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礼拝説教メッセージ音声:自分の飾りを脱ぎ捨てて(出エジプト記38:1-20):右クリックで保存

今回の箇所は、主が27章にて幕屋の庭の敷地内にて用いられる祭具を造るよう命令された、その内容とほぼ一致している。
27章では「**としなければならない」という命令だったのに対し、ここ38章では、「**とした」と、主が命じられた通りに実行した事が、書かれてある。
この、幕屋の外庭にて用いられる特別な祭具も、主から特別に知恵が注がれた人・ベツァルエルの手を通して造られた。

『また庭を造った。その南側のために百キュビトの亜麻の撚糸の庭のあげばりを設けた。』(出エジプト記38:9)
「庭と造った」と言っても、庭園のようなものではなく、単に、庭の敷地を幕で区切っただけの質素なものである。

『またアカシヤ材で燔祭の祭壇を造った。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角で、高さは三キュビトである。』(出エジプト記38:1)
祭壇は、民がこの幕屋の庭に入って最初に面する所で、民はそこで、焼き尽くすいけにえを、祭司を通して主に捧げる。
人はまず、自我が焼き尽くされ煙とならなければ、主の聖なる領域へは入れない。

『また洗盤と、その台を青銅で造った。すなわち会見の幕屋の入口で務をなす女たちの鏡をもって造った。』(出エジプト記38:8)
青銅の洗盤は、祭司が務めを為す前に、その身を水で清めるために用いるが、これは幕屋の入口で仕える女たちの鏡をもって造られた、というのは興味深い。

鏡は、女たちが自分を写し出し、自分を美しく整えるための道具だが、彼女たちはそれを主に捧げ、祭司の身を整えるためのものとしたのだ。
幕屋の入り口で仕える彼女たちは、鏡を捧げた事で、もう自分の身繕いが出来なくなって、外見を美しく飾れないのでは、と思うだろうか。
しかし、彼女たちこそ、鏡を捧げなかった誰よりも、主の御前で尊く美しいのだ。
『あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。』(1ペテロ3:3-4)

女性達に限らず、私達も、自分の外見や見栄を飾るものではなく、柔和でしとやかな霊という、決して朽ちることのない内面を飾りとし、主の御前に美しく整えられ、主の御そば近くで仕えるものでありたい。
主の宮にある祭壇や燭台、香壇や契約の箱などの尊い祭具は、人々のアクセサリーや布製品、女性の使う鏡など、全て人々の捧げ物によって造り出され、それが何世代にも渡って主の御用を成したのである。
私達も、自分の何かを主に捧げるのであれば、それは主の御前で永遠に残る記念となるのである。

礼拝説教メッセージ音声:尊い事に用いられる奉仕者(出エジプト記37:1-29):右クリックで保存

今回の箇所は、聖所や至聖所にて用いられる祭具を造るよう25章にて命令された内容とほぼ一致しており、25章では「**としなければならない」という命令だったのが、ここ37章では、「**とした」と、主が命じられた通りに実行した事が書かれてある。
前章の幕屋の幕や土台などは、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者たちが造ったが、この、聖所や至聖所に安置される特別な祭具は、特別に知恵が注がれた人・ベツァルエルが直接造った。

契約の箱など祭具の内で最も聖なるものが、ベツァルエルという人によって造られた、というのは、クリスチャンの中では、あまり知られていないかもしれない。
そうした聖なるものは、人の手によるもの、というより、神の手によって造られた感じがするからだ。
実際、それを造られたのは神である。
確かにベツァルエルの手によって造られたが、それをデザインし、人の頭にイメージさせ、それを造るための手のわざをも与えられたのは、神であり、それを聖なるものとされたのも、神であるからだ。
それ故、神の国のわざを為す時は、ベツァルエルなど個人の栄光ではなく、神の栄光となるものである。

いつまでも残る永遠のわざ。それは、イエスキリストにあって為すわざである。
ベツァルエルは特別なことに用いられたように、聖徒達の中にも、ある人は尊いことに用いられ、別の人はそうでない事が、確かにある。

