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新王国の中からふるい分けられた毒麦(1列王記2:26-35)
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アドニヤは、相変わらず自分が王になる企みを持ち続けていたという事が発覚し、死という報いを受けたが、彼に与していたアビヤタルとヨアブにも、その彼に与した罪が問われる事となった。
彼らは長年ダビデ王に仕え、ダビデ王の治世では大いに活躍して来たのに、ダビデを捨ててアドニヤについてしまった故に、その長年仕えて来た実績も、また活躍して来た功績も、全て無駄となってしまった。

『王はまた祭司アビヤタルに言った、「あなたの領地アナトテへ行きなさい。あなたは死に当る者ですが、さきにわたしの父ダビデの前に神、主の箱をかつぎ、またすべてわたしの父が受けた苦しみを、あなたも共に苦しんだので、わたしは、きょうは、あなたを殺しません」。そしてソロモンはアビヤタルを主の祭司職から追放した。こうして主がシロでエリの家について言われた主の言葉が成就した。こうして主がシロでエリの家について言われた主の言葉が成就した。・・・王はまた祭司ザドクをアビヤタルに代らせた。』(1列王記2:26-27、35)
アビヤタルの先祖をたどると、あの劣悪な祭司のホフニとピネハス、そして彼らの父・エリの子孫である。
エリの子孫が祭司職から罷免される事は、実は、サムエルがまだ幼子だった時代から預言されていた事であった。

当時、エリの子ホフニとピネハスは、人々の主への尊い捧げ物を横領して自分の私服を肥やし、また、主に仕える女性達と、ふしだらな事をしていた。
それらの事で主を怒らせ、主は、預言者を遣わして彼らを戒めたのに、行状を一向に改めず、エリもまた、彼らに口先で戒めはしても、そのまま祭司職に留まらせ、こうして、神と人との前に罪を犯させ続けた。
そこで主は、彼らに、明確な警告を与えられた。
『見よ、日が来るであろう。その日、わたしはあなたの力と、あなたの父の家の力を断ち、あなたの家に年老いた者をなくするであろう。そのとき、あなたは災のうちにあって、イスラエルに与えられるもろもろの繁栄を、ねたみ見るであろう。あなたの家には永久に年老いた者がいなくなるであろう。・・・そしてあなたの家で生き残っている人々はみなきて、彼に一枚の銀と一個のパンを請い求め、「どうぞ、わたしを祭司の職の一つに任じ、一口のパンでも食べることができるようにしてください」と言うであろう。』(1サムエル記2:31-36)
彼らは、この警告を受けても、行状を改めなかった故に、その警告の通りになってしまう。

『しかしあなたの一族のひとりを、わたしの祭壇から断たないであろう。彼は残されてその目を泣きはらし、心を痛めるであろう。またあなたの家に生れ出るものは、みなつるぎに死ぬであろう。あなたのふたりの子ホフニとピネハスの身に起ることが、あなたのためにそのしるしとなるであろう。すなわちそのふたりは共に同じ日に死ぬであろう。』(1サムエル記2:33-34)
この言葉の通り、エリも、二人の息子ホフニとピネハスも、同じ日に、死んでしまう。(1サムエル記4章)
彼ら全員の死が、ピネハスの妻に知らされた時、生まれた子は「イカボデ(「栄光無し」の意)」と名付けられ(同4:19)、そしてイカボテの兄・アヒトブが、後の祭司職を継ぐ事になる。
しかし、そのアヒトブの子・アヒメレクの代になると、エリの子孫の祭司たち85人は、サウル王により剣で虐殺され(同22章)、こうして、「あなたの家に生れ出るものは、みなつるぎに死ぬ」という預言が成就した。

この時、一人だけダビデの所に逃れて来たのが、今回、ソロモン王によって罷免された、アヒメレクの子・アビアタルである。
アビヤタルは、ダビデ王の時代、ダビデと苦楽を共にし、大祭司に任じられたのだが、結局、彼も最後までダビデに忠誠を尽くさなかった故、この度、罷免されてしまったのだ。
こうして、大祭司の一族は、エリの一族から、ツァドクの一族へと切り替わったわけである。
こうして、「あなたの一族のひとりを、わたしの祭壇から断たないであろう。彼は残されてその目を泣きはらし、心を痛めるであろう。」「そのとき、あなたは災のうちにあって、イスラエルに与えられるもろもろの繁栄を、ねたみ見るであろう。」という、昔に預言されていた事も、成就したのだ。

