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TPP

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礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2011-11-11 20:54

野田首相がTPP交渉参加方針を正式表明しました。

情報を集めて総合すると、思う所はあるのですが、私はそうした善悪判断は止めて、ただ祈りたいと思います。

「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」(1テモテ2:2)

礼拝説教メッセージ音声:にわかに信じがたい事の連続(1コリント3:16-23):右クリックで保存
韓国語通訳有

本日の箇所は、にわかには信じがたい事が連続して書かれている。

パウロは言う。あなたがたが、神の神殿である、と。
私達が「神殿」であるからには、私達という器は、神を宿らせている、という事であり、そして私達は、聖なるものである。
そうであるからには、私達を攻撃するものは、神を攻撃しているのであり、そのような者は、神が取り扱われる。

パウロはさらに続ける。
「パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。」(1コリント3:22-23)
パウロもアポロもケファも世界も生も死も、みな私達のもの?!
これもまた、にわかには信じ難い事である。
しかし、御言葉にそう書いてあるからには、アーメンといって受け入れるだけである。

なぜこれら全てが、私達のものか。
それは、私達はキリストのもの、そして、キリストは神のものであるからだ。
私達がキリストを「主人」としているなら、夫なるキリストは、計り知れない富と知恵、力で満ちておられるお方だから、全ても私達のもの、という事になるのだ。
「わたしはあの人につく」とか、「わたしはこの教えにつく」といった主張は、なんと馬鹿げているだろう。
私達にとって、まことの主人なるイエスキリストこそ全てであり、このお方を知れば知るほど、世の何者も色あせてしまう。
私達は、自分の立場というものを、よくよく理解すべきである。

エペソ1:20-23
「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。
神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」

私達の内に宿っておられるお方は、すべてにおいて、すべてを満たしておられる方。
キリストの名の元に召しだされた私達、すなわち教会は、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場である。
その私達の主は、今の世ばかりでなく、後の世においても、あらゆる名の上に置かれている。
そしてなんと、私達は、そのお方をお入れする神殿なのだ。

「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。
そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。」(エペソ1:17-19)

最近、毎日教会に来て、神様の御前に仕事の報告をして、それからの仕事が祝福されるようお祈りにくる青年がいます。

昨日は、彼の思うとおりの結果が出なくて、会社として利益が出なかったのですが、彼は気落ちする事無く、むしろ感謝して帰りました。

それが今日、早速別の方面で祝福された、と、嬉しい報告を神様に為しに来て下さいました。

彼は、毎日主が祝福して下さるのを見るのが楽しい、と言っておりました。

私も、それを聞く聖徒達も、とても恵まれて、神様が良いお方である事を賛美せずにはおれません。

きっと神様は、彼をさらに祝福してくださる事でしょう。

礼拝説教メッセージ音声:キリストという土台の上に(1コリント3:10-15):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロがコリントに行って伝えたのは、哲学など人間の知恵ではなく、説得でもない。
彼は、神の知恵の現われである、十字架のキリストを伝えに行ったのだ。

すなわち、パウロがコリントに行った時に据えた土台とは、イエスキリストという土台であり、このお方こそ、全ての教会の土台なるお方である。

人はその土台の上に、色々な材料を使い、神の宮という家を建てて行く。
私達はどのようにしてこの家を建てて行くべきか。それは、イエス様の言葉を聞いて、行う事によってである。
その者は、岩の上に自分の家を建てた賢い人であり、イエス様の言葉を聞くだけで行わない者は、砂の上に家を建てた愚かな人である。(マタイ7:24-27)

あの牧師の説教は斬新だ、最先端だ、おしゃれだ、などと、表面的な評価するだけで、その中に語られている御言葉を聞いて行わないのなら、それは砂の上に立てる人のようなものだ。
単に聞くだけの人と、聞いて行っている人、その二人の10年後の成り立ちは、鮮やかに、残酷なまでに、違って来てしまう。

キリストという土台の上に、御言葉を行うという事によって、自分という神の神殿を建て上げるのであれば、その建物はいつまでも残る。
対して、人間の教えや人間の知恵によって建てるのであれば、その建物は、かの日には焼かれてしまう、とパウロは言っている。(15節)

