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イザヤ書講解説教メッセージ

さばきの日の隠れ家(イザヤ26:12-21)
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火曜早天祈祷会

全世界を慰め贖う赤ちゃん(ルカ2:25-33)
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ソロモンが裁判で用いた、心を露わにする「剣」(1列王記3:16-28)
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ソロモンは主に「聞き従う心」を求めた故に、主に喜ばれ、主は彼に大いなる知恵と、栄誉と、富とを与えられたが、それが大いに発揮され人々に知れ渡る出来事が起こる。

『さて、ふたりの遊女が王のところにきて、王の前に立った。』(1列王記3:16)
当時のイスラエルでは、何か事件が起きると、まずは十人の長に相談して判定してもらい、そこで解決できないならさらに百人の長、千人の長へと上訴して裁判してもらい、それでも解決できないなら、王に裁判してもらっていた。(出エジプト記18章)

『ひとりの女は言った、「ああ、わが主よ、この女とわたしとはひとつの家に住んでいますが、わたしはこの女と一緒に家にいる時、子を産みました。ところがわたしの産んだ後、三日目にこの女もまた子を産みました。そしてわたしたちは一緒にいましたが、家にはほかにだれもわたしたちと共にいた者はなく、ただわたしたちふたりだけでした。ところがこの女は自分の子の上に伏したので、夜のうちにその子は死にました。
彼女は夜中に起きて、はしための眠っている間に、わたしの子をわたしのかたわらから取って、自分のふところに寝かせ、自分の死んだ子をわたしのふところに寝かせました。わたしは朝、子に乳を飲ませようとして起きて見ると死んでいました。しかし朝になってよく見ると、それはわたしが産んだ子ではありませんでした」。
ほかの女は言った、「いいえ、生きているのがわたしの子です。死んだのはあなたの子です」。初めの女は言った、「いいえ、死んだのがあなたの子です。生きているのはわたしの子です」。彼らはこのように王の前に言い合った。』(1列王記3:17-22)

この事件は、二人きりの状況で起きたのだから、第三者の証人は望めない。
彼女たちはただ、多くの言葉で自分の正当性を主張するばかりで、物証や客観的事実を手がかりに解いていく方法を用いようとすればする程、混乱するばかりである。
この事件を担当して来たであろう長老たちは、ソロモンより人生経験が上だったとしても、皆、お手上げだった。
しかしソロモンは、物証や客観的事実に手がかりを求めず、神の知恵によって、「人の心の内を露わにするもの」を用いた。

『この時、王は言った、「ひとりは『この生きているのがわたしの子で、死んだのがあなたの子だ』と言い、またひとりは『いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのはわたしの子だ』と言う」。そこで王は「刀を持ってきなさい」と言ったので、刀を王の前に持ってきた。王は言った、「生きている子を二つに分けて、半分をこちらに、半分をあちらに与えよ」。』(1列王記3:23-25)
ソロモンが持ってきたものは、刀だった。
刀は切り分け、殺す。
しかし、神の知恵である「御言葉の剣」は、肉の心と霊とを切り分け、人の心の内を露わにする。
『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。』(ヘブル4:12-13)
『すると生きている子の母である女は、その子のために心がやけるようになって、王に言った、「ああ、わが主よ、生きている子を彼女に与えてください。決してそれを殺さないでください」。しかしほかのひとりは言った、「それをわたしのものにも、あなたのものにもしないで、分けてください」。すると王は答えて言った、「生きている子を初めの女に与えよ。決して殺してはならない。彼女はその母なのだ」。』(1列王記3:26)
この剣を前に、彼女たちは「多くの言葉のまくし立て」によって隠されていた心の内が、露わにされた。
一方は真実と愛と憐れみが、他方は偽りと妬みと殺意が。