実を言うと、祭司の一族が、エリ一族からツァドク一族へと切り替わった事は、本来あるべき姿に戻った事である。
その「本来あるべき姿」とは、もっと昔、モーセの時代に定められた事だった。

この度、罷免されたアビヤタルの父祖・エリは、アロンの四男・イタマルの子孫であるが、民数記25章によると、正当な大祭司の職を継ぐ子孫とされるべきは、アロンの三男、エルアザルの子・ピネハスの子孫であるべきだった。
彼らの父祖・エルアザルの子ピネハスは、主に熱心であり、イスラエルが異邦の女と淫らな事をしていた時、それを排除して主の賞賛を受け、彼の子孫は永遠に祭司職となる、という約束を主からいただいた。(民数記25:10-13)

今回ソロモンに任命されたツァドクこそ、実は、このエルアザルの子ピネハスの子孫である。(エズラ7:1-5)
ツァドクの子孫は後に、イスラエル人が迷って主から離れた時も、主の聖所の任務を忠実に果たした、という、主の賞賛をいただき(エゼキエル44:15)、それ故、彼らは主の近くで主に仕え、祭壇のつとめが許された。
さらに、ツァドクから生まれた後の子孫には、バビロン捕囚から帰還した時の偉大な指導者・エズラがいる。(エズラ7:1-5)
彼らの父祖・ピネハスといい、この度のツァドクといい、エズラといい、この一族は、主に対する熱心と義を貫き通す、素晴らしい祭司一族なのだ。

エリの家は、確かに祭司という栄誉を得ていた。
しかし彼らは、主に対しまた職務に対し忠実でなかった故に、祭司職から降ろされてしまった。
この事は、私達キリスト者も、心に留めるべきである。なぜなら、私達キリストを信じる者たちも、キリストにあって祭司職を得ているからだ。
主は、石ころからでもアブラハムの子孫を起こす事がおできになる方であり、悔い改めに相応しい実を結ばずに、罪の苦い実ばかり結んでいるとするなら、もみがらのように投げ捨てられ、焼かれてしまうのだ。
祭司職を軽んじているなら、それが取り上げられ、その職は、別の者へと移ってしまうのだ。(使徒1:20)


さて、続いてヨアブについてである。
『さてこの知らせがヨアブに達したので、ヨアブは主の幕屋にのがれて、祭壇の角をつかんだ。ヨアブはアブサロムを支持しなかったけれども、アドニヤを支持したからである。』(1列王記2:28)

ヨアブはダビデ王の存命中、イスラエルにおいて、軍事的な面で最も活躍した、有能な軍団長であった。
しかし彼は日頃、主君ダビデを軽んじ、王の命令を度々無視し、また、罪なき血を流してきた。
そしてダビデ王の治世の終わりに、彼は、ダビデ王の推すソロモンではなく、アドニヤのほうに組した事により、いよいよ彼もさばきを受ける時が来た。

ヨアブは、アドニヤが処罰された事を聞くと、祭壇に入ってその角をつかむという、アドニヤが最初に憐れみを受けた時と、全く同じ事をした。
アドニヤは最初、それを行った時は放免されたが、ヨアブはどうだったか。

