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昨日は静岡の姉妹がランドマークスクエアにショッピングに来ているという事でしたので、合流させていただきました。

教会からランドマークまで徒歩30分もかからないのに、滅多に行っていないので、何層にも続く立派なショッピングモールと人混みを眺めながら改めて「都会だなぁ」と感じました。

あの区域は見て回るだけでも一日が過ぎてしまうので、レストランに入って交わろうという事になったのですが、最初に入った所はファミレスと思いきや、平均2,3000円の高額なお店でしたので、口実を作って退出させていただき、2店目に入ったファミレスはウエイトレスさんの衣装がかわいく値段も手ごろでしたので、そこで3時間ほど楽しい交わりができました。

どのファミレスに入ったか、分かってしまったかな??
 

昨日、教会にあるお客さん達が来て、天声教会についてお話したのですが、「天声教会」という名前は、日本人にはかなり怪しげなイメージを持ったネーミングだと確認しました。
韓国人にとっては怪しげなイメージを彷彿させるものは全く無いようです。
実を言うと、私もここに来た当初怪しげな名前だなと感じた事もありましたけれど、ここの主の臨在と聖徒達の暖かな交わりの心地良さに触れる内に、そんな事意識すらしなくなってきていました。
名前の変更も視野に入れて検討したほうがいいかもしれませんね。

ちなみに「天声教会」という名前の由来は、聖書マルコ1:11の御言葉です。
『そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」』
天からの声とは、何かの教祖のものでなく、怪しげな霊の声でもなく、神が認証された御子・イエスキリストの声であり、イエスキリストの御声に聞き従う教会でありたい、という事で、名付けられました。
ペテロはモーセやエリヤといった指導者や預言者を素晴らしいとしましたが、天からの声は「これ(イエスキリスト)は、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」(マタイ17:4,5)でした。

誰か人間(牧師や大先生、教祖)をイエスキリスト以上に担ぎ上げる事を、偶像崇拝と言います。
唯一、神と人との仲介者になられた、イエスキリストから直接聞く皆さんでありますように。

礼拝説教メッセージ音声: 義と節制と来るべきさばき(使徒24:22-27):右クリックで保存
韓国語通訳有

総督フェリクスは妻ドルシラと一緒にパウロを呼び出し、キリスト・イエスについて尋ねた。
フェリクスはユダヤ人を非情な仕方で押さえつけ、反乱をさらに大きくさせた、非情で不道徳な総督である。
ここに出てきた妻ドルシラは、元々アジザスという領主の妻だったが、フェリクスはそれを離縁させて第3番目の妻として召し入れていた。

さて、ここで想像していただきたい。
もしあなたがキリストの故に逮捕され、すんでの所で死刑から守られ、非情で不道徳な総督の元へと護送され、そこである程度の自由が与えられたとする。
その総督は、あなたを釈放する事も死刑にする事もできて、彼が「あなたの信じているキリスト・イエスについて聞かせて欲しい」尋ねたとしたら、一体何を語るだろうか。

そのような状況でパウロが語ったのは、愛や憐れみ、赦しではない。
義と、節制と、来るべきさばきについて(25節)であった。

大祭司アナニヤを筆頭にユダヤ教徒達は、身に危険も無かったのに、憎たらしいパウロを陥れたいがために、この不道徳な総督をおだて上げ、へつらった。
しかしパウロは、どんなに危うい立場にあろうとも、また目の前の人がどんな権威でどんな立場にあろうとも、その人にとって霊的に必要な戒めを与えたのだ。

私達もどんな状況にあろうと、また相手がどんなに力ある者でも、キリストについて尋ねられるのなら、その人にとって必要な御言葉を伝えなくてはならない。
語った事によってその人が怒ったり悲しんだりする事が簡単に想像できるような状況でも、御言葉は真実であるが故に、そのまま伝えなくてはならない。

フェリクスは、義と節制と来るべきさばきについての言葉を聞くと恐れ「この話はまたの機会に聞くとしよう」と言ってその場を閉じたが。
しかし、「またの機会」は訪れなかった。
彼はその後、何度かパウロと会うが、それも福音を聞くためではなく金をもらいたい下心のためで、その卑しい態度は改善される事無く、結局彼は2年後、その暴政のために皇帝ネロによって罷免され、死刑されそうにさえなったが、命だけはなんとか助けられた。
対してパウロはその2年間、兄弟姉妹達と比較的快適で有意義に過ごす事が出来、さらなるその後の主の働きの為に養われた。

いかなる状況においても御言葉を正しく伝え、祝福される皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:必ず最後に主が勝つ(使徒24:10-21):右クリックで保存
韓国語通訳有

総督フェリクスの法廷にて、大祭司アナニア他ユダヤ人長老達の訴えに対し、パウロは大胆かつ的確に反論した。
ユダヤ人達の訴えには具体性も根拠も無かったが、パウロの答弁は具体的で根拠もあり、説得力があった。
なぜパウロがこのように的確で知恵に満ちた対応が出来たのか。
それは主が約束された通り、聖霊に満たされ知恵が与えられたからである。