『大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。』(2テモテ2:20)

私達も主にあって良い事に用いられたいのであるなら、自ら内から卑しいものを取り除き、きよめられた器となるべきである。
特に私達の内から取り除くべきは、俗悪なむだ話であるとパウロはこの箇所で言っている。

『あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるであろう。その中にはヒメナオとピレトとがいる。彼らは真理からはずれ、復活はすでに済んでしまったと言い、そして、ある人々の信仰をくつがえしている。
しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。「主は自分の者たちを知る」。また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。』(2テモテ2:15-19)

ここで言われているとおり、真理の御言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人となって、自分を神にささげるのであれば、私達も尊い事に用いられる器とされ、さらに主にあって有用な者へと造り変えられて行くのである。。
口から俗悪な無駄話を取り除き、むしろ口からは真理の御言葉を正しく語り、ますます尊い事に用いられる器となっていく皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
ゲツセマネ(マタイ26:36-54):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
主のさばきに委ねよ(ユダの手紙14-16):右クリックで保存

本日は早天礼拝の後、静岡富士の教会を助けるために、天声の何名かと一緒に内装仕事をしに行きました。

今もまだ、改装中の礼拝堂の中にいて、そこでこの配信をしています。 最初来た時は、やらなければならない事が多すぎて、それに少し圧倒されてしまいましたが、主は、今日のメッセージのように、私達に知恵と匠の技を与えて下さり、素人だけとはとても思えない、ものすごいパフォーマンスを出す事が出来ました。

今日だけでも、工事費の何十万かは浮かす事が出来たとおもいます。

主は本当に、いのちの助けをする働き人達を愛し、そのわざを喜んで下さり、祝福でもって返して下さるお方です。

礼拝説教メッセージ音声:主が与えられる匠の技(出エジプト記36:8-38):右クリックで保存

今回の箇所は、内容的には26章の幕屋建造命令とほぼ一致している。
ただ、26章では「**としなければならない」という命令だったのに対し、ここ36章では、「**とした」と、主が命じられた通り一つ一つを実施した事が書かれてある。

私達は、26章のような設計書的な、仕様書的な文書を示されても、あまりピンと来ない。
たとえば、『あなたはまた十枚の幕をもって幕屋を造らなければならない。すなわち亜麻の撚糸、青糸、紫糸、緋糸で幕を作り、巧みなわざをもって、それにケルビムを織り出さなければならない。』(出エジプト記26:1)と言われても、ケルビムなど見たことは無いし、単に人のような形をうっすら表現すれば良いのか、それとも誰かをモデルにして表情まで細かに表現すべきか等、もう少し具体的に図解して頂かないと、一つも作業が進められない、と思うものだが、しかしこの工匠たちは、それだけで理解し、主からの知恵とイメージが与えられ、御心の通りに実際に造ったのだ。

主から示しが与えられるとは、そのような事である。
ある人達にとっては、さっぱりイメージが沸かない事でも、主が名指しされた働き人には、ありありとイメージが浮かび、しかも、喜びとやりがいを持って、その通りに実行するものである。
それは意匠に限らず、聖書のメッセージや賛美リード、集会の導きなど、主の導きに忠実に従ってリードする人は、人間業ではあり得ないような、素晴らしい働きを、やりがいと喜びを持って為すのだ。
それは人間の働きではなく、主の働きだからである。

主は、ある人にはこの賜物、ある人には別の賜物を与えられ、それぞれは違った働きをしていくが、それらを与えられたのは、同じ主であり、同じキリストのからだを建て上げるために、それぞれ与えられたのである。(エペソ4:11-16)
主の導きは、時に、人の思いを遥かに超えて、思いもよらぬ方向に導く事があるが、そのような時、主は必ず、どのようにすれば良いのかを教えて下さる。
『あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。・・・あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。』(1ヨハネ 2:20,27)

