれることで、私たちは世に対し、サタンに対し、勝利者としての立ち位置を得ることができます。イエス様は皆さんのことをすっかり話を聞いておられます。皆さんが経験したあのこと、このこと、皆さんがイエス様の働きのゆえに費やした時間、労力、エネルギー、お金、またあらゆること、イエス様はすっかりと話を聞いておられます。
【勧めの言葉】
困難な状況にあるとき、イエス様に向かって「あなたは私の買い戻しの権利のあるお方です。どうぞあなたの御翼を広げて、このものを覆ってください」と求めましょう。へりくだってイエス様の足元にひれ伏すことが大切です。イエス様こそが皆さんにとっての真の買い戻しの権利のあるお方、皆さんの家を絶やさぬ責任のあるお方です。このお方に寄りすがるならば、主が皆さんの家を、事業を、仕事を、命を絶やさない責任のあるお方として祝福してくださいます。
【***詳細***】
今朝、恵みをいただく御言葉はルツ記です。はじめにルツ記3章9節を新共同訳で宣言いたします。
「お前は誰だとボアズが言うと、ルツは答えた。私はあなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方です。」(ルツ3:9)
アーメン。
今朝のお話はルツさんについてです。お祈りの中でよく「買い戻しの権利のあるお方」という言葉を使いますが、それはこのルツ記が元なんですね。
ルツはもともとイスラエルの民ではありませんでした。けれども、マタイ1章の系図を見ますと、イエス様のおばあちゃんにこのルツさんの名前が記されているんですね。
ルツはもともとモアブというところで生まれ育ちました。そこの神はケモシュという神なんですけども、ルツが生まれて、それから育っていくんですけども、お父さん、お母さんが身ごもって、赤ちゃんがお母さんのお腹がどんどんどんどん大きくなっていく。
それでいざ生まれたと思ったらですね、その生まれた赤ちゃん、どこにもいないんですね。なんでっていうふうに聞いてみたら、「私たちの神ケモシュがね、それを捧げられましたよ」っていうことを言われたりするんですね、お友達のお母さんが。
お母さんがお腹が大きくなっていっても、たまにそういうことをね、「あれ、赤ちゃん生まれたのにどこ行ったの」って。「私たちの神様がね、それをいただいたからだよ」ということを聞かされて、ちょっとなんか怖いって。
彼女がだんだん育っていくうちにですね、真相がわかってくるんですね。ケモシュの手の偶像があって、その手の上に赤ちゃんをですね、焼いて、それでケモシュの神に捧げるんですね。
そしてなんでそういうことするのって、ある時聞いたところ、「このケモシュの神様に赤ちゃんを捧げたら、あなたの願い事が何でも叶うんだよ」っていうことになったり、あるいはね、だんだん大人になるとですね、大人の事情がわかってきます。望まれない子供が生まれたりすることがあると、そのケモシュの神に捧げるということになったりですね。そういう世界の中でルツは生まれたんですね。
そんなある日、ルツのところにですね、縁談が持ちかけられます。その結婚相手は自分の国、モアブの国からじゃなくて、イスラエルの国から来たその旦那さんと結婚したらどうかっていうことで。それで縁談がまとまって結婚するんですけどもね。
ルツさんが結婚したところ、イスラエルの家系です。そして義理のお母さんになったナオミさんというね、女性、とても優しいですね。そしてイスラエルの神様はこういうお方なんだよと。私たちのこの人間を作り、全世界を作り、そして神様は命を大切にしてくださるお方です。神様の律法というのは、とても整然として、そして理にかなった、弱い人に優しい律法なのです。ルツはこの義理の母であるナオミを通して、この律法を学びました。そしてルツは思うんですね。「ああ、なんて素晴らしい神様だろうか。この神様のもとになったら、私はこの身を寄せてもいいな」と思ったんですね。
けれども、このナオミの一家は、なぜこの素晴らしい神様のもとを離れて、わざわざこんなモアブという地に来たんだろうか。パンがなかったからだよということは言われていたんですけども、しかし、この素晴らしい神様のもとを離れたこのナオミの一家、ナオミの旦那さんはエリメレクと言うんですけども、ルツにとっては義理のお父さんですね。やがて死んでしまいました。ナオミは未亡人になってしまった。それでルツの旦那さんもやがて死んでしまいました。ルツの義理の妹オルパの旦那さんも死んでしまって、義理の母ナオミも未亡人になり、また自分も未亡人になり、そして義理の妹も未亡人になってしまいました。
これは全能なる神様のもとを離れて、そして自分の求めるパンを求めて、神様のもとを離れて、そして神様抜きで生活していったからだということ、ナオミは薄々気づいていたんですけども、しかしナオミは妻の身であり、旦那さんのその主権には逆らえませんでした。それで生き残ったのは、このナオミとルツとオルパだけだったんですね。