御言葉の剣を前に、人は分断され、心の内が露わにされる。
真実を求めていた人には、真実と愛と憐れみが表面に現れ、涙したり、悔い改めたりする。
しかし悪い物事を心に蓄えている人は、「ばれたか」という悔しさと開き直り、怒りなどが露呈する。
御言葉の剣によって露呈した心の内の有様は、真実を求めていた人は、実に美しく、偽りを求めていた人は、実に醜い。

アブラハムも、「愛する息子イサクを捧げよ」という言葉の剣によって心の真実があらわにされ、一旦は失っていたイサクを信仰によって取り戻した。(創世記22章)
そうしてイサクと、後に生まれてくる彼の子孫達は皆、「主に捧げられ済みのもの」となったのだ。
私達も、救われて主のものとされるためには、御言葉という剣の前に、身も心も委ねる事が必要であり、それが、十字架の経験である。
その時、それまで生きてきた自分自身に対しては死ぬが、キリストが復活したように、私達も復活し、もはや罪には歩まない者となり、主のものとなり、永遠のものとなって、全く新しくされるのである。

『イスラエルは皆王が与えた判決を聞いて王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。』(1列王記3:28)
難解な事件は、一見、災いであるように見えたが、一転して彼の名誉を、そして、彼に知恵を与えて下さった神の名誉を、高めるきっかけとなった。
ソロモンはかつて若く、未熟で、兄のアドニヤに「自分が王になろう」とさえ言われた事もあった。しかしもはや、誰もソロモンを軽んじる者がなくなった。

彼に与えれたような主の知恵は、どうしたら与えられるだろう。
箴言2章に、その手法と順番が書いてある。
『わが子よ、もしあなたが/「わたしの言葉を受け」、わたしの戒めを、あなたの「心におさめ」、あなたの「耳を知恵に傾け」、あなたの「心を悟りに向け」、しかも、もし知識を「呼び求め」、悟りを得ようと、あなたの「声をあげ」、銀を求めるように、これを「求め」、かくれた宝を尋ねるように、これを「尋ねる」ならば、あなたは、「主を恐れることを悟り」、「神を知る」ことができるようになる。これは、主が知恵を与え、知識と悟りとは、み口から出るからである。』(箴言2:1-6)

まず、主の言葉を「受け」「心におさめ」る事。次に「耳を傾け」「心を向ける」事。また、「呼び求め」「声をあげる」事。そして、「求め」「尋ねる」事。
まずは主の言葉をただ「受ける」事から始まり、次に、耳と心を「傾ける」事、そして「口」を用いて、求めている事を告白する事、そして、宝物や銀を欲しがるような「欲しがり」さ加減で、求める事。
それをするなら「主を恐れることを悟り」「神を知る」ことが出来ると書いてある。

知恵とは何も、世渡り上手になるとか、誰をも論破できる能力といったものではなく、本質は「主を恐れる事」「神を知る事」なのだ。
主への恐れ無き「世渡り上手さ」や「論破能力」は、暴力でしかない。
主へのおそれを身につけた上で、そうしたものも与えられるのだ。

主に求め、主の知恵をいただき、それを正しく行使して、御心に歩む皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

ソロモンが主に願い求めたもの、それは知恵ではなく・・・(1列王記3:5-15)
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ソロモンは当初、主を愛し、父ダビデの戒めに従って歩んでいた。
彼は、ギベオンという最も重要な「高き所」で、いけにえの動物千頭を捧げた日の夜、主が夢の内でソロモンに現れ、言われた。
『あなたに何を与えようか、求めなさい。』(1列王記3:5)

もし何か一つ願い事が叶うと言われたら、一体何を願うだろう。
自分の健康や、自分の富や名誉が増し加わる事を求める人は多いかもしれない。あるいは、憎い敵の不幸を求めるかもしれない。
ソロモンは、そうした事は一切求めず、主の御心に叶った事を願う。