『ソロモン王はエホヤダの子ベナヤをつかわし、「行って彼を撃て」と言った。ベナヤは主の幕屋へ行って彼に言った、「王はあなたに、出て来るようにと申されます」。しかし彼は言った、「いや、わたしはここで死にます」。ベナヤは王に復命して言った、「ヨアブはこう申しました。またわたしにこう答えました」。そこで王はベナヤに言った、「彼が言うようにし、彼を撃ち殺して葬り、ヨアブがゆえなく流した血のとがをわたしと、わたしの父の家から除き去りなさい。』(1列王記2:29-31)
ヨアブは、赦されなかった。なぜなら彼は、平和な時に、罪なき血をゆえなく流して来たからである。
『主はまたヨアブが血を流した行為を、彼自身のこうべに報いられるであろう。これは彼が自分よりも正しいすぐれたふたりの人、すなわちイスラエルの軍の長ネルの子アブネルと、ユダの軍の長エテルの子アマサを、つるぎをもって撃ち殺し、わたしの父ダビデのあずかり知らない事をしたからである。それゆえ、彼らの血は永遠にヨアブのこうべと、その子孫のこうべに帰すであろう。しかしダビデと、その子孫と、その家と、その位とには、主から賜わる平安が永久にあるであろう」。』(1列王記2:32-33)

彼は本当は、もっと昔に処罰されるべきだった。
なぜなら律法には、罪なき血を流す者は、たとえ祭壇に逃げ込んだとしても、必ず殺されなくてはならない、と記されているからである。
『人を撃って死なせた者は、必ず殺されなければならない。しかし、人がたくむことをしないのに、神が彼の手に人をわたされることのある時は、わたしはあなたのために一つの所を定めよう。彼はその所へのがれることができる。しかし人がもし、ことさらにその隣人を欺いて殺す時は、その者をわたしの祭壇からでも、捕えて行って殺さなければならない。』(出エジプト記21:12-14)
誤って人を殺してしまった人には、のがれの町に逃れて、復讐者から守られるという保護策が主から与えられているが、意図的に故なく人を殺すような者に与えられるような保護策は、ない。

『そこでエホヤダの子ベナヤは上っていって、彼を撃ち殺した。彼は荒野にある自分の家に葬られた。王はエホヤダの子ベナヤを、ヨアブに代って軍の長とした。王はまた祭司ザドクをアビヤタルに代らせた。』(1列王記2:34-35)
こうして、ダビデ王に長年仕え、ダビデ王と共に生きて活躍した二人の重要人物は、一方は罷免され、一方は殺されてしまった。

私達も気をつけなくてはならない。
いかに、主の働き人として重要なポストにいようとも、また、それがいかに長年で、いかに活躍の実績があろうとも、やがては心の内が露わにされる時が来る。
その日、主の倉に入れられる側に入るか、それとも、外に投げ出されてしまうのか、それは、日頃の表に出ない「心の内に秘めた忠実さ」に左右される、という事を、よく心に留めておくべきである。

男性ではなく女性をターゲットに惑わす悪しき者の常套手段(1列王記2:13-25)
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偉大な王・ダビデが死んだ。
そこで、アドニヤがまたしても、良からぬ企みを起こす。
『さて、ハギテの子アドニヤがソロモンの母バテシバのところへきたので、バテシバは言った、「あなたは穏やかな事のためにきたのですか」。彼は言った、「穏やかな事のためです」。』(1列王記2:13)

アドニヤは、ソロモンの母、バテ・シェバの所に来た。
彼が来た時、彼女は真っ先に「あなたは穏やかな事のためにきたのですか」と問うたが、そんな質問は、誰にでもするようなものではない。
彼女が真っ先にそんな質問をしなければならなかった事が、アドニヤがいかに普段から平和とは反対の人物であったかを物語っている。

『彼はまた言った、「あなたに申しあげる事があります」。バテシバは言った、「言いなさい」。彼は言った、「ごぞんじのように、国はわたしのもので、イスラエルの人は皆わたしが王になるものと期待していました。しかし国は転じて、わたしの兄弟のものとなりました。彼のものとなったのは、主から出たことです。』(1列王記2:14-15)
彼は何か、とてつもなく身の程知らずな勘違いをしている。

主が定められたダビデの正統な跡継ぎである王は、ソロモンだった。
それなのに彼はそれを無視し、自分が王になろうと、しゃしゃり出たが、結局、ダビデ王も、世間も彼にはつかなかった。