それでナオミは自分の国に帰る決心をします。そして、この義理の娘たち、このルツとオルパ、彼女たちはまだ若い。そして自分の国イスラエルにおいては、このモアブという国については忌み嫌うべき民族だということを言われております。ですから、この娘たちをイスラエルに連れ帰っても、ちょっと見るに忍びない。むしろこの娘たちはまだ将来がある若者なんだから、このモアブの地において旦那さんと結婚して、そして家庭を築いていくのが幸せなんじゃないかと思い、そしてナオミは一人帰る決心をするんですね。
ナオミは言います。「あなた方はそれぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなた方が亡くなった者たちと私にしてくれたように、主があなた方に恵みを賜り、あなた方がそれぞれ夫の家で平和な暮らしができるように、主がしてくださいますように。」そう言って、この二人の義理の娘に口づけをしました。二人は声を上げて泣いて、「いいえ、私はあなたと一緒に行きます」と言うんですけども、しかしナオミは静かに言います。
「帰りなさい、娘たち。私をもっと辛い思いをさせないでください。私はもう年をとって結婚することはできません。もうあなたの夫になるような子供を産めるものではないし、また、たとえ子供を産んだとしても、あなたたちはその子供が大人に育つまで待つんですか。帰りなさい。もうそれは私をひどく苦しめるだけです。」そういうふうに言って口づけをしました。
それでオルパは泣きながら別れの口づきをして、そして帰っていったんですけども、しかしルツはこのお母さんの衣を掴んで離しませんでした。お母さんは言います。「ほら、あなたの義理の妹はもう帰っていったから、あなたも彼女に倣って、あなたの神、あなたの民のもとに帰りなさい。」と言うんですけども、しかしルツは言うんですね。
「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私に仕向けないでください。あなたの行かれるところに私も行きます。あなたの住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民。あなたの神は私の神です。」こういうふうに言って、もうすがって離れないんですね。「もしあなたから離れるようなことが、もし私が死を通してでも離れることがあれば、主が私を幾重にも罰してくださいますように。」そこまで言うんですね。
ナオミはもう、このルツの決心が固いのを見て、もうそれ以上何も言いませんでした。こうしてナオミとルツはイスラエルの地に帰りました。イスラエルのベツレヘム、そこがこのナオミの故郷だったんですけども、二人が旅してベツレヘムに着いた時、街中が騒ぐんですね。「まあ、ナオミではありませんか。ナオミが帰ってきた。旦那さんはどうしたの?」
ナオミは言います。「私のことはもうナオミと呼ばないでください。」ナオミという名前の意味は「快い」というヘブライ語の意味ですね。ヘブライ語では喜び、快いという意味ですけども、しかしナオミは、そういうふうな名前で呼ばれることは、もう本当に心に刺さるんです。「全能者が私を辛い思いをさせた。だから私のことをナオミではなくてマラと呼んでください。」このマラは「苦々しい」という意味です。「全能者が私をひどい苦しみ目に遭わせましたから、主の御手が私に下ったんです。主は私を卑しくして、そして辛い目に遭わせられました。」そういうふうにナオミは本当に辛い、苦い思いをして、イスラエルのベツレヘムに帰ってきたんですね。
けれども、このナオミには、このモアブで一緒になったルツがいたんですね。そしてこのルツは本当にお母さん思いです。悲しんで、もう立つこともできないような、そういう心のナオミに寄り添って、そしてとにかくこの義理のお母さんを食べさせてあげなくてはなりません。
それで、このイスラエルの風習で、この全能の神様の憐れみにすがって、落ち穂拾いというのをしていい、人の畑に入って落ちている落ち穂を拾って、それを未亡人とか孤児のために食べ物としていいという、そういう律法、それにすがって、このルツは「どうぞ畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方の後について、落ち穂を拾いたいのです」と言いました。するとナオミは「娘よ、行っておいで」と言いました。
ルツはとても心細いですね。異邦人の身、そして本当にイスラエルの人々はそれに対して、本当に素晴らしい神様を持っている。本当にこんな自分が人様の畑に入って、落ち穂を拾って、果たしてやっていけるんだろうか、みんなにいじめられないだろうか、そういう心配がありました。
けれども、彼女が図らずも、たまたま入った畑、そこはとても特別な、彼女にとって縁がある畑だったんですね。彼女からすれば、とにかくたまたま入った畑でした。けれども、神様は皆さんを辛い思いにばかり合わせるお方ではないんです。その全能者の翼の影に入ってきて、助けを求めてきたすべての民に対して開かれた神様です。皆さんもこの神様の翼のもとに助けを求めてきたならば、神様は皆さんを、図らずもかもしれません、たまたまかもしれません、でも本当に神様の導きに従って、そして神様のご計画に組み入れて、皆さんを素晴らしいところへと導いてくださるんですね。