『ソロモンは言った、「あなたのしもべであるわたしの父ダビデがあなたに対して誠実と公義と真心とをもって、あなたの前に歩んだので、あなたは大いなるいつくしみを彼に示されました。またあなたは彼のために、この大いなるいつくしみをたくわえて、今日、彼の位に座する子を授けられました。』(1列王記3:6)
ソロモンの兄たち、アムノンやアドニヤは、父ダビデ王の七光りを受けて傲慢になったが、ソロモンは違った。
彼は自分の父ダビデを「あなたのしもべ」と呼び、彼が「大いなるいつくしみ」が施されたのは、「誠実と公義と真心とをもって、あなたの前に歩んだ」ため、と、全ては主の恵みゆえである事を告白している。
ソロモンは知っていた。父ダビデが大いに祝福されたのは、主の選びと後ろ盾があったからで、もしそれが無いとするなら、王といえども何もない一人の人間に過ぎない、という事を。

『わが神、主よ、あなたはこのしもべを、わたしの父ダビデに代って王とならせられました。しかし、わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りません。かつ、しもべはあなたが選ばれた、あなたの民、すなわちその数が多くて、数えることも、調べることもできないほどのおびただしい民の中におります。』(1列王記3:7-8)
彼はまた、自分は未熟な者である、と告白した。
神の国では、自分を低くする者が高くされ、自分を高くする者は低くされる。
アブシャロムやアドニヤは、勝手に自分が王になろうとして策を弄したが、御旨でない王座に着こうとした結果、刈り取った実は、滅びであった。

ソロモンは元々、神に王として選ばれていた者ではあったが、彼は「自分は王として相応しくない」と思っている点においても、兄たちよりは、御前で相応しかったのだ。
なぜなら、「自分は未熟だ」「自分は相応しくない」と思っている人は、ただ、主により頼むしかないからだ。
主により頼む事、それこそ、何より主の御前に用いられるに相応しいたしなみである。

そこで彼が主に願った事は、次の事だ。
『それゆえ、”聞きわける(シャマー)”心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪を”わきまえる(ビーン)”ことを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」。ソロモンはこの事を求めたので、そのことが主のみこころにかなった。』(1列王記3:9-10)

ソロモンは主に「知恵」が与えられるよう願い、それが主に喜ばれて、多くのものが与えられた、と知られているが、その「知恵」の内訳は「シャマーの心(聞きわける心、従う心)」である。
彼がそれを求めた理由は、主の民を正しく裁き、何が正しく、何が間違っているのかを「わきまえる(ビーン)」事を得るため、である。

聞き分ける「シャマー」の心。
これは、主にどんないけにえを捧げるよりも優れた事である。
サムエルは言っている。
『主はそのみ言葉に”聞き従う事(シャマー)”を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、”従うこと(シャマー)”は犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。』(1サムエル記15:22-23)

主がもっとも喜ばれるいけにえ、それはシャマーの心、すなわち、聞く事、従う事である。
それを主は喜ばれた。
『そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。』(1列王記3:11-12)
まさに、おし入れゆすり入れして、全てが加えて与えられるパターンである。
聞き分ける心、そして主に従う心、それは、全てに勝るものである。

『わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのうちにあなたに並ぶ者はないであろう。もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで(ハーラフ)、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう」。』(1列王記3:13-14)
そしてさらに大事な事は「主の道に歩むこと」、すなわち、「聞き従う」と決心した初心をキープし続け、主と共に歩む事である。
そうするなら、栄えといのちは長く続く、と主は約束しておられる。
「主とともに歩む(ハーラフ)」、これは、信仰の先人達がみな行った事だ。
ダビデはそうだったし、アブラハムも、ノアも、エノクも、皆主とともに歩む性質の持ち主だった。