彼は「イスラエルの人は皆わたしが王になるものと期待していました。」と言っているが、ソロモンが王になった時、群衆の歓声は地が割れんばかりになり、アドニヤについていた人々は皆、震え上がって、彼を独り残し離れて行き、彼自身も、神殿の角を握り締めてまでして赦しを乞い願ったのを、彼はすっぽり忘れてしまったのだろうか。
本当なら彼は、反逆罪で殺されても不思議でない所を、ソロモンに憐れみを受け、命拾いした身であった。
それでもなお、「ごぞんじのように」「国はわたしのもので」と言って、あたかも自分が王になる事が当然であるかのように、そして現状、自分の弟が王になっている事が不当であるかのような物言いをしている。
高ぶる者は、悔い改めが無い故に、周囲や場の空気が読めず、また、過去に起きた事を忘れ去って、どうしても自分を滅ぼしてしまうための行動を取ってしまうものである。

彼は、懲らしめを受けずにちやほやされながら育っているので、全世界は自分の思い通りに動く、という、根拠の無い錯覚が、彼の不動の世界観となって、疑わないのだ。
しかし悲しい事に、自分に自信が無い人や、気が弱い人は、その者の言葉がどんなに勘違い甚だしくても、美貌と自信と勢いをもって確信犯的に畳み掛けれてしまうなら、飲まれてしまうものだ。
バテ・シェバは元々は一平民であり、また、スキャンダラスな形である日突然ダビデ王家に入ってきたため、彼女は王家の中でも肩身が狭かっただろうし、アドニヤはそんな彼女をやり込める自信はあっただろう。

『今わたしはあなたに一つのお願いがあります。断らないでください」。バテシバは彼に言った、「言いなさい」。彼は言った、「どうかソロモン王に請うて、――王はあなたに断るようなことはないでしょうから――。』(1列王記2:16-17)
アドニヤは、母バテ・シェバの願い事なら、ソロモンは断らない、と、確信犯的に言っている。
彼は、ソロモンに自分の願い事を通すには、まずは、ソロモンが言うことを聞いてくれる女・バテ・シェバを落とす事が近道だ、と、踏んでいたわけである。
そしてバテ・シェバなら、自分の美しい外見と、勢いと、確信に満ちた言葉で押すなら、落とすのはたやすい、と。

男を落とすために、まずは、彼の大切な女性から落とす・・・どこかで聞いた話である。
そう、この手法は、エデンの園の時以来、サタンが人を堕落させるために用いてきた、古典的常套手段である。

男性は、女性が、「蛇(サタン)」に由来するものを持ってきた時、アダムのように、それをそのまま受け取って食べてしまってはならず、そのような時には主にある不動の立場に立ち、御言葉に基いて、正しい方向へと、女性をリードして行くべきである。
もしかすると、女性は時に、蛇(サタン)が投げて来た負の思い、激浪のような感情に翻弄された状態で、突然男性の前に現れるかもしれない。
そのような状態の女性に、深夜、突然起こされてしまうかもしれないし、仕事中に突然そのような状態の女性から、電話がかかってくるかもしれない。
そのような時、男性はそれを「彼女由来のもの」として、そのまま「食べて」しまってはならない。
それでは、背後にいる「蛇(サタン)」の思う壺である。
もしそれを彼女の手から「食べて」しまうなら、アダムとエバのように、責任のなすり合いといがみ合いの末、男女ともども「失楽園」してしまう。

男性は、女性がそのようになってしまった場合、その向こう側で操る「蛇(サタン)」のたくらみを見抜いて、女性を責めるのではなく、サタンを責めるべきだ。
そうして、家庭の中に、男女関係の中のエデン(喜び、楽しみ、の意)を守らなくてはならない。
ちょうど、ソロモンがバテ・シェバを責めるのではなく、彼女を通して背後で操ろうとしたアドニヤを責めるように。

アドニヤがバテ・シェバに言った内容は、次のものだった。
『シュナミびとアビシャグをわたしに与えて妻にさせてください。』(1列王記2:17)
これは一見すると、害がないかのように思える。
バテ・シェバはよく分からずに、この言葉をそのままソロモンの所に持って行く。