この畑はボアズという人の畑でした。ボアズは図らずも、この義理のお母さん、ナオミの親類、エリメレクの親類であるボアズの畑だったんですね。ボアズさんは親類でした。そしてちょうど、ルツさんがこの畑の中で落ち穂を拾っておりました。人がこの麦畑で刈り取った大麦の畑で、刈り取った後に落ちた、もう人から見向きもされなくなった穂、それを一つ一つ見つけては拾い、見つけては拾い。お母さんのために、その人から捨てられた落ち穂を拾って、そしてお母さんを養わなくては、なんとか生き延びなくては。その思いで、全能者のイスラエルの神、主により頼んで入ってきたこのイスラエルの国の中で、本当に彼女はなんとかしてお母さんを養いたい、なんとかしてこの全能者の神様の保護にすがりたい、そういう思いで拾っておりました。
そこに、その畑の主人であるボアズがやってくるんですね。そしてそこにおいて、ボアズがこの畑で働いている人たち、従業員ですね、その一人一人に「主があなたと共におられますように」と、ボアズが一人一人従業員に、その祝福の挨拶をするんですね。その祝福の挨拶の声をかけられた従業員の方は、「主があなたを祝福されますように」という祝福の挨拶のやり取りがある、そういう畑だったんです。
ルツはこの畑の主人が来た。身が縮こまる思いだったかもしれません。顔を伏せて、なるべくこの異邦人の私、目立たないように落ち穂を拾っておりましたけれども、でも声が聞こえるんですね。「これは誰の娘か。」そこの従業員にこの主人は聞いて、そして刈る者たちは答えて言います。「あれはナオミと一緒にモアブの野から帰ってきたモアブの娘です。彼女は『どうぞ刈る人たちの後について、束の間で落ち穂を拾い集めさせてください』と言い、ここに来て朝から今まで家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」
ルツさんは聞こえてきます。「ああ、モアブの娘だって言っちゃった。どうしよう。本当に恥ずかしい。」そういうふうに思っていたんですけども、しかし、彼女のところにその男性の声が聞こえるんですね。「娘さん」と、優しい声です。「娘さん、よく聞きなさい。他の畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。刈り取っている畑を見つけて、後について行きなさい。私は若者たちにあなたの邪魔をしてはならないときつく命じておきました。喉が渇いたら、水瓶のところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」そういうふうに声をかけられました。
ルツは顔を伏せて、地面にひれ伏して、「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか」と言います。ボアズは答えています。
「あなたの夫が亡くなってから、あなたが姑にしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めてきたイスラエルの神、主から豊かな報いがあるように。」
アーメン。なんて素晴らしい男性でしょうか。素晴らしい人ですね。皆さん、イエス様はこういう方です。イエス様は皆さんのことをすっかり話を聞いておられます。皆さんが経験したあのこと、このこと、皆さんがイエス様の働きのゆえに費やした時間、労力、エネルギー、お金、またあらゆること、イエス様はすっかりと話を聞いておられます。そして皆さんのためにわざと落ち穂を落としてくださるんです。皆さんのために、もう邪魔をしてはならないと、周りの者にきつく命じてくださるんです。イエス様は「水瓶のところに行って自由に飲みなさい」とボアズが言ったように、皆さんが渇いたなという時には豊かに惜しみなく水を、命の水をくださるのが皆さんの主イエス様です。アーメン。
こうしてルツはこのボアズの畑でずっと刈り入れの間、ここで落ち穂拾いをしました。それで落ち穂を拾い集めて帰ってくるんですけども、そのナオミが、そのルツが集めた落ち穂を見てびっくりするんですね。「あれ、あなた、それどうしたの? その畑のその主人が祝福されますように」とナオミが言うんですけども、それでルツは「私は今日、ボアズという名の方のところで落ち穂を拾い集めました」と言うと、ナオミは言うんですね。
「生きている者にも、死んだ者にも恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。その方は私たちの親類で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類の一人です。」それでルツに言いますね。「娘よ、あの方のところにいることは結構なことですね。他の畑でいじめられなくて済みます。」そして、このルツはその間ずっとこのボアズの畑に行って、ボアズの畑で落ち穂を拾い、そして持ち帰るという日々が続きました。