ここで言われている油はクリスマ、注ぐ油ではなく軟膏のような塗り油である。
この、私達に留まっている聖霊の油が、私達に全ての事を教えて下さるのである。

普通の人には、さっぱりイメージが沸かない事を、主は「せよ」と言われる事があったとしても、主がそう言われたからには、必ず、必要な資材も、資金も、職人も、知恵も、力も、全て備えて下さるのだ。

礼拝説教メッセージ音声:神の国の奉仕者(出エジプト記35:30-36:7):右クリックで保存

『モーセはイスラエルの人々に言った、「見よ、主はユダの部族に属するホルの子なるウリの子ベザレルを名ざして召し、彼に神の霊を満たして、知恵と悟りと知識と諸種の工作に長ぜしめ、工夫を凝らして金、銀、青銅の細工をさせ、また宝石を切りはめ、木を彫刻するなど、諸種の工作をさせ、また人を教えうる力を、彼の心に授けられた。彼とダンの部族に属するアヒサマクの子アホリアブとが、それである。』(出エジプト記35:30-34)

神はこの二人に、匠の技と知恵、人を教える力とを授けられた。
それは、神を礼拝する聖なる建物「幕屋」を建て上げ、礼拝に必要な祭具を造るためである。

現代、神が一人ひとりに異なった賜物(神から与えられた特別な才能)を与えられる理由は、聖なる神の建物、すなわち、教会というキリストのからだを建て上げるためである。
『わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。』(2コリント12:3-5)
それ故、ことさら人をある分野に長じさせ賜物を与えられるのは、その人を活躍させたり有名にさせたり気持よくさせるためではなく、キリストのからだを建て上げるためである。

例えば、世のミュージシャンは、いかに自分に注目が集めるか、いかにステージで目立つ所に長くいられるか、いかに自分が活躍して有名になるかを目指すもので、ステージの中央から外されたり、他の人が活躍したりし出すと、傷ついたり、怒ったりする。それは、自分の栄光のために行なっているからだ。

しかし、神を褒め讃える賛美の奉仕者は、そうであってはならない。なぜなら、賛美の奉仕は本来、主イエスの栄光のために行うものであるからだ。
自分がステージの中央にいようがいまいが関係無く、ただ主の御名が高められる事を喜ぶものであり、むしろ、主よりも自分に注目が集まったり、主の御名よりも自分の名が高められたりしたら、嫌がるのが、本来の神の国の奉仕者だからだ。(使徒14:8-15、黙示録22:9)

神の国の奉仕者がおごり高ぶり、神に栄光を捧げる事をやめて自分に栄光を捧げるようであれば、そこから引きずり降ろされ、泣いて歯ぎしりする事になる。
サタンは元々、神を褒め讃える音楽奉仕者だったが、自分が高ぶろうとし、ステージの中央に陣取って栄光を受けようとしたために、投げ落とされてしまった。(エゼキエル28:12-19、イザヤ14:12-15)
人々の注目を集めるタイプの奉仕者はことさら、サタンの道に陥らぬよう気をつけるべきである。

イスラエルの民は捧げたいという思いが突き動かされ、神の国の用に有り余るほどの捧げ物を喜んで持ってきたため、モーセをして「もう持って来なくても良い」と言わしめるほどだった。(出エジプト記36:3-7)
神の国の奉仕者は、「自分のため」という概念が無い。自分が何かを得る事ではなく、キリストのからだ全体が栄える事を喜びとするからであり、そして主は、そのように心から進んで捧げる人には、さらに豊かな恵みを与え、満ち足らせ、さらに全ての良きわざにおいて、富ませて下さるお方である。(2コリント9:8-9)
そうして捧げる事の喜びに味をしめた人は、ますます豊かにされ、ますます喜んで捧げるようになって行くのである。

先のしゅろの日と後のしゅろの日(黙示録7:9-17)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
第二礼拝前の賛美と祈り:右クリックで保存
第二礼拝・礼拝説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