神は、焼き尽くす火(consuming fire)であり、私達の礼拝を、唯一受け入れてくださるお方(consumer)である。(ヘブル12:29)
神の火は、私達を信仰の試練として試し、聖霊の火に浸しこまれる時、私達は力に満たされ、全世界に対しキリストの証人となる。
また、敵に対しては焼き尽くす火となって私達の先頭を進んで下さる。(申命記9:1-3)

もし、この火を通って、何かが残るなら、それは私達の栄誉であり、焼けてしまって何も残らないなら、それは私達の恥である。
「建物自体は燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。」(15節)
私達の生前の恥は全て燃やされ、土台であるキリストだけが永遠に残される、というのは、実は、永遠を生きる上では、大きなあわれみである。
もし私達による、神抜きで作ってしまった気恥ずかしい作品が、永遠に残るとしたら、永遠に恥じながら、生きていかなくてはならない。

「斥候の若者たちは行って、ラハブとその父母、兄弟、彼女に連なる者すべてを連れ出し、彼女の親族をすべて連れ出してイスラエルの宿営のそばに避難させた。
彼らはその後、町とその中のすべてのものを焼き払い、金、銀、銅器、鉄器だけを主の宝物倉に納めた。」(ヨシュア6:23,24)

遊女ラハブは、神の民の使いを穏やかに受け入れ、かの日には、その彼らによって安全な所へとかくまわれた。
私達も、知らない間に、もしかしたら神の使いを助けているかもしれない。
かの日には、神の使いは私達を安全なところへと匿ってくれる。

エリコの町が火で焼き滅ぼされたように、この世の全ても火で焼き滅ぼされるが、金が銀、鉄の器などは、主の宝物倉へと運び込まれ、永遠に主の御用とされて用いられるのである。
私達がこの世で、金や銀など朽ちないものによって建てるのであれば、永遠の聖なる神の都へと運び込まれ、そこで永久に用いられるのだ。

だから私達は、この世の生活において、神のみ言葉どおり実行する事により、永遠に残る尊い材料で、この神の宮を建て上げていくべきである。
キリストという土台の上で、御言葉の実行によって家を立て、かの日には、尊い器として永遠に残り、永遠へと用いられる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:目に見える人にではなく(1コリント3:1-9):右クリックで保存
韓国語通訳有

「兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。」(1節)
堅い食物とは、みことばの事で、霊的幼子は、御言葉を柔らかく噛み砕いてあげないと、食べない。
信じて間もない人にはそうする必要がある。
しかし、信じて10年や20年も経っているのに、いつまでもそのような事を要求しているようであれば、嘆かわしい事である。

皆さんは、御言葉を忘れて、人の言葉や人からの評価に、振り回されたりしてはいないだろうか。
あるいは、私は誰につく、彼につくと言って、分裂を引き起こしたりしていないだろうか。
私達一人一人は、人や、目に見えるものによって養われるのではなく、御言葉の食物によって養われるべきである。

霊的幼子のもう一つの特徴として、御言葉には何も求めず、パウロやアポロ、牧師先生といった、目に見える「人」に求め続け、そして、そういった働き人に、信仰の土台を置いている事である。
「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。」(5節)
パウロやアポロ、牧師先生たちは、皆さんの職場や家庭に、いつでも共にいる事はできないが、皆さんはいつでもどこでも、御言葉から直接、必要十分な養いを受ける事ができる。
だから信仰生活は、教会の中ではなく、教会を出て家庭や職場に戻ってからが、勝負どころである。

大切なのは、御言葉を蒔いた人でも、注いだ人でもなく、成長させてくださる神である。
目に見える人間にではなく、決して離れる事の無い、イエス様に望みを置く皆さんでありますように。

教会のコードレス電話の子機の調子が悪く、設定の中身を色々いじっても、ネットで説明を読んでその通りしても、どうしても直りませんでした。

それを見ていた教会のある姉妹がそれを取って、えいっ、と叩いたら、あっさり直ってしまいました。

人の経験や知恵に頼らず、信仰をもって叩く、そうすれば道は開かれるものですね。

礼拝説教メッセージ音声:世の知恵にではなく御霊に(1コリント2:12-16):右クリックで保存
韓国語通訳有

コリントの人たちが分裂しているのは、人間の知恵に頼っているからだ、と、パウロは指摘する。
神の国の事柄は、人間の知恵によっては決して理解できない。
神がおられるのかどうかも、21世紀の科学さえはっきりさせる事ができていないし、何千年も培ってきた叡智も哲学も道徳も、人の罪を除くことは出来なかったし、完全な国家を構築する事も出来なかった。