ある時、ナオミは言うんですね。「娘よ、あなたが幸せになるために、身の落ち着くところを探してあげなくてはならないでしょうか。ところで、あのボアズは私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方が打ち場で大麦をふるいに分けようとしております。あなたは体を洗って油を塗り、晴れ着をまとって打ち場に下っていきなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで気づかれないようにしなさい。あの方が寝るとき、その寝るところを見届けてから入っていき、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。」
びっくりですね。その男性のところに夜行って、そしてその衣のところをめくって、そしてそこに入りなさいって言うんですね。けれども、ルツは「私におっしゃることは皆いたします」と言うんです。そうして彼女は身をきれいにして、体を洗って、油を塗って、晴れ着を着て、そして打ち場に下っていって、このナオミが言った通りのことをするんですね。
ボアズは、この大麦をふるいにかけて、いよいよお祭り騒ぎのような感じですね。そして、そこにおいて飲み食いをして、気持ちがよくなると、そこに積み重なってある麦の端に行って寝ました。刈り取ったばかりの麦、その束、青草の匂いがします。刈ったばかりの麦は甘い匂いがします。そこにおいて寝ました。
それを見届けたルツは、こっそり行って、ボアズの足のところをまくって、そこに寝ます。そして夜中になって、その人はびっくりして起きております。一人の女性が自分の足のところで寝ているんですね。それで彼は言います。「あなたは誰か。」彼女は恐る恐る答えたでしょうね。こんなことをして、けれども、自分はこのお方と関係がある、関わりがある。彼は買い戻しの権利のある方です。彼女は勇気を振り絞って言うんですね。
「私はあなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方です。」
もしかしたら拒絶されるのではないかという恐れもあったでしょう。けれども、ボアズから言われた言葉は「娘さん、主があなたを祝福されるように。あなたの後からの真実は先の真実に勝っています」というものでした。驚くべき言葉ですね。後からのこの真実、今したこと、これを真実だと言ってくださり、そして先にした真実よりも、もっと勝っていると言われたのです。
自分がこのナオミを決して離れなかった、イスラエルの神の中に入っていった、この真実よりも、もっと勝った真実だと言われました。なぜでしょうか。それは、誰彼かまわず男性の寝ているところに行くことではなく、この買い戻しのあるお方のところに来たからです。
あなたは買い戻しの権利のあるお方、律法に従ったことを要求したのですね。実はルツは、神様のお言葉ではこれこれこうです、あなたは律法では私を買い戻してくださる権利のあるお方ですから、ということを、それゆえに、だからどうかあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってくださいと要求したのです。これは御言葉に実は叶ったことだったんですね。
それでボアズは「あなた、主があなたを祝福されますように。あなたは真実です。あなたは貧しい者でも富む者でも、若い男たちの後を追わなかったからです」と言いました。結構な年が離れていたんでしょうね。ルツはまだ若いです。けれどもボアズはきっともっと年を取っていたんでしょう。それでも年を取っているにもかかわらず、御言葉通り、買い戻しの権利のあるところに来た。だからあなたは真実だと言われたのです。
「さあ、娘さん、恐れてはいけません。あなたの望むことを皆してあげましょう。この街の人々は、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。」でも、けれども、実はボアズは確かに買い戻しのある親類ではあるんですけど、しかし、もっと近い、もっと権利のある親類がいるんですね。ボアズは二番手です。ですから、その一番先の人のところに行って、それでその役割を果たすように、そのように手続きをします。もしその人がそれを断ったのであるならば、私があなたを買い戻してあげますよと言いました。「とにかく今晩はここで朝までおやすみなさい」と言って、彼女は朝まで彼の足のところで寝ました。
そしてまだ薄暗い頃、彼らは起き上がりました。彼は、打ち場に彼女が来たことを知られてはならないと思ったので、「あなたが着ている外套を持ってきて、それで服をこういうふうに掴みなさい」と言いました。ルツがこういうふうに外套を掴んでいるところに、ボアズは大麦を六杯測って、そこに入れて、そして彼女に「さあ行きなさい」というふうにしました。こういう風にして、彼女が来たことを誰にも悟られないように、むしろルツさんがもう朝からこういうふうに働いた良い女であるかのように、そういうふうにして彼女を返してあげました。