本日は教会暦では「しゅろの聖日(パームサンデー)」、すなわち、イエス様がろばに乗ってエルサレムに入城し、人々が自分の衣服や「しゅろの葉」を置いて「ホサナ」と叫びつつ歓迎した日に相当し(マタイ21:6-11)、次週主日のイースター(復活祭)までの1週間を「受難週(Passion Week)」 としている。

その日、大勢の人々が、ろばに乗ってエルサレムに入城する柔和な様子のイエス様を、しゅろの葉を手に持って、「ホザナ」と叫びつつ両手を挙げて歓迎し、弟子たちも意気揚々としていた。
非常に絵になる場面であり、一見、イエス様が高く上げられているように見えるが、彼らは、自分が「ホサナ(”おお、救い給え”という意味)」と叫んだ相手が、何者で、どういう人物であるか、一体何から「救って」下さるのかを、実は、分かっていなかった。(マタイ21:10-11)その証拠に、一週間後、群衆は一変して「イエス様を十字架につけろ!」と叫ぶ側に回ってしまい、弟子たちも、一人残らず逃げてしまう。
人々はそれぞれの身勝手なメシヤ像を思い描き、当時のローマ帝国の圧制から”救われ”、力強い指導としてイスラエルを再興してくれる事をイエス様に期待したり(使徒1:6)、パンをいつでも提供してくれる王として期待したり(ヨハネ6:14-15)、別の人達は、病気や悪霊を追い出してくれる人としたり。ようするに、イエス様を、「何か自分の願望を満たしてくれるべき人」という、身勝手な幻想を抱いていたのだった。
そのような、身勝手な幻想を抱いている人は、イエス様が自分の願望を満たしてくれないと分かると、とたんに「除け、除け、十字架につけろ!」と、手のひらを返したように叫ぶ側になってしまうもので、自分の中に罪があると示されたり、悔い改めるよう促されたり、十字架を負ってついて来るように言われたりすると、そんなメシヤはいらない、除け、となってしまうのだ。
実際、イエス様が自分の思い通りに行かないと分かると、それで信仰を離れてしまった人達は多い。

先のエルサレムでの「しゅろの日」は、信仰があやふやな人達の身勝手なホザナで満ち、彼等が喜び迎えたイエス様を、わずか一週間後に十字架につけてしまったが、後には「もう一つのしゅろの日」が訪れる。
その日、あらゆる国民、部族、国語の中から、誰にも数え切れぬ程の大勢の群衆、すなわち、イエス様が十字架で流された血潮によって衣を白く清めた群衆が、しゅろの枝を手に持って、大声で叫んで言う。
「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」(黙示録7:10)
この群衆は、救いはどこから来るのか、誰にあるのかを、明確に分かっていて、それを叫んでいる。

世の多くの人達は、かつての「しゅろの日」の人達のように、救いが何であるのかも、どこから来るのかも、履き違えている人が多い。「救いはお金にある」「救いは権力にある」「救いは美貌にある」等など。
そもそも彼らはなぜ、救いを求めるのか。それは、何かしらの災い、例えば、「自然災害」という災い、「老い」という災い、「人からの拒絶」という災いなどから逃れるためだ。
彼等は、それら災いに備えつつ、罪という災いを積み重ね、神の怒りという究極の災いを、積み立てている。
最も根本的な災いは、死であり、罪であり、神との断絶である。唯一、イエス様こそ、それらの災いから人類を救って下さるお方であり、イエスを主とするなら、その他「災い」と言われるものは、もはや力を失う。

世の人達は、災いに備えて罪の災いを行ない、神との断絶という永遠の災いを積み立てている。
しかし、キリストにある人々は、災いの大元である罪を、小羊の血で洗い清め、世のあらゆる災いから逃れ、守られる保証が与えられ、昼も夜も聖所にて神に仕え、永遠にいのちの務めを為すのである。
「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、/昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、/この者たちの上に幕屋を張る。彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」(黙示録7:14-17)
「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」この告白にしっかりと立ち、しゅろの枝を手に持った大勢の群衆と共に、主をほめたたえる恵みを得る皆さんでありますように!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
喜んで捧げる人の祝福(出エジプト記35章):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:自ら進んで捧げる奉仕(出エジプト記35:1-29):右クリックで保存