自然に目を留めれば、永遠なる神様の存在を見る事が出来るが、人類歴史に目を留めれば、人の罪深さや不完全さ、はかなさが、浮き彫りにされているのを見るだけである。
神の知恵のほうが、人の知恵よりも、はるかに勝っている。
ところが人間は、はかない目に見えるものの方を、どうしても頼ってしまいがちである。

コリントは当時のギリシア文化の中心地で、哲学や弁論術、道楽も発達していたため、彼らの耳と目はとても肥えていた。
いかに目や耳、感情に訴えるか、という事を求め、それが良い物だという価値観があった。
しかしパウロの話は目や耳、感情に訴えるものではなかった。
だから彼らは、彼の語るかんじんの御言葉やいのちに、全く目を留める事ができなかったのである。

ところが、神の国に属する事とは、御霊によって解くのである。(14節)

生まれながらの人間、すなわち「魂の人」は、心の中でぐるぐる考えを巡らすしか出来ないため、神の国の事を受け入れる事が出来ない。
対して、御霊を受けている人、すなわち「霊の人」は、全ての事をわきまえるが、彼自身、誰にもわきまえられる事がない。
また、霊の人は、キリストの思いを持っている。(16節)
キリストが思うように思う。その思いを、御霊は与えてくださる。

キリスト者とは、世の人からすれば、わきまえられる事のない、本当に理解不能な人種である。
世の人はキリスト者を見ていて思う。

なぜあの人は、あんにあに悲惨な状況なのに、あんんあに平安なのだろう。
なんであの人は、邪悪な人間に仕返しせず、良いことばかりしてあげているのだろう。
なぜ、彼らは祈るだけで、あんなに平安なのだろう。

ところが実際、キリスト者は、それら全ての苦しみや災いから、助かってしまうのである。
人類にとって最高の敵である「死」すら、彼らを打ちひしがれさせる事が出来ない。
世の人は、そういう事を見て、神がいるんじゃないか、と思って、入信した人も多い。

御言葉というものは、世の人から見れば愚かに見える。
ところが、信じる者にとっては。神の力の現われとなるのだ。
信じる者には助けぬしなる御霊から力が与えられ、慰めが与えられ、あらゆる良きものが与えられる。

キリストは、恵み深く、憐れみ深く、愛に富んでおられ、気前が良く、癒し主であり、いのちの主である。
世の知恵でなく、キリストを豊かに宿らせ、御霊に満たされる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

以前、特別賛美をささげて下さった新潟の姉妹が、今日から横浜に滞在しに来ています。

この滞在が、彼女にとっても、横浜の聖徒達にとっても、祝福となる事を、楽しみにしています。

今日もある働き人から、魂が救われたという嬉しい報告をいただきました。

昨日から特に示されている御言葉は、エペソ2:10です。

「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」

主は、私達の至らなさや悪さにしたがって裁く事無く、恵みを数えてくださり、私達に良い行いを備え、その中で歩ませておられます。

礼拝説教メッセージ音声:人の知恵によるのでなく(1コリント2:6-11):右クリックで保存
韓国語通訳有

人の知恵は、いかに勉強し、いかに経験するかによって増していくものだが、神の国の事柄は、人の知恵によっては理解し得ない。
人類歴史が培ってきた、科学や文学といった人間の知恵によっては、決して悟るとこはできないため、21世紀となった今となっても、神の存在を立証したのかしないのか分からない状態である。

「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。」(1コリ2:7)
この神の知恵の最たるものが、イエスの十字架の事である。
イザヤは預言している。
「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。」(イザヤ53:1)
一体誰が、自分達のメシヤが、十字架につけられるなど予想できただろうか。
神のなさる事は、人には、とうてい思いもよらない事である。
「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」」(1コリ2:9)

御霊の光による照明がなくては、御言葉を悟る事は出来ない。
御霊に導かれて歩むには、私達は罪に対しては死んだ者であり、神に対しては生きている者である、と、自由意志によって「仕分け」する事、そして、霊に従って歩むかそれとも肉に従って歩むか、という二者択一の場面で、霊に従って歩む事を選び続ける事である。
そうやって御霊に従って進む者は、豊かな御霊の実を結んでいく。

御霊によって歩み、多くの豊かな実を結ばせる皆さんでありますように!

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