そうしてボアズさんはその朝、そのまま町の門のところに行きます。当時、その門のところがいろいろな行政を決めるところだったんですけども、そこにおいて、まず自分よりも近い親類、買い戻しの権利のある人を捕まえて、そして長老たちの前で「あなたがこのエリメレクの一家、ナオミさんのその旦那さんの家を絶やさない責任を果たしますか」と尋ねました。彼は果たすと言うんですけど、しかし「果たすんでしたら、じゃああの異邦人モアブの女ルツもあなたは娶らなくてはいけませんよ」と聞いたらですね、その人は自分の足の靴を脱いで、そしてボアズに渡して「あなたが権利者、権利を渡しますから、どうぞあなたがその権利を受け継いでください」と言いました。当時、その履物の靴を脱いで相手に渡すこと、これは権利を譲渡するという正式な手続きだったんですね。
こうしてボアズは正式に町の前で「私はこのエリメレクの一家の家を絶やさないように買います。そしてモアブの女ルツも自分のお嫁さんにします」と宣言しました。したらですね、町の人々がみんな祝福するんですね。「どうかあなたの家が栄えますように」と。そして、結婚が成立しました。
実際、このボアズの家、栄えていくんです。ボアズの子供、孫、ひ孫から、王様が、王族の家系が生まれるんです。ルツ記はダビデという名前で終わっておりますね。この家系からダビデが生まれた。本当にこの皆さんも、真のボアズであられるイエス様、このお方にすがるのであるならば、主が皆さんの家を絶やさぬ責任をあるお方としてくださいます。
皆さん、もしかしたら、皆さんの今の状況、今の家庭、今のその事業、それがもしかしたら絶えてしまいかねないような、そういう危機的な状況にある人は特にですね、皆さんも言うべきです。イエス様に向かって「あなたは私の買い戻しの権利のあるお方です。イエス様、あなたはこの家を、この事業を、この状況を絶やさない責任のあるお方です。私、どうぞあなたの御翼、あなたの衣を広げて、このものを覆ってください」というふうに求めるんです。
するならば、主は「あなたは真実だ。あなたのために手続きをしてあげるよ」とボアズのようにですね、言ってくださるんです。皆さん、イエス様こそが皆さんにとっての真の買い戻しの権利のあるお方、皆さんの家を絶やさぬ責任のあるお方、皆さんの子供を、皆さんの家族を絶やさぬ責任のあるお方、皆さんの事業を、皆さんの仕事を絶やさない責任のあるお方、買い戻しの責任と権利のあるお方がイエス様です。
このイエス様に寄りすがりましょう。これから祈る時においては、このイエス様、どうぞあなたの御翼を広げて私を覆ってください、このものを買い戻してくださいと祈りましょう。そうして皆さんを本当にこれから祝福して、皆さんのことを守り、生涯皆さんの事業、家庭を、また命を、絶やさぬ責任のあるお方として、このお方を迎え入れましょう。どうか、このお方にあって幸いである皆さんでありますように、イエス様のお名前によって祝福いたします。アーメン。
【結論】
ルツは異邦人モアブの出身でありながら、イスラエルの神の翼の下に避け所を求めました。神は、その翼の下に来る者を決して退けず、図らずもボアズとの出会いを与えられました。ボアズは、ルツのしたことをすっかり聞いており、彼女を親切に扱い、祝福しました。これは、イエス様が私たちのすべてを知っておられ、私たちのために豊かに備えてくださることの予表です。
イエス・キリストこそが私たちの真の買い戻しの権利者です。ルツがボアズに「あなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください」と求めたように、私たちもイエス様に「あなたの御翼を広げて私を覆ってください」と求めるべきです。へりくだって信仰をもってイエス様に従うならば、ルツのように祝福され、栄光の家系に組み込まれます。私たちの出どころではなく、私たちの信仰が肝心要なのです。
また、ナオミがルツにイスラエルの神を伝えたように、私たちも他の人々にイエス・キリストを伝える使命があります。神の憐れみと導きは、どんな立場の者にも開かれており、その翼の下に避け所を求める者には豊かな報いがあります。イエス様は私たちの家を、事業を、仕事を、命を絶やさない責任のあるお方として、私たちを祝福してくださいます。
真の戦い方とは(1列王記18:21-40) 2026/01/08 木 早天礼拝
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2026-1-8 20:20
2026/01/08 木 真の戦い方とは(1列王記18:21-40) 早天礼拝
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18:22 そこで、エリヤは民に向かって言った。「私ひとりが【主】の預言者として残っている。しかし、バアルの預言者は四百五十人だ。
18:23 彼らは、私たちのために、二頭の雄牛を用意せよ。彼らは自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂き、たきぎの上に載せよ。彼らは火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにして、たきぎの上に載せ、火をつけないでおく。