「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。
それはあなたがたにとって証しをする機会となる。
だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。
どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。」(ルカ21:12-15)

祭司長や長老達は、パウロ一人を巡って千人隊長や総督、その他多くのユダヤ人やローマ人を振り回したが、そのどさくさにキリストを証する機会が多く与えられ、多くの人々が福音を聞いた。

結局、最後に勝利してほくそえむ者とは、雄弁な弁護士を雇って訴える者ではなく、大声でわめいて衣服や塵を空中に撒き散らす者でもなく、憎む者を陥れたり目的を達成する為に恥も外聞も捨てられる者でもない。
勝利する者とは、イエスを主とする者である。
そして結局は何事も、主の一人勝ちになるのだ。

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんが主イエスキリストにあって健やかでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:栄光を捧げるべき主・十字架のイエス(ルカ23:33-43)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

「されこうべと呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。」(ルカ23:33)
我々人間は、老いも若きも、金持ちも貧乏人も、主人も奴隷も、されこうべ、即ち死へと皆向かっている。
そして我々人間は皆、神の御前で犯罪人であり、イエス様の右か左か、どちらかに行くことになっている。
十字架は人を、右と左、すなわち永遠の救いと滅びのどちらかへと切り分ける。その分かれ道は何だろう。

指導者達も、兵士達も、受刑者の一人も、共通してイエス様に「自分自身を救え」と言っている。
しかしイエス様は自分を”救えなかった”のではない。圧倒的な天の兵力を動因する権力も、自身を奇跡的に救う力もあったのに”敢えて自分を救わなかった”のが正しい言い方である。
もしイエス様が圧倒的力によって自分を苦しめる者を滅ぼしたりしていたら、救いは「圧倒的力」による事になってしまい、そして神の王国は、圧制によって支配する恐怖政治の極みとなってしまっていただろう。
そして何より、もしイエス様が十字架から降りて自分を救ったなら、人類に救いは無かったのだ。
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」
その時その場所で無事だったから分からないが、主のこの言葉によって、知らずにのんきに罵詈雑言を丸投げしている彼ら(我々)は執り成され、義なる神からの聖なる炎によって滅ぼされずに済んだのである。

人は思う。自分を救ってくれるのが神だ、願いを叶えてくれたら神だと認めてやるよ、と。
自分の願いを叶えてくれるのが神、自分を救うのがメシヤだと、人は当たり前のように思い込んでいるが、「主」は自分ではなくイエスとすべきであり、自分の願いではなく、神の願いの方を救うべきである。
自分を滅びから救ってくれた方を嘲り、罵り、どんちゃんさわぎする所に、滅びに向かう人の愚かさがある。
イスラエルの民は、神は牛のように俺達の役に立ってほしいと鋳型に自分の願いを嵌め金の子牛を造った。
滅びに向かう者の特徴とは、自分が正しい、イエス様が間違っている、とする事である。

それに対し、救いに向かう者の特徴は、自分が間違っている、イエス様が正しい、とする者である。
その日、唯一パラダイスに行った者を詳しく見たい。
「我々は自分のやった事の報いを受けているのだから当然だ。しかしこの方は何も悪い事をしていない。」
彼は、自分が今受けている苦しみは自分の罪の当然の報いであり、イエス様は悪い事は何もしなかった、と告白した。これが、イエス様と共にパラダイスに行く者の特徴である。
「御国の位におつきになる時には、思い出してください」(40節)
彼もイエス様も死刑の真っ最中で、あと数時間で死ぬはずである。なのに、なんと、その先の話をしている。
しかもなんと、十字架刑という最高の苦しみと恥辱の死の向こう側に、「御国」があると告白している。
彼はイエス様を、生死を越えた王であると認め、十字架の向こう側には栄光の御国があると告白し、「私の事を思い出してください」と言ってイエス様に個人的に関わって欲しい事を申し出た。
これもイエス様と共にパラダイスに行く者の特徴である。

この告白をした者は強盗で、死刑判決を受ける程の悪人である。
教会に行ったことも無ければ、良い事をした事もあまり無く、生涯の最後の最後、死刑執行の真っ最中に告白しただけで、パラダイスに行けると約束された。
どんな生き方をして来たのか、どんな状況にあるかは全く関係無い。
パラダイスに行く者とは、自分は罪人であり、キリストが義人であると認め、キリストこそ生死を越えた王であると認め、十字架の向こう側には、栄光の御国があると告白し、主と個人的に関わって欲しいと進み出る者である。
そのように主に告白して、その日をパラダイスとする皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

かつてオカルトの儀式に関わっていた方ですが、先週と比べると見違えました。

先週は、不安に満たされていて何時間話しても「怖い」しか出て来なくて普通の会話が出来ませんでしたが、段々自信と平安が支配するようになってきて、今週は普通の会話も楽しめるようになりました。

