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くちびる

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礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2013-1-6 17:40

天声ではほぼ毎日礼拝が行われているため、今日が最初の主日という気があまりしませんでした。

新年に入って以来、日々の礼拝で特に示されている事は、「くちびるに気をつけよ」という事です。

いつもは午後の礼拝は午前の礼拝と同じ箇所からメッセージをするのですが、今日は導きにより、エペソ書から即席のメッセージが与えられました。

くちびるの良き実をたくさん結び、その良き実によって養われる一年でありますように。

祈祷会音声:1/3,1/4

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その他音声
執筆 : 
pastor 2013-1-5 2:48

2013/1/3 祈祷会(音声のみ) 聖霊と悔い改め:右クリックで保存
2013/1/4 祈祷会(音声のみ) 口を清めよ:右クリックで保存
 

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
御言葉への導き:右クリックで保存
ヘロデ(マタイ2章):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:御前に出る前の整え(出エジプト記19:9-15):右クリックで保存

『主はモーセに言われた、「あなたは民のところに行って、きょうとあす、彼らをきよめ、彼らにその衣服を洗わせ、三日目までに備えさせなさい。三日目に主が、すべての民の目の前で、シナイ山に下るからである。』(出エジプト記19:10)

主と出会う三日目のために身を聖別して衣服を洗うべき事を、主が命じられたように、私達も、主の御前に出る時は身を清めなければならない。
私達は何によって清められ、衣を洗って白くするのか。

『「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。』(黙示録7:13-14)
私達の衣、罪で汚れた衣を清くするのは、ただ神の子羊キリストの血によってである。
そうして自らを清める人は、神の御前に出て、聖所で仕える事が出来るのだ。

『それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。』(黙示録7:15-17)
主は、エジプトから出てきた民を、雲によって炎熱から守ったように、私達も自らを子羊の血で洗うなら、御座にいます方は私達の上に幕屋を張り、世のあらゆる炎熱から守って下さる。
主は、エジプトから出てきた民をマナで満たし、ほとばしる水によって潤して下さったように、私達も、自らを子羊の血で洗うなら、御座にいます小羊は私達の牧者となり、いのちの水の泉へと導いて下さり、もはや飢えることも渇く事もなくなるのである。

『あなたは民のために、周囲に境を設けて言いなさい、『あなたがたは注意して、山に上らず、また、その境界に触れないようにしなさい。山に触れる者は必ず殺されるであろう。手をそれに触れてはならない。触れる者は必ず石で打ち殺されるか、射殺されるであろう。獣でも人でも生きることはできない』。ラッパが長く響いた時、彼らは山に登ることができる」と。』(出エジプト記19:12)
三日目が満ちるまで、神の山に登る事はできなかったように、主の時が満ちる前に主の御前へ直接出る事は、かなわない。
しかし、主の時が満ちてラッパが響いた時、キリストにある人は、皆、御前へと挙げられなくてはならない。

『モーセは民に言った、「三日目までに備えをしなさい。女に近づいてはならない」。』(出エジプト記19:15)
女に近づいてはならない、とは、主から命じられていなかったが、モーセがそれを言ったのはどういう事だろうか。

男は女を求めるものであり、肉欲が過ぎると不品行に陥る可能性がある。そして、女にとっても、男はそのような存在である。
『男子は婦人にふれないがよい。しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。・・・ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、それからまた一緒になることは、さしつかえない。そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない。以上のことは、譲歩のつもりで言うのであって、命令するのではない。』(1コリント7:1-6)
ここでパウロが言っているように、心を主に向け専心して祈りる為に、互いに離れるのは、良い事である。

主の御前に出るべき時は、主以外の何か夢中になるようなものは、取り除いておく事に越したことはない。
私達が主に有用な者として整えられ、用いられたいのであれば、まず、自らを清めるべきなのである。

『大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。』(2テモテ2:20)

礼拝説教メッセージ音声:シナイ山到着(出エジプト記19:1-8):右クリックで保存

モーセはかつて主に呼び出された時、「あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」と言われていたが、いよいよその山のふもとへと、イスラエル民族を導いて来た。
今日の箇所は、神とイスラエル民族が契約する前の、双方の最終確認で、モーセがその介在人となっている。