バテ・シェバはソロモンに願う。
『「あなたに一つの小さいお願いがあります。お断りにならないでください」。王は彼女に言った、「母上よ、あなたの願いを言ってください。わたしは断らないでしょう」。彼女は言った、「どうぞ、シュナミびとアビシャグをあなたの兄弟アドニヤに与えて、妻にさせてください」。ソロモン王は答えて母に言った、「どうしてアドニヤのためにシュナミびとアビシャグを求められるのですか。彼のためには国をも求めなさい。彼はわたしの兄で、彼の味方には祭司アビヤタルとゼルヤの子ヨアブがいるのですから」。』(1列王記2:20-22)
ソロモンは、バテ・シェバには見抜けなかったアドニヤの企みを、全て見ぬいた。

アビシャグを妻として求める裏には、どんな意図があるか。
アビシャグといえば、父ダビデの老いた体を温めるために、ダビデに侍らせられた女で、ダビデは彼女と肉体関係は持っていなくても、ダビデと床を共にしていた女性である。
その女性を妻とするなら、自分はダビデの女性をめとっている者だ、ひいては、ダビデの王位を継ぐに相応しい者だ、と主張する取っ掛かりを得られる事になる。

もっとも、そんな事をした所で、ソロモン王権には全く傷はつかないであろう。しかし問題は、事の大小ではなく、アドニヤの心がどこに向かっているか、である。
「ごぞんじのように」「国はわたしのもので」「イスラエルの人は皆わたしが王になるものと期待していました。」「しかし国は転じて、わたしの兄弟のものとなりました。」などと言って、母・バテ・シェバにその願いを持ってきた以上、もはや彼が王になろうとして、王権転覆の志を今だに持ち続けていた事は、確定的である。
これは、小さな事であっても、決して野放しにしていてはならない。

『そしてソロモン王は主をさして誓って言った、「もしアドニヤがこの言葉によって自分の命を失うのでなければ、どんなにでもわたしを罰してください。わたしを立てて、父ダビデの位にのぼらせ、主が約束されたように、わたしに一家を与えてくださった主は生きておられる。アドニヤはきょう殺されなければならない」。ソロモン王はエホヤダの子ベナヤをつかわしたので、彼はアドニヤを撃って殺した。』(1列王記2:23-25)
このように、彼は殺されてしまった。ひと度憐れみを受けたのに、それでもなお恩を仇で返すような者だったからだ。

私達は、高慢は滅びに先立つ(箴言16:18)事を、よく心に止めておかなくてはならない。
そして私達も、ソロモンのような、見分ける知恵と啓示の霊が与えられるように、求めるべきである。
人が何かたくらみを持って来た時、それを見抜けるように。
そして、惑わされてしまっている人の背後に働くサタンの意図を見破り、その人ではなくサタンをイエスの名によって処罰する者でありたい。

ダビデの死と、そしてダビデの永遠の将来(1列王記2:1-12)
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『ダビデの死ぬ日が近づいたので、彼はその子ソロモンに命じて言った、』(1列王記2:1)

ダビデは死を目前に、彼の後継の王であるソロモンに、個人的な指示をする。
その内容は、ソロモンが成功するためのアドバイスと、そして、ある人達をどう扱うべきかの指示であった。

『「わたしは世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくなければならない。あなたの神、主のさとしを守り、その道に歩み、その定めと戒めと、おきてとあかしとを、モーセの律法にしるされているとおりに守らなければならない。そうすれば、あなたがするすべての事と、あなたの向かうすべての所で、あなたは栄えるであろう。』(1列王記2:2-3)
まずは、強くあって男らしくせよ(原意:男である事を示せ)と命じている。
それも、神である主のさとし(charge)を守り、その道に歩み、その定め(statutes)と戒め(commandments)と、おきて(judgments)とあかし(testimonies)とを、モーセの律法に従って守れ、と。
これが全ての事、全て所において成功し、栄える秘訣であるからだ。

強さ、男らしさは、御言葉あっての男らしさでなくてはならない。主を恐れる事と御言葉なき「男らしさ」は、野蛮に過ぎない。
かつては野蛮と言われていた国でも、御言葉の福音が入った後は、野蛮さが抜け、秩序的な文明国になって行った例は、世界に沢山ある。(北欧のバイキングなど)
だから私達も、御言葉に基づいて、勇気と力を発揮すべきであり、それを除外した勇気と力は、単なる蛮勇に過ぎないのだ。