良い方向に変わる人とは、御言葉を聞く人、理解した御言葉を曲がりなりにも行おうと努力する人です。

そういう人ならどんな状況にあっても必ず良くなって行きますが、耳も心も頑なな人は、どんな大声で戒めても悪いまま何年も変わりません。

礼拝説教メッセージ音声:イエスの血(ヘブル9:15-28):右クリックで保存
韓国語通訳有

我々はイエスの血と良く言うが、イエスの血はどのような力があるのだろうか。

1、血はいのちそのもの、いのちを買い取る代金である(レビ記17:11)
いのちの代金の支払いは、人のがんばりや修行ではどうにもならず、血によって支払わなくてはならない。
大祭司は血を携えずして至聖所で贖いのつとめが出来ないのは、血がいのちの代金だからであり、それ無しで至聖所に入るのは、代金なしで店に入るようなもので、罰を免れない。
過越の子羊の血は、いのちの代金が支払い済みの領収書であり、もはや死も呪いも罰も寄り付いてはならない、という印である。

2、血は清めの役割を果たす(ヘブル9章14、22節)
旧約の祭儀規定は全て天の模型に過ぎず、自分の血ではない血を携えて年毎に捧げていたが、キリストは天そのものに入られ、ただ一度、ご自身を捧げる事によって完全ないけにえを捧げ、完全な勤めを果たされた。
「まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。」(9:14)

3、血は叫ぶ(創世記4:10、ヘブル12:22-25)
不当に流された血は神に叫び、その者に呪いをもたらす。
イエス様の血は不当に流され、その血の叫びによってイエスの敵は告訴され、糾弾され、呪われているのである。
我々がイエスと共にいるのであれば、イエスの血は神に対して弁護の叫びをするのである。

すなわち、キリストの血を塗るという事は、神の御子キリストの命そのものを塗る、という事であり、
血塗られた者の罪を消毒し、良心を清め、死んだ行いを改めさせ、
滅ぼす者も、呪いも、死も、その血を見て過ぎて去り、
塗られた血は敵に対しては呪いを、神に対しては弁護を叫ぶのである。

このアベルの血よりも優れた事を語りかけるイエスの血(ヘブル12:22-25)を、我々はどうして軽んじることが出来るだろうか。
語っておられる方を拒まぬよう、よくよく注意しなくてはならない。

詳細は音声メッセージで。。。
http://voice.of.christ.yokohama/media/2011/kitoukai/110629k1_iesunoti.mp3

イエスの血にあって守られ、血の全ての効力をまんべんなく享受できる皆さんでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

K姉妹はiPhoneを1週間使ってみて、結局前の携帯に戻る事にしたようです。

機能がありすぎて、間違った操作を多発してしまうのです。

情報や嗜好があり過ぎると、過ちも増し加わるものですね。

礼拝説教メッセージ音声:主張をゴリ押しする者(使徒24:1-9):右クリックで保存
韓国語通訳有

大祭司アナニヤはテルトゥルス(別訳:テルトロ)という弁護人(原意:雄弁家)と長老数名を連れて、はるばるカイサリアへやって来て、フェリクス(別訳:ペリクス)総督にパウロを告訴した。
テルトゥルスは慇懃な言葉でフェリクスを褒め称え、パウロをあたかも世界中で紛争を起している原因であるかのように、吹き込んだ。

フェリクスといえば総督の地位に就いて以来、その非情さのため数々の騒動が起こり、穏健派ユダヤ人さえも反乱した人物である。
忠実に神に仕えるはずのユダヤ人宗教者は、雄弁な弁護士を雇って訴えたり、敵に媚びたり、大声でわめいて衣服や塵を空中に撒き散らしたりと、憎む者を陥れる為にあらゆる手段を駆使する。
それはユダヤ人指導者達に限らず、現代における敵の常套手段でもあるし、我々の中にもそのように主張をゴリ押ししたい願望は大いにある。

しかし、そうした人間的な欲望を収め、自分の手練手管でのやりくりを止め、主権をキリストに明け渡し支配を委ねる者には、キリストの支配がその者を包み、全ての事は最善へと導かれてゆく。
パウロは裁かれようが無い訴えによって公に裁かれたからこそ、カイサリヤにおいて兄弟姉妹との2年が与えられ、ローマ行きも可能となった。
パウロがこの場面で受けている局面から、敵のがんばりは我々をさらに優位な所へ導くネタに過ぎない事を、今の時代の私達に教えている。

詳細は音声メッセージで。。。

今日も皆さんが主イエスキリストにあって健やかでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!

教会はいつも長老に掃除していただいているのですが、その際、よくホームページのサーバの電気も落としてしまいます。

コンピューターを知らない長老には、サーバは外見上何も働いていないのに電気だけ使っているナゾの物体で、教会の電気節約のために気を遣ってくれているようです。

サーバは外見上何も働いていないようでも、インターネットという世界では重要な働きをするものです。

パスターも社会的には何も働いていないナゾの人物かもしれませんが、案外、別の世界では重要な役割を担っているかも知れません。。。

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