『ソロモンが目をさましてみると、それは夢であった。そこで彼はエルサレムへ行き、主の契約の箱の前に立って燔祭と酬恩祭をささげ、すべての家来のために祝宴を設けた。』(1列王記3:15)
彼はもはや、正統ではない礼拝場所である高き所を離れ、正当な礼拝場所、すなわち、主の契約の箱の所へ行って、そこで礼拝を捧げた。
こうして彼は祝福され、これから、おびただしく栄える事になって行く。

この時の彼のように、主の御声に聞いて従い(シャマー)、主と共に歩み(ハーラフ)、そうしてますます主に喜ばれる道を歩んで行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

ソロモンの中に密かに入り込んでいた滅びの種(1列王記3:1-4)
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『ソロモン王はエジプトの王パロと縁を結び、パロの娘をめとってダビデの町に連れてきて、自分の家と、主の宮と、エルサレムの周囲の城壁を建て終るまでそこにおらせた。』(1列王記3:1)

前章では、王国における不穏分子が全て除かれ、ソロモン王国が確立した事が記されてあった。
そしてこの3章以降、ソロモン王がさらに栄えて行く様が記されているのだが、それに先立って、彼はエジプトの王・パロの娘と結婚した事が記されている。
実はこの事は、これからのソロモンの将来を暗示する象徴的な出来事である。

ソロモン王は、その生涯において、多くの輝かしい実績を残した。
神殿建設もそうであるし、知恵と富と栄誉がふんだんに与えられ栄華を極めた点においては、世の誰にも勝っていたが、しかし彼はイスラエルに偶像礼拝を導入した”悪い王”として、その生涯は終わってしまった。
一体何が、彼をそんなに悪くしてしまったのか。
それはずばり、異邦の女との結婚である。

エルサレムを再建した偉大な指導者・ネヘミヤは言っている。l
『あなたがたの娘を彼らの息子にとつがせてはならない。また、あなたがたの息子、あるいは、あなたがた自身が、彼らの娘をめとってはならない。イスラエルの王ソロモンは、このことによって罪を犯したではないか。多くの国々のうちで彼のような王はいなかった。彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、外国の女たちが彼に罪を犯させてしまった。だから、あなたがたが外国の女をめとって、私たちの神に対して不信の罪を犯し、このような大きな悪を行なっていることを聞き流しにできようか。」』(ネヘミヤ13:25-27)

結婚とは、男と女ふたりの人が、一つのからだとなる事である。
だから、主を信じて神の国の価値観で生きるようになった人と、世の価値観で生きる人とが、結婚する事は、ひっきりなしに自分を打ち叩いく器官を体内に組み入れてしまうような事なのだ。

聖書では、女に惑わされて、してはならない事をしてしまい、その身に呪いを招いてしまった事例を沢山見る事が出来る。
最初の人アダムしかり、洪水前の神の子達しかり、サムソンも、アハブも、そしてソロモンも、皆、女によってその身を滅ぼしてしまった。
男性はそれ程、女性から影響を受けやすいものだという事を知るべきであり、女性もまた、男性の信仰と祈りを煩わせないよう気をつけるべきだ。

『そのころまで主の名のために建てた宮がなかったので、民は高き所で犠牲をささげていた。ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだが、ただ彼は高き所で犠牲をささげ、香をたいた。ある日、王はギベオンへ行って、そこで犠牲をささげようとした。それが主要な高き所であったからである。ソロモンは一千の燔祭をその祭壇にささげた。』(1列王記3:2-4)
ここに出てきた「高き所」というキーワードは、列王記や歴代誌では頻繁に出てくる。
高き所(バーマー)とは、「礼拝する場所」ではあるが、まことの神を礼拝する場所とは限らない。

元々、カナン地方では、山や丘の小高い所や、木の茂った所などに、この「高き所」を築き、そこで偶像礼拝をしていたが、主はモーセを通じ、それらを壊すよう命令していた。
『これは、あなたの父祖の神、主が、あなたに与えて所有させようとしておられる地で、あなたがたが生きるかぎり、守り行なわなければならないおきてと定めである。あなたがたが所有する異邦の民が、その神々に仕えた場所は、高い山の上であっても、丘の上であっても、また青々と茂ったどの木の下であっても、それをことごとく必ず破壊しなければならない。彼らの祭壇をこわし、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を火で焼き、彼らの神々の彫像を粉砕して、それらの名をその場所から消し去りなさい。』(申命記12:1-3)