前回までは、主から「礼拝をこうしなさい」という、言葉による示しのみだったが、今回の箇所から、イスラエルはその礼拝の中心である幕屋建造の行動に入るが、それにあたり、主は再び、安息日の尊守を命じられた。(出エジプト記35:1-3)
主の働きにおいては、「主を覚えて安息する事」を、何より優先させなければならない。
奉仕にばかり気を取られて忙しくし、肝心の礼拝は寝てしまったり体調を崩したり、といった本末転倒を演じる人がいるが、奉仕の内に、しっかり主を覚え、安息する事こそ大事である。

『あなたがたの持ち物のうちから、主にささげる物を取りなさい。すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。』(出エジプト記35:5)
4節から9節では、幕屋建造において必要な資材を、心から進んで捧げる人から受け取るように、言われている。
捧げる時に大事な事は、「心から喜んで捧げる」事である。

『すべてあなたがたのうち、心に知恵ある者はきて、主の命じられたものをみな造りなさい。』(出エジプト記35:10)
幕屋の祭具や装飾を造るためには、特に知恵や技術が必要であり、10節から19節では、知恵や技術を捧げる事が勧められている。
礼拝においても、特別な知恵や技術が、主から賜物として与えられている人は、それぞれが力量に応じて主に捧げ、与えられているものを主のために用いるべきである。
パイロットの資質も訓練もしない者が、飛行機を操縦したら、大変な事になるのは容易に想像できるが、主にささげる礼拝の事柄は、飛行機の操縦よりも重要である。
知恵や技術を主から与えられられていない者が、身勝手にしゃしゃり出てはならないのだ。

『すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は、会見の幕屋の作業と、そのもろもろの奉仕と、聖なる服とのために、主にささげる物を携えてきた。』(出エジプト記35:21)
ここは直訳的には「心が沸き立たされた人、霊(主の息吹)が促された人」が、作業や奉仕に携わり、捧げ物を持ってきた、という事である。
すなわち、心が感動し、喜んで「したい」という思いが与えられた人、また、霊において「せざるを得ない」衝動が湧いてきて、突き動かされた人が、奉仕を為したのである。

『すなわち、すべて心から喜んでする男女は、鼻輪、耳輪、指輪、首飾り、およびすべての金の飾りを携えてきた。すべて金のささげ物を主にささげる者はそのようにした。』(出エジプト記35:22)
ここで「男女」という言葉が使われているが、幕屋建造においては、男性ばかりでなく女性も、主への奉仕や、捧げ物、技術提供に参加し、特に、布や革製品を紡ぐ奉仕には、女性が活躍した。(25−26節)

アロンはかつて金の子牛を造る時、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」と言って、それぞれの家庭の中から金を徴収したが、偶像をまつる異教徒は、必ずと言っていい程、家族の財産を持ち寄るよう強要し、家庭を犠牲にする。
主への奉仕は、それとは真逆であり、感謝と喜びに溢れて心から進んで為すもの、主もまた、そのように捧げた人を豊かに祝福して下さる。

主は、進んで捧げる人には、豊かに報いて下さる事を、第二コリント9章にて、パウロが示している。
『わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。』(2コリント9:6-7)
そして、心から進んで捧げた人にはさらに豊かに恵みを与え、満ち足らせ、さらに全ての良きわざに富ませて下さるお方である。(同8-9節)

『種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。』(同10-12節)

永遠なる主に、喜んで奉仕し、捧げる人を、主は、あらゆる点で豊かにし、さらに惜しみなく与えるようにして下さり、そこからさらなる感謝が生み出され、そうして、聖徒全体の必要を主は満たし、余らせるのである。

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