18:24 あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は【主】の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい」と言った。
18:27 真昼になると、エリヤは彼らをあざけって言った。「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席をはずしているか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう。」
18:28 彼らはますます大きな声で呼ばわり、彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた。
18:29 このようにして、昼も過ぎ、ささげ物をささげる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった。
18:33 ついで彼は、たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ、
18:34 「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ」と命じた。ついで「それを二度せよ」と言ったので、彼らは二度そうした。そのうえに、彼は、「三度せよ」と言ったので、彼らは三度そうした。
18:36 ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、【主】よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。
18:37 私に答えてください。【主】よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、【主】よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」
18:38 すると、【主】の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。
久しぶりにエポデ(祈り、御言葉)を活用して大勝利したダビデ(1サムエル記30章)
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- 執筆 :
- pastor 2026-1-7 21:10
久しぶりにエポデ(祈り、御言葉)を活用して大勝利したダビデ(1サムエル記30章)
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イエス様に捧げられたわずかなお弁当が五千人以上と働き人を養う(マルコ 6:30-43)
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- 執筆 :
- pastor 2026-1-7 16:10
イエス様に捧げられたわずかなお弁当が五千人以上と働き人を養う(マルコ 6:30-43)
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凝り固まって中々消せない心の黒板の落書きに対処する術(2コリント10:4-6)
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心の黒板の落書き(マタイ 4:1-4)
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今にも死にそうな貧しいやもめが偉大な預言者を3年も養った話(1列王記 17:13-14)
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- pastor 2026-1-5 13:20
今にも死にそうな貧しいやもめが偉大な預言者を3年も養った話(1列王記 17:13-14)
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1月の御言葉 イザヤ43:19
「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。」(イザヤ43:19)
今年最初のニューイヤーズ・イブ礼拝で、新年が明けた時のメッセージで示された御言葉は、アブラムに対する主の言葉、「恐れるな、(アブラム)よ。わたしは(あなた)の盾であり、(あなた)への、はなはだ大いなる報酬である。」(創世記15:1 逐語訳)でした。 主を自分の盾とし、主を自分の相続とし、報酬とする人が受ける報いは、非常に大きい! その報いの第一弾は、「主は全く新しくしてくださる」、です。
今月の御言葉、イザヤ43:19をより詳細に訳すと、以下のようになります。
「見よ。わたしは(今まさに)行っている。(これまでになかった全く)新しいことを。
今、芽生えているではないか。あなたはそれを知ろうとして行かないのか?