『また主がさきにわたしについて語って『もしおまえの子たちが、その道を慎み、心をつくし、精神をつくして真実をもって、わたしの前に歩むならば、おまえに次いでイスラエルの位にのぼる人が、欠けることはなかろう』と言われた言葉を確実にされるであろう。』(1列王記2:4)
主はかつてダビデに、彼の王権は、決して取り去られない、という事を、約束された。(2サムエル記7章)
しかし結論から言えば、王権は確かにダビデからは取り除かれなかったが、ソロモンは人生の後半、父ダビデの命令を守らず、主から離れ、偶像礼拝をし、堕落してしまったため、ソロモンの子孫からは、王権が取り上げられてしまった。
実は、イエス・キリストは、ダビデの血は継いでいても、ソロモンの血は継いでいないのだ。これはどういう事か。

マタイ一章の系図は、ダビデ王族としてのイエスキリストの系図で、ダビデからソロモンが生まれ、その後、しばらく王権は続くが、バビロン捕囚以降、王は立たなくなってしまい、そうしてイエス・キリストの時代まで続いている。
イエス様は、聖霊によってみごもり、処女マリヤから生まれているため、「養父」ヨセフの血を継いでいない。それは、「継いではならない」理由があるからだ。

系図の中、マタイ1:11に、エコニヤの名があるが、彼とその前の王達は、あまりに悪い事をし続けたため、主は以下のように預言している。
「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである。」(エレミヤ22:30)
実際、エコニヤ以降に王は出なかった。

では、イエス様は王族ではないのか?ダビデの子ではないのだろうか?いいや、ダビデの子であり王族である。
実は、ルカの福音書三章に、もう一つの系図がある。
この系図は、マリヤの家系の系図であり、マタイ一章のヨセフ系図では、ダビデの子はソロモンであるが、ルカのマリヤ系図では、ダビデの子はナタン(バテ・シェバの子でソロモンの兄:1歴代3:5)となっており、それ以降のマタイとルカの系図は、分岐している。
つまり、イエスの母マリヤは、歴代の王族の家系ではないものの、れっきとしたダビデの子孫であり、そして、悪に染まった王族の血を、継いでもいない。
つまりイエス様は、法的にはヨセフの子、すなわち、法的には歴代の王族の子であり、そして血筋としては、ソロモン以降の悪しき王達の血を継がない、「純粋なダビデの子孫」なのである。
まことに主は、いかなる歴史を通じても、そしていかに人々が不真実であっても、それでも真実な方であり、正確に義を遂行されるお方である。

ダビデは続いて、ソロモンに、人間の「仕分け」を命じる。

『またあなたはゼルヤの子ヨアブがわたしにした事、すなわち彼がイスラエルのふたりの軍の長ネルの子アブネルと、エテルの子アマサにした事を知っている。彼はこのふたりを殺して、戦争で流した地を太平の時に報い、罪のない者の血をわたしの腰のまわりの帯と、わたしの足のくつにつけた。それゆえ、あなたの知恵にしたがって事を行い、彼のしらがを安らかに陰府に下らせてはならない。』(1列王記2:5)
ヨアブは度々、自分のやりたい事と、自分のキャリアの保身のために、主君・ダビデの命令に背いて、罪なき人々の血を流し、平和を流血で染めた。
だから彼は、どんなに功績を立てても、ダビデの三十勇士には名が記されなかったし、そして軍団長の地位から降ろされるのだ。

神の国においても同じである。
どんなに功績を上げても、まことの主君・イエス・キリストを軽んじて、不従順を重ね、主の御旨でない者を担ぎ上げてしまうなら、特別な地位から降ろされ、御国のリストから除外され、抹殺されてしまうのだ。