主はまず民に言われる。
『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。』(4節)

鷲が卵を産むと、親鳥は卵に覆い被さって温め、ひなをかえし、ひなを翼で覆って守り、巣の中で養い育てる。
ひながある程度育つと、今度は飛ぶ訓練をするために巣の中から落とし、落ちていくひながまだ飛べないと、その上に舞いかけ、羽に乗せて運ぶ。

そのように、主はイスラエル民族を一人の人アブラムから興し、その子孫を御翼の陰で覆って守り、はぐくみ、育て、エジプトという巣において、ある程度まで成長したら、今度は荒野の中へと導き、鷲が翼に乗せてひなを運ぶように、荒野の民を導かれた。
イスラエルは、その一連の奇跡と不思議を、ずっと見続け、経験して来た。

「それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。」(5節)
主が大いなる御業を民に見せて来たのは「声に聞き従い、わたしの契約を守る」ためであった。
もし、その主の契約を守るなら「すべての民にまさって、わたしの宝となる」事が約束され、「あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう。」(6節)

神はなぜ私達を選び、神の民という地位、王である祭司、聖なる国民という地位へと就かせたのか。(1ペテロ2:9)
「それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(同10節)
会社で役職に就いたら給料は上がり、同時に責任も任される。それと同じように、神が私達を素晴らしい地位に就かせて下さるからには、神の栄光を伝えるという責任もまた伴う事を、忘れてはならない。

『民はみな共に答えて言った、「われわれは主が言われたことを、みな行います」。モーセは民の言葉を主に告げた。』(出エジプト記19:8)

しかし、民はその約束を守らなかった。
かえってエジプトに帰りたいと泣き叫び、モーセ達を石で撃ち殺そうとさえした。(民数記14章)
それで神は、約束を守らなかったその世代を、約束の地へ入ることをさせず、荒野で40年の放浪へと導かれた。

人は、神の定めた基準に到達する事は出来ず、律法からは、ただ人の中には罪がある事を示されるのみである。
しかし神は人を憐れみ、人が救われるようにと、新しい契約を授けて下さった。

『主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。
しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。』(エレミヤ31:31-34)

神は律法を石版に書き記したが、人は、それを守る事が出来なかった。
そこで神は人を憐れまれ、律法を成就して下さる御方・イエスキリストを世に送られ、この御方を信じる信仰によって罪赦され、新しいいのちへと導かれる福音を与えて下さった。
その新しいいのちに生きる人は皆、律法を成就した者とされ、神の目に義とされるのである。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
安息日の死守(ネヘミヤ記13:15-22):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
1ヨハネ5:1-5:右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:重荷を分かち合う時は(出エジプト記18:1-12):右クリックで保存

(本日の引用は口語訳ではなく新共同訳からです。)

『あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。モーセのしゅうとは、彼がすべて民にしていることを見て、言った、「あなたが民にしているこのことはなんですか。あなたひとりが座し、民はみな朝から晩まで、あなたのまわりに立っているのはなぜですか」。』(出エジプト記18:13)
モーセたった一人が民の問題をさばき、さばきを必要としている他の人達は、自分の順番が来るまで待つ。
そのようなやり方をしている様を見て、イテロは物申さずにはおれなかったのだ。

『モーセはしゅうとに言った、「民が神に伺おうとして、わたしの所に来るからです。彼らは事があれば、わたしの所にきます。わたしは相互の間をさばいて、神の定めと判決を知らせるのです」。』(出エジプト記18:15)
確かに、神と人との間に立つ人にさばきをしてもらう事は、正しい事である。
しかし、このような体制だと、些細な訴えが頻繁になされ、いたずらに裁判が増えてしまい、本当に必要な訴えが、長時間の間、ないがしろにされたまま、という事が大いに起こりうる。

『今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。』(出エジプト記18:19)
イテロは元々、ミデヤンの祭司だが、前回の箇所を見ると、彼は主の御業を見て喜び、主はあらゆる神々に勝って偉大な御方である、という立派な信仰告白をしている。(10,11節)
そして彼の助言内容も、実に聖書的である。

『わたしの言うことを聞きなさい。助言をしよう。神があなたと共におられるように。あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を/選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。』(出エジプト記18:19)

