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主日礼拝

終わりの時代の残された者になろう(ローマ11:4-5)

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週報/メッセージ(説教)概要

 本日は復活祭(イースター)、主イエス様の復活を記念する日である。本日は特別に、テフィリン国際宣教会(TEIM)代表、キム・ヒョンジョン博士に、メッセージしていただく。
 『ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルに膝をかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」 それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。』(ローマ11:4-5)  
 この箇所は、旧約・第一列王記19章で、主がエリヤに語られた箇所からの引用である。かの時代、神の民と言われていた者達の誰もが、不信仰に陥ってしまった時代だった。そんな中、主に熱心に仕えたエリヤは、祈りによって天から火を降し、3年半も降らなかった雨が降るようになった。それを見た人々はこぞって「主こそ神です」と叫んで、信仰が一気に回復したかのように見えたが、たった一人の女・イゼベルの、たった一言によって、彼が今まで熱心に為して来た労苦と働きは、一瞬にして台無しになってしまった。
 エリヤは逃げて、大いに意気消沈し、「主よ、もはや充分です。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」と願うまでになってしまった(1列王記19:4)。 しかし主は、復活の主であり、主にとって「復活」はお手の物である。主は、心が死んでしまったかのような働き人を、復活させて下さる。
 
 エリヤは全てを放り出して、木の下で眠っていたが、そんな彼に主が送られたのは、彼が願っていた「死」ではなく、むしろ、焼いたパンと水だった。復活の主イエス様も、弟子達に同じようにして下さった。弱さ故に過ちを犯してしまった傷心の弟子たちに、主は現れ、ご自身が焼いて下さった魚とパンを、弟子たちに差し出された(ヨハネ21:9-13)。 私達の主は、そのようなお方である。そのような主の直接の養いは、苦心して働く働き人に親密に与えられる、特別な特権であり、それによって養われる働き人は、復活する。
 主は、傷心のエリヤに、御使いを遣わされた。『主の使は再びきて彼に触って言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから(NKJV: the journey is too great for you)」。彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。』(7-8節) エリヤにはまだ、多くの成すべき「使命」があった。たとえ傷つき、疲れ、倒れてしまっても、主は、そんな働き人に直接の養いを下さり、そしてそれを頂く人は、どんな険しく、長い道のりでも、進み行く事が出来る。そして、人にはとうて出来ない「主のわざ」をするようになって行く。復活の主は、死を打ち破る爆発的な力を下さるのだ。
 
 エリヤは神の山ホレブに到着し、主の御前に自分の思いを全て投げ出し、一対一で交わった。とても激しく。そして、とても親密に…。その時、主が言われたのが、この言葉である。 『しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を「残しておく(שָׁאַרシャエル)」。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」』(1列王記19:18) シャエル(残された者)法則。それは、主が取って置かれた者、残しておられた者を通して、主が時代に介入される法則である。 どういう人が「残された者」として、主に用いられる働き人となるのか。それは、御言葉暗唱をして、御言葉が息吹かれた働き人、である。
 終わりの時代、主が用いられる人は、忍耐して神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ち続ける聖徒(黙示録14:12)、つまり、1,旧約の戒めを守り、2,イエスを信じる信仰を持ち続ける、という二つの「守る(シャマール)」を持つ人、すなわち旧新約の御言葉をそのまま暗唱する人が、終末時代の主人公となるのだ。
 
 エリヤはこれ以降、もはや、独りで戦うのではなく、主のために戦う次世代を育て、建て上げる働きへ入る。
主はエリヤに「ダマスコのハザエルに油を注いで王とせよ」と命じられたが、ハザエルを王としたのはエリヤではなく、後継者のエリシャだった。その後、エリシャの預言者のともがらの一人が、ニムシの子エフーに油を注いだ(2列王記9章)。「預言者のともがら」は、リビングバイブルでは「預言者学校の生徒」と訳されている(2列王記2:3-5)。エリヤはかつて、預言者は全員殺されて自分しかいなくなった、と思ったが、主はバアルにひざをかがめない7千人を「残してシャエル」おられた。彼は後に、預言者学校を立ち上げ、多くの若手預言者たちを育成して行ったのだ。主と一対一で親密に交わり、復活の力を得たゆえである。
 今この時代、私たちは御言葉暗唱して、エリヤのように「御言葉暗唱学校」をつくり、暗唱学校の生徒を、主にある「残された者」として育て上げ、この時代に主のために使命をもって働き、主の栄光を届ける「時代の主人公」を育て上げていく私たちでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ

受難日:主の十字架を負ったクレネ人シモン(ルカ23:26-27)

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ソヘル・マヒィル・エズラ(エズラ7章)

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聖なる絶対服従待機組(ダニエル3章)

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人の中の最もへりくだった者を上に立てる主(ダニエル4章)

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主日礼拝

十字架の主への感謝はあるだろうか?(ヨハネ12:24-25)