ヨシュアの時代、それらはことごとく破壊され取り除かれたはずだった。
しかし、イスラエルが次第に土着の者達と連合して行く内に、偶像礼拝がはびこるようになってしまった。
士師記の暗黒時代を経て後、サムエルの時代に宗教改革が為されて偶像は撤廃され、高き所は、主を礼拝する場所となった。(1サムエル記9-10章)
しかし、列王記・歴代誌の中で時代が降って行く内に、「高き所」は次第に偶像礼拝の場所としての意合いが強くなって行き、主を礼拝する場所との区別がつきにくくなって行く。

主は礼拝について、律法で何と言っているか。
『あなたがたは、ヨルダンを渡り、あなたがたの神、主があなたがたに受け継がせようとしておられる地に住み、主があなたがたの回りの敵をことごとく取り除いてあなたがたを休ませ、あなたがたが安らかに住むようになるなら、あなたがたの神、主が、御名を住まわせるために選ぶ場所へ、私があなたがたに命じるすべての物を持って行かなければならない。あなたがたの全焼のいけにえとそのほかのいけにえ、十分の一と、あなたがたの奉納物、それにあなたがたが主に誓う最良の誓願のささげ物とである。』(申命記12:10-11)
『全焼のいけにえを、かって気ままな場所でささげないように気をつけなさい。ただ主があなたの部族の一つのうちに選ぶその場所で、あなたの全焼のいけにえをささげ、その所で私が命じるすべてのことをしなければならない。』(同13-15節)
つまり、本来は主が定められた場所・以外では、気ままに礼拝をしてはならないものであった。
それなのに、ソロモンの時代もそれ以降も、”高き所”はずっと取り除かれないままだった。
本来なら高き所での礼拝は違法だったが、イスラエルの信仰がまだ未熟な時や、まだ不安定だった時は、主の憐れみによって赦されていた。
しかし、各問題が平定され、成熟した時、それらを自ら取り除く事を、主はずっと待っておられたのだ。
しかし高き所がようやく取り除かれたのは、13代目の王・ヒゼキヤ王の時代だった。

今や、イエス様がまことの小羊としてただ一度捧げられた事によって、もはや犠牲としての動物を捧げる礼拝は必要なくなり、どこか神殿などの特別な場所に行く必要は無く、霊と真理によって主を礼拝する時代となった。
今や私達が取り除くべき「高き所」とは、私達が過去に行っていた良くない行いや、忌むべき世のならわしという「高き所」である。
「高き所」での礼拝は、一見良いもののように見えても所詮は主の御言葉から外した礼拝であり、すぐに偶像礼拝へと転換してしまったように、私達も、御言葉に従っていない「一見良いもの」は取り除くべきである。
それは、過去の忌むべき行いかもしれないし、あるいは世の価値観との連合や結婚かもしれない。
それらは、いきなり止める事は出来ないかもしれないが、主の憐れみはいつも注がれており、それを取り除く事ができるまでに成熟した時、取り除くものである。

そのように純粋に主に喜ばれる道を歩み、成熟して行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

平和の都、平和の王から離れてしまったシメイ(1列王記2:36-46)
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ソロモンは続いて、シメイへの対処を行う。
シメイは、ダビデがアブシャロムに追われて本当に困っていた時、ダビデ一行にさかんに呪いの言葉を浴びせ、石を投げつけながら、一行の傍をついて行った。
しかし、ダビデがアブシャロムに勝利し、これからダビデが栄える事が確定した時には、真っ先にダビデの元に駆けつけて、平伏して謝罪し、命を拾った者だ。