『ただしギレアデびとバルジライの子らには恵みを施し、彼らをあなたの食卓で食事する人々のうちに加えなさい。彼らはわたしがあなたの兄弟アブサロムを避けて逃げた時、わたしを迎えてくれたからである。』(1列王記2:7)
バルジライは、ダビデがアブシャロムのクーデターによって都を追われて本当に困っていた時、バルジライは彼の富を活用し、ダビデと数千人はいる彼の部下たちを助け、クーデターが解決するまで、彼らを養った。
それでダビデは、彼の子孫たちに良くしてやりなさい、と命じたのだ。
私達も、イエス様が真に栄光を受けていない今、むしろこの時代、軽んじられているようなイエス様とそのしもべたちを助けるなら、後には永遠につづく報いが待っているのだ。

『またバホリムのベニヤミンびとゲラの子シメイがあなたと共にいる。彼はわたしがマハナイムへ行った時、激しいのろいの言葉をもってわたしをのろった。しかし彼がヨルダンへ下ってきて、わたしを迎えたので、わたしは主をさして彼に誓い、『わたしはつるぎをもってあなたを殺さない』と言った。しかし彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人であるから、彼になすべき事を知っている。あなたは彼のしらがを血に染めて陰府に下らせなければならない」。』(1列王記2:8-9)
シメイは、ダビデがアブシャロムに追われて本当に困っていた時、ダビデ一行に、さかんに呪いの言葉を浴びせかけ、石を投げつけながら同行した者であったが、ダビデが勝利した時、真っ先にダビデの元に駆けつけて謝罪し、命を拾った者である。
彼は、とてつもなく無礼な事をダビデにしたが、絶妙のタイミングで絶妙の事をしたため、赦され、命は救われたのだ。
しかし彼のような者は、表に出ない所でどんな陰口を流すか分かったものではないし、いつ手のひらを返して裏切るか分からない。

まことに彼は、口先と行動力で上手に世渡りしている者であるが、ダビデが最後にこの指示をしたという事は、やはりシメイは、表向きはダビデを恐れているものの、心の底からダビデを敬う事をして来なかったのを、ダビデは見抜いていたのだろう。
事実シメイは、後の王ソロモンの命令を破り、それが元で、彼自身の破滅を招く事となる。

『ダビデはその先祖と共に眠って、ダビデの町に葬られた。ダビデがイスラエルを治めた日数は四十年であった。すなわちヘブロンで七年、エルサレムで三十三年、王であった。このようにしてソロモンは父ダビデの位に座し、国は堅く定まった。』(1列王記2:10-12)
こうして、1サムエル記から長らく活躍して来たダビデもまた、先祖の列に加えられ、葬られた。
しかし、あまり悲しいものではない。
彼は永遠に滅んだのではなく、必ず復活し、全ての聖徒達と共に、天の王国を共に継ぐのだから。

ダビデは歌っている。
『わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。
あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。』(詩篇16:8-11)

私達も、死とよみに打ち勝たれた私達の主、イエス・キリストを、自分の前に置くなら、主は私達をよみに捨て置かせず、墓を見させない。
この、死に勝利された主にあって、私達もよみがえらされ、わしのように若くされるのである。

『主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。』(詩篇103:3-5)
まことに主にある者は、老いるにも、死ぬにも、そして復活するにも、栄光に満ちているのだ。

栄光のみどり児を委ねられた夫婦の成り立ち(マタイ1:18-25)
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週報/メッセージ(説教)概要

クリスマスが近づくと、世間は華やいで来るが、クリスマスの主人公であるイエス様の誕生の次第と、それに関わった人達の成り立ちは、あまり華やいだものではなかった。主は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ…一瞬で口ずさんでしまえるこの一文の陰に、実はイエス様の母マリヤとその夫ヨセフの、想像を超えた試練と苦悩の思い出が、そして、信仰の高貴さと、信仰により勝利した栄光の思い出がつまっている。