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English Service: Why "Passion Week"?(Sol8:5-7) Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 本日は「棕櫚の聖日(パームサンデー)」、イエス様がろばに乗ってエルサレムに入城した時、人々が衣服やしゅろの葉を置いてイエス様を歓迎したのを記念する日である。イエス様は、群衆がしゅろの葉を持ってホサナと叫びながら迎える様を、どういう心境で見ておられただろう。彼はご存知だった。その一週間後、彼らの「ホサナ」は「十字架につけろ」へと変わり、弟子達からも、そして神からも捨てられる、という事を。
 群衆はなぜ、そのように様変わりしてしまうのか。弟子達はなぜイエス様を捨てたのか。それは、人は、自分が心地良く都合がいい事を「正解」とし、都合が悪く心地悪い事を捨て去る性質があるからだ。しかし主は言われる。『自分の「命(プシュケー:自分主体の心理)」を愛する者はそれを失い、この世で自分の命(プシュケー)を憎む者は、それを保って「永遠の命(ゾエ:霊的・天的生命)」に至るであろう。』(ヨハネ12:25)
つまり、自分の思い・意思・感情よりも、神の言葉、すなわちイエス様を選択する人は、復活の主イエス様へと接ぎ木され、永遠の命の源泉なる神へとつながり、後に続く世へ存続するいのちを獲得するのである。
 
 私達は本能的に、御言葉は正しい、とはわかる。けれども、御言葉が「良し」と示す事をせず、「悪し」と示す事を捨てずに、御言葉を無視して、あくまで自分の好む事を貫き通すなら、不義をもって真理を阻む事になってしまう(ローマ1:18)。そうしているなら、その分だけ、呪いめいた事、災いめいた事が起きてしまう。
 人はすべて、エデンの園以来、神の言葉に逆らって神から離れ、自分の善悪判断に従って歩み続けた故に、無意識的・自動的に、滅びへと向かう生き方以外を、知らなかった。しかしイエス様は、私達が知らないでやっていた罪については、十字架上で執り成し祈ってくださった。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と。そして本来私達が受けるべき罪の刑罰を、イエス様は、身代わりになって、受けてくださった。それを信じて、救われた人間が、私達・クリスチャンである。
 私達は、私達のために十字架上で痛まれ、私達の身代わりに死んで下さったイエス様への感謝を、どれ程、感じているだろうか。自分の罪に、申し訳なさを感じるだろうか。自分の弱さに、ふがいなさや悲しみが出てくるだろうか。そして、そんな自分が、罪と滅びから買い戻され、救われた事への感謝と喜びの感覚が、あるだろうか?主がして下さった事への感謝を、言葉だけでなく、ありとあらゆる感情や感覚をもってあらわす事、それが天国への道である。天国は永遠に、感謝と喜びの賛美があふれているからだ(黙示録5章)。
 
 しかし、もしひと度、福音を聞いて救われ、その喜びと御国の素晴らしさを味わっていて、敢えて御言葉を捨てて、自分のよかれで歩んで行くなら、その人の下すあらゆる選択は「愚鈍の極み(アスネトス)」となる。
 『なぜなら彼らは神を知っていながら神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いは虚しくなり、その無知な心(アスネトス)は暗くなったからである。』(ローマ1:21) 「感謝もせず」と訳された語ユーカリステオーは、感謝の意を表明する事である。英語の感謝(thanks)は、考える(think)と密接に関わった語である。
 つまり、神様への感謝は、具体的に表明すべきものなのだ。神様はこの案件に、どう介入し、いかに成功させて下さったか、その一つ一つを熟考し、感情を込め、具体的に感謝を捧げなさい、という事である。
 神をあがめ感謝すべき場面なのに、それらを捧げないなら、一つ、愚かさを積み上げる事になる。だから神への感謝が無い人は、次から次へと愚かになって行き、悪の力に縛られ、人生の諸々が、悲惨な状態へと傾いて行ってしまう。そうして「愚鈍の極み(アスネトス)」になると、物事を「正常に考える」という軸が無くなり、あらゆる事を、愚かで邪悪な方法で片付ける以外に、思いつかなくなり、サタンの手下として思うがままに用いられてしまう。そのような状態の人が助かる道は、1つしか無い。
「神に感謝する事!」  それも、 具体的に感謝を表明する事によって。
 
 私達は、私達のために十字架で痛まれ、悲しまれ、神に捨てられたイエス様に、感謝しても、し尽くせないはずである。イエス様が身代わりに死なれた事への申し訳なさ、自分のふがいなさ、そしてイエス様が為されたわざの故に、贖われ、救われた事への感謝や喜び、また、ありとあらゆる「感覚」を表現しながら、感謝と賛美を捧げる人には、全ての祝福が戻ってくる。ネブカデネザル王は、そうだった(ダニエル4章) 。
 この時期、十字架の主が具体的に自分に何をして下さったのか、今一度思い返し、感謝と賛美を捧げ、主との関係を一層親密に深めて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

 

 

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ

愚鈍の極み・アスネトス(ローマ1:16-21)

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時代を建て直すために主に用いられる人の性質(ネヘミヤ1-2章)

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約束が与えられても手をこまねいて実行しないでいると・・・(ヨシュア記18:8-28)

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新しい生活において身につけるべきたしなみ(エペソ4:25-32)

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