彼は、ダビデ王にこの上なく失礼な事をしたのに、それでもダビデ王が彼を赦したのは、もし、真っ先にダビデ一行を迎えに出て謝罪したこの者を殺していたのなら、それまでアブシャロムの側についてダビデに反していた大くのイスラエル人たちは、恐怖し、ダビデにますます心を閉ざし、さらに反乱分子が沸き起こっていた事だろう。
しかし、ダビデ王が示したその大きな憐れみの故に、多くのイスラエルはダビデ王に心を開くようになった。

そういうわけでシメイはあの時、殺されずに済んだのだが、まことに彼のように、権威に対して心に一物をかかえ、口先三寸と世渡り上手さでのし上がっているような者は、王国の中では、危険分子である。
実際彼は、ベニヤミンの中では有力者で、影響力のある人だった。
ダビデ王の治世の時は、彼にはどうする事も出来なかったが、やはり彼は野放しにして置くわけには行かないので、ダビデは特にソロモンに命じたのだろう。

ソロモンも分かっていた。シメイを、ベニヤミン人達の中で野放しにしていたら危ないと。
『また王は人をつかわし、シメイを召して言った、「あなたはエルサレムのうちに、自分のために家を建てて、そこに住み、そこからどこへも出てはならない。あなたが出て、キデロン川を渡る日には必ず殺されることを、しかと知らなければならない。あなたの血はあなたのこうべに帰すであろう」。シメイは王に言った、「お言葉は結構です。王、わが主の仰せられるとおりに、しもべはいたしましょう」。こうしてシメイは久しくエルサレムに住んだ。』(1列王記2:36-39)
ソロモン王は彼に、あなたには不穏な事を企む疑いがあるから、この都から出てはならない、もし出ないなら命は安全である、しかしもし出るなら、あなたの命は無い、と言って、こうして彼を首都エルサレムで監視下に置いた。
彼は約束したとおり、三年間はおとなしくエルサレムから出ずにいて無事だったが、しかしその後、約束を破る。

『ところが三年の後、シメイのふたりの奴隷が、ガテの王マアカの子アキシのところへ逃げ去った。人々がシメイに告げて、「ごらんなさい、あなたの奴隷はガテにいます」と言ったので、シメイは立って、ろばにくらを置き、ガテのアキシのところへ行って、その奴隷を尋ねた。すなわちシメイは行ってその奴隷をガテから連れてきたが、』(1列王記2:39-40)シメイがエルサレムを出た理由は、奴隷が逃げたので、直々に連れ戻すため、であった。
別段、緊急でも重要な用事でもない。
彼には他にも多くのしもべがいただろうに、それでも彼が直々に連れ戻しに行ったのは、彼は三年もエルサレムから出ずにいたのだから遠出して気晴らしがしたかったのかもしれないし、あるいは、3年も何事も無く無事だったのだから、そろそろ大丈夫だろう、くらいに思ったのかもしれない。
ともかく、ソロモンの命令を軽んじて、約束を破った事には変わりない。

『シメイがエルサレムからガテへ行って帰ったことがソロモン王に聞えたので、王は人をつかわし、シメイを召して言った、「わたしはあなたに主をさして誓わせ、かつおごそかにあなたを戒めて、『あなたが出て、どこかへ行く日には、必ず殺されることを、しかと知らなければならない』と言ったではないか。そしてあなたは、わたしに『お言葉は結構です。従います』と言った。ところで、あなたはなぜ主に対する誓いと、わたしが命じた命令を守らなかったのか」。』(1列王記2:41-43)
シメイは、主にかけて、誓っていたのだ。エルサレムから出ません、と。
彼はダビデ王から憐れみを受けたし、ソロモン王からも、命を保つ道、すなわち、エルサレムから出ない、という約束を主にかけてしていたのに、たかだか二人の奴隷の逃亡を赦さないゆえに、出てしまい、こうして彼は弁解の余地がなくなってしまった。