乙女マリヤは、優しい信仰者の夫・ヨセフとの結婚が決まっていて、貧しいながらでも、ささやかな幸せを胸に膨らませながら、婚約の期間を過ごしていた。そんなある日、突然御使いが現れ、告げられる。
これからあなたは身篭り、男の子を生む。しかもその子は永遠に支配する王である、と。(ルカ1:26-38)
結婚を控えている微妙な時期に、子を身籠る事は、世間からの追求もさる事ながら、何より、愛するヨセフがどんな反応をするか、大いに懸念される所だ。律法に従えば、結婚前に姦淫を犯した女は石打、それを免れても、ヨセフに見放されるなら、姦淫の子持ちの女として再婚も叶わず苦しい人生が待っているだろう。
「神にとって不可能な事は何一つ無い…」彼女は、この僅かな御使いとのやり取りで、大胆な決心をする。
「お言葉どおり、この身に成りますように・・・。」 彼女は、自分の都合、自分の善悪は全て降ろし、ただ、神のことばを優先したのだ。結婚も、夫も、世間も、将来も、全部、主にゆだねて。夫ヨセフはどうだったか。

婚約者マリヤは、自分の知らぬ間に身篭っている。男性なら、非常に怒り、悩み、落ち込む所である。
ねたみに駆られて、石打の求刑も出来ただろうし、払った花嫁代を全額返済してもらい、公に離縁して、別の女性との結婚を一からやり直す事もできたろう。しかし、彼が選んだのは、ひそかな離縁だった。
ヨセフは、彼女を愛した故に苦しんだが、真実であろうとした。それで、ひそかな離縁を選択したのだ。
そうこう思い悩んでいる所に、御使いが現れる。「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」(マタイ1:20-21)
ヨセフもまた、主の御言葉に従った。ユダヤ社会から冷ややかに「結婚前に身篭った夫婦」と後ろ指をさされる一生を恐れず、この、自分の血が流れていない特別な子を、守り、養い、育てようと、決心したのだ。

彼ら夫婦はこのような性質、すなわち自分の善悪判断、将来の心配は一切降ろし、ただ主の御言葉に従う性質だったからこそ、救い主キリストの育ての親となる栄誉を勝ち取り、人類全体に救い主を導入したのだ。
それに対しアダムとエバ夫婦は、御言葉ではなく自分の感覚を優先し、子々孫々に呪いを残してしまった。
妻は、主でも夫でもなく、蛇(サタン)の言う事に耳を傾け、従う。さらには夫を操って過ちに陥れる。夫も自分の過ちを棚に上げ、妻のせいにして突き放す。これが、いさかいと争いに満ちた呪いの生き方である。
主にある夫婦のスタンダードは、次のものである。
『妻たる者(ギュネー:成人女性)よ、(自身の)夫に仕えなさい。それが、主にある者にふさわしいことである。』(コロ3:18) 夫婦への命令は、新約に3箇所出てくるが、いずれも「妻」に対する命令から初まり(エペソ5章,コロサイ3章, 1ペテロ3章)、いずれも「夫(アネア:成人男性、将来の夫)」に従いなさい、という点が、夫より先に命じられている。従うとはフーポタッソー、軍隊用語で、自分を下位に置く、服従させる事だ。
これは女性差別以前の話で、主が創造の初め以来定められた権威の順序であり、従うなら幸いを得る。
では、男性は得なのか?得というより、男性のほうが責任重大である。エバの失敗に対し主はアダムを責められ、サラの失敗に対し主はアブラハムを責められた。『夫たる者よ、妻を「愛し(アガパオー:命よりも大切にし)」なさい。「つらくあたって(ピクラノー:苦々しい思いにさせて)」はいけない。』(コロサイ3:19) 
男性は、女性を愛する事、それも、自分の命より大切にする事が、命じられている。女性は男性の保護下にあってこそ、安心できるものであり、男性は、女性に敬われてこそ、力を得るものである。
このようにしない夫婦は、アダムとエバのように、自分自身に、そして子々孫々に呪いをもたらしてしまう。
しかし、マリヤとヨセフのように、主の言葉に従順し、夫は妻を責めたりせず守り、妻は夫がたとえ「今晩エジプトに逃げよう」と言ってもそれに従順する程であるなら、より多く任され、尊い命を任されるようになる。
マリヤとヨセフのように、素晴らしい男女となり、素晴らしい結婚生活が出来る皆さんでありますように!

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