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悪人と相対した時に立ち振る舞うべき法則(詩篇37:1-20)
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詩篇37篇も、25篇と同様、それぞれの節の冒頭がヘブライ語アルファベット順に並んだ詩篇である。
アルファベット順に並んでいる理由は、覚えやすくなっているから「覚えなさい」という事であり、もしこの詩篇を覚え、この詩篇に記されている通りの思考パターンで生きるなら、人生の途上で、たとえ悪人と相対した時でも、煩わせられる事なく、効果的に立ち振る舞う事が出来るのだ。

『ダビデの歌』(詩篇37篇表題)
詩篇37:1 悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。
37:2 彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。

これを覚えているなら、自ら悪の道に入る事はできない。
もし御言葉にそぐわない悪をを行うなら、主に敵対され、草のように衰えるという法則が、御言葉を通して、身に沁みているからだ。
悪人達とは逆に、水路のそばに植わった木のごとくに、何をしても栄える人とは、悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった人、主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ人である。(詩篇1篇)

詩篇37:3 主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。
37:4 主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
37:6 あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。

この箇所は、多くのキリスト者の聖書に印がついている所ではないだろうか。
主に信頼する事、主を喜びとする事、人生の道を主にゆだねる事、それは、ユダヤ人の多くも遵守する所であり、キリストにある老若男女全ての聖徒が生きる人生の基準である。
この基準に従って歩む人に対し、主は、彼らの全ての物事を成し遂げさせてくださり、また、彼らが世にさばきの場に立つ時、主からの軍配が上がって、主の栄光の光に輝かされるコツである。(6