ところで、エルサレムの名前は「平和(シャローム)の町」あるいは「平和の土台」を意味する。また、ソロモンの名前も、シャロームに由来する。
シメイは本来、殺されてもいいような罪を犯したのに、憐れみを受け、平和の王の都、平和の土台から出てはならない、という救いの道を示されていたのに、二人の奴隷を赦さなかったゆえに出てしまい、もはや、弁解の余地がなくなってしまった。
この事は、現代の私達も大いに気をつけるべき事である。
私達も、主に対して、決して払い切る事の出来ない罪の負債を負っているというのに、主の大きな憐れみによって、赦され、負債は免除された。
そして、平和の王であるキリストから離れず、平和の領域に留まっているなら、裁かれる事は無く、守られているのに、しかし、他人を赦さず、自ら裁き、この平和の領域から敢えて出てしまうなら、もはや憐れみの余地は無いのだ。(マタイ18:23-35)

『王はまたシメイに言った、「あなたは自分の心に、あなたがわたしの父ダビデにしたもろもろの悪を知っている。主はあなたの悪をあなたのこうべに報いられるであろう。しかしソロモン王は祝福をうけ、ダビデの位は永久に主の前に堅く立つであろう」。王がエホヤダの子ベナヤに命じたので、彼は出ていってシメイを撃ち殺した。』(1列王記2:44-46)
彼は、憐れみと赦しに富んだ王・ダビデのやさしさにつけ込んで、悪いことを赦してもらった。
そしてソロモンの時にも、エルサレムの中に留まっていれば安全だった、それでも彼は自分から出てしまった事によって、それをふいにしてしまった。
こうしていよいよ彼は、死刑という罰を受けてしまった。
私達も、何度でも許されると思って主を軽んじ、自分の思い通りに物事を押し通そうとするようなシムイの心を、取り除くべきである。

『こうして国はソロモンの手に堅く立った。』(1列王記2:46)
ソロモンはこうしてダビデ王の遺言を全うし、不穏分子を王国内から全て取り除いた。
そうしていよいよ、ソロモン王国は確立する。

ソロモン王は、聖書全体を見ると、あまり良い王ではないが、しかしこの時点、彼の将来は「良し」にも「悪し」にも開けていた。
この事は現時点の私達も、同じである。
私達の将来が良しになるか、それとも悪しになるか、それは日々の選択にかかっており、日々、平和の王キリストの支配から離れず、平和の土台から離れないなら、確実に、平安で安全な将来が待っている。

男と女はいかに歩んで行くべきか(マタイ2:13-15)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
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週報/メッセージ(説教)概要

御使いが乙女マリヤに現れ、御心を示された場面は有名だが、マリヤがヨセフと結婚して以降、御使いはもっぱらヨセフにだけ現れて言葉を伝え、ヨセフはそれを妻に伝え、妻はそれに従う、という形となった。
マリヤとヨセフ両方には現れず、敢えて夫ヨセフだけに現れ、この一家全体を導いたのには、理由がある。
権威には順序があって、妻(女)のかしらは夫(男)であり、夫(男)のかしらはキリストなのだ。(1コリント11:3)
救い主メシヤを、幼少から成人に至るまでを任されたこの男女は、この権威関係を正しくキープし続けた。
それに引き換え、アダムとエバ夫婦はことごとく自分の「かしら」に逆らった故、人類に罪と死を導入した。
アドベントも第3週に入りクリスマスが近づく今、男女はいかに歩んで行くべきか、聖書から改めて学びたい。