彼の助言で真っ先に来たのは、「あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ」る事。(19節)
つまり、モーセは諸々の小さい事を全部するよりも、まず、神と人との間に立って、執り成して祈る事に専念しなさい、というのである。

その次に助言した内容は「彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。」(20節)である。
すなわち、神のおきての何たるかを、神の側のスタンダードを、まず民全体に教えるべき事を勧めた。

そして第三に、民の長を立てて重荷を分散させるべき事である。
「あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を/選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。」(21節)

この、民の長となるべき人の選考基準も、3つある。
その真っ先に来るのが、「神を畏れる」人。
そして「有能な人」であり「不正な利得を憎み、信頼に値する(誠実な)人物」。である事だ。

イテロは実に良いアドバイスをモーセに与え、その結果、モーセの重荷は軽くなり、かつ本当に重要な事が出来るようになったが、モーセは完全にそのアドバイス通りにしていなかったようである。
次の箇所に注目したい。

『全イスラエルの中から「有能な人々」を選び、彼らを民の長、すなわち、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長とした。』(25節)
イテロの助言は、「神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物」を選考するはずだったのに、実際に、民の長として選ばれたのは、「有能な人々」としか書かれていない。

教会においても、指導者の立場に「神を畏れる人」よりも優先して「有能な人」を選んでしまうと、後々災いを招きやすい。
実際、コラの反逆の時、彼らは耳障りの良い言葉で有名人や有力者達を仲間につけ、神が立てた権威であるモーセと、神によって油注がれた大祭司アロンに反抗して立った。
神の国の運営においては、その人の信仰を確認せず単に「有能だから」という理由で安易に採用するのは、絶対に控えるべきである。

使徒時代の教会において、人数が増えるにつれて様々な問題が起きるようになった時、使徒たちは、どのような優先順位で事に当たったか。
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」(使徒6:2-4)

使徒たちは、社会的弱者の配給がなおざりになっている時、自ら事に当たって解決するのではなく、「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。」と言った。
そしてその問題には、「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人」に当たらせる事に決め、自分達はもっぱら、祈りと御言葉の奉仕に専念する、と言ったのだ。

それは一見、冷たく聞こえるようだが、これこそ正しい優先順位である。
今日の教会で色々な不都合が起きている最たる原因は、この優先順位を取り違え、祈りと御言葉の奉仕をないがしろにして、社会的弱者の配給に心砕いているような所にある。

この奉仕者の選考基準で、真っ先に来るのは“霊”に満ちた人であり、そして知恵に満ちた、評判の良い人である。
霊に満ちた人であるなら、その人は直接神に伺い、神の基準に沿った正しい判断をできる。
神の国の奉仕者は、人の知恵に頼るものではなく、神よりも人の知恵を優先するような人は、教会の上に立ててはいけないのだ。

祈祷会音声:12/25, 1/1

カテゴリ : 
その他音声
執筆 : 
pastor 2013-1-2 22:53

2012/12/25 昼祈祷会 キリストの降誕後:右クリックで保存 音声のみ
2012/12/27 祈祷会 聖霊に満たされよ:右クリックで保存
2012/1/1 祈祷会 悪魔に機会を与えるな:右クリックで保存 音声のみ
 

 

謹賀新年!

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2013-1-1 23:00

新年のご挨拶を申し上げます。

昨晩は20名ほどの聖徒達と一緒にニューイヤーズ・イブ礼拝を行い、カウントダウンして新年が開けた後、新年最初の礼拝を行いました。そのうち10名ほどの聖徒達は朝まで残り、そのまま早天礼拝に突入しました。

ニューイヤーズ・イブ礼拝音声:http://voice.of.christ.yokohama/media/3/other/130101o_newyeareve.mp3

また、昼の2時からは横浜訓盲院の子供たちが20名ほど来てくれて、一緒に新年礼拝を行いました。

元旦こども礼拝音声:http://voice.of.christ.yokohama/media/3/other/130101o_kunmouin_kodomoreihai.mp3

そしてさっきも、通常の夜礼拝。礼拝と御言葉にあふれた新年でした。

本年もまた、主イエスにあって、よろしくお願い申し上げます。

皆さんの上にも主の祝福が豊かにある一年でありますように!

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