わたしは置く。荒れ地に道筋を、また乾いた地に川々を。」
すなわち、神ご自身が、今まさに行動を起こして新しいことが芽生えておられ(進行形)、しかも神は、
「あなたはそれを知ろうとしていないのか?」と、問いかけておられます。すなわち私達に、受け身で観察をするのではなく、信仰による洞察と応答を自分から積極的にしなさい、と、促すニュアンスになっています。
主は、主がなさろうとしている新しい事を積極的に知って行こうという姿勢を私達に求めておられるのです。
最近、1189テフィリンでは、伝道者の書を暗唱していますが、ソロモンはそこで真逆な事を言っています。
すべてのことは物憂く、日の下に新しいものは一つもない。これは新しい、と言われるものがあっても、それははるか先の時代に既にあったもので、それはもう記憶には無く、これから起こることも後の時代の人々の記憶には残らない。。。全てはむなしい、と。 私達はソロモンの言葉に同意するでしょうか?それとも??
忘れてはならない事は、これは、神様から段々離れて行ったソロモンが晩年に書いたもので、つまり、神から離れた人間が叡智を極めた結果、最終的に行き着く思想が、この伝道者の書である、という事です。
神様を「抜き」にして、世の知恵、世の富、世の楽しみを味わい尽くす者の行き着く先が、伝道者の書の思考ですが、それに対し、「主こそわたしの報酬」としている人に、主が準備しておられる報いは絶大です。
主に望みを置く人の行き着く先は、黙示録21-22章に記された永遠のいのちの喜びと、新しい希望です。
主は、言っておられます。これまでになかった全く新しいことを、今、まさに構築中だ、と。今、それが芽生えているではないか、と。外の桜は、今は枯れ枝のように見えますが、見た目はそうでも、その中では芽生えの準備を着々と進めています。 それと同じで、たとえ今、主がなさろうとしておられる事が見えず、枯れているかのように見えても、主は着々と、見た事の無いようなものを準備しておられ、それはある時、華やかに開花します。主は「あなたはそれを知ろうとして行かないのか?」と、私達の積極性を求めておられます。
主は言われます。「わたしは置く。荒れ地に道筋を。乾いた地に川々を。」と。 荒れ地は道なき所ですが、主は、そこに「道(デレク:道筋、方法、通り道)を設けてくださいます。どんなにめちゃくちゃで、道筋も方法も見いだせないところでも、私達の報酬であられる主は、そこに道筋を、方法を、通り道を置かれます。
また、乾いて生命なき所に、豊かさや命の象徴である川々(複数形)を置いてくださいます。
続く20節では「野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる」と書いてあります。たとえジャッカルのように荒々しく、弱いものを集団で食い物にするような者でも、あるいはだちょうのように、知恵も愛情も無い者であっても、主を知り、主をあがめるようになる、と書いてあります。 これこそ、主に望みを置く者の受ける報いであり、それは今までに一切なかった、全く新しいつくりかえが、主によって為されるからです。
しかし、世のものや、過ぎてしまった過去など、神ではないもの、すなわち、すたれるべきものに見入って、目を留め続けているなら、新しいものが来ても気づかないものです。ソロモンのように、神を除外した自分だけを見つめ続けていると、堂々巡りから脱出できません。 しかし、主を自分の「報い」とした人は、主が用意してくださる新しい命、新しい歩みの中を進むことができます。主を自分自身の「報い」として定め、今まで見たことも聞いたこともないような、全く新しい報酬を得ていく今年の皆さまでありますように!