神は自然界を創造した後、男を女より先に創られた。神は土を御手でこねて人を形づくり、その鼻に息吹(霊)を吹き入れ、こうして神の似姿である人が創られ、全被造物の支配は、彼に委ねられた。その全被造物の有様は極めて良かったが、神が唯一良くないと言われた事があった。それは「人がひとりでいること。」
人は、ひとりでいると欠けがあるもので、寄り添って生きるように創られている。
主は男に深い眠りを与え、あばら骨を一つ取ってそこをふさぎ、その骨を元に女を創られた。全てのものは土が元となって創られたが、唯一、人間の女だけは、男の骨を元として創られたのだ。女は男を元にして男のために造られた。それで男は、女のかしらである。これが、聖書が示す所である。(1コリ11:7-12)
しかし昨今、それに相逆らう価値観が沸き起こっている。男性も女性も平等な存在で、男性は支配せず、女性も積極的に独り立ちすべきだ、という考え方は、サタンに由来する。サタンは神の支配から独立し、神と他の存在との平等を主張し、自らを一個の独立した神のような存在になろうとした。本来、男も女も、かしらが必要である、というのが神の摂理だが、サタンの主張は真逆で、自分がかしらとなって支配しようとする。
だから、性差別を無くし男と男、女と女の性嗜好も許されるという考えは、サタン由来の忌み嫌うべきものだ。
神は元々、人を男と女とに創られ、そして人は元々、神と共に生きるように創られた。それで人は、聖書を知らなくても、生まれつきになぜか神を求め、男は女を求め、女は男を求めるようになっている。
互いが互いを必要とし、互いが互いを求め合う存在であるのは、神がそのように創られているからだ。

主はまず男を創られ、そのあばら骨の一つから女を創りあげられた。つまり女性が元々いた所は男性の脇腹である。だから女性は、男性の腕の下にかばわれている時、もっとも安心する。本来の居場所だからだ。
女性は男性の覆いに包まれ、保護の下にいる事を望む。それは正しい姿だ。雅歌書の花嫁は、花婿は彼女にはりんごの木のようで、その陰に座りたいと切に望み、彼女の上に翻る旗じるしは愛であると言った。
『どうか、彼の左の手がわたしの頭の下にあり、右の手がわたしを抱いてくれるように。』(雅歌2:6)
ルツもボアズに、『どうぞあなたの衣(布団)の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方(ゴエル:買い戻しの権利のある親類)です。』と願った。(ルツ記3:9)
女性が男性の陰に宿る事が欲求であり必要であるように、人は全て、全能者の陰に宿る事が必要である。
私達はそのままでは欠けがある。だから、私達を絶やさぬよう、買い戻して下さる方・キリストが必要なのだ。

女性が男性を求めるように、男性も、主が創られた助け手である女性を求めるものである。元々一本の骨だったエバが、主の御手で整えられてから、アダムの所へ連れて来られた時、アダムは、はなはだ喜んだ。
イザヤ62章で主はイスラエルを「わたしの喜びは、彼女にある。」(ヘプシバ)と呼ばれ、「夫のある国」と呼ばれるだろう、と言っている。『花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ばれる。』(イザヤ62:5)
花婿は花嫁を喜ぶものであり、未婚の男性が、その喜び・慰めである花嫁を得たいと求めるように、キリストも、花嫁である教会が整えられ、完成し、ご自身の御腕の中に迎え入れるのを、望んでおられる。
花嫁が迎え入れられるのを待ち望んでいるように、キリストも待っているのだ。花嫁が、整えられるのを。
私達は、整えられるための努力を、しているだろうか。イエス様に嫁ぐ花嫁修業をせず、ただ漠然と待っていないだろうか。主がいつ来ても良いように、ともし火と共に、油も用意しているだろうか。(マタイ25:1-13)
男女の性が乱れている今、男性は女性のために、女性は男性のために、そして、私達は全て、キリストのために自らを整え、相手にとって喜びとなる皆さんでありますように、主イエスの名によって祝福します!

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怒る事のデメリット(ヤコブ1:19-22)
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祈祷会:怒りについて

カテゴリ : 
その他音声
執筆 : 
pastor 2015-12-12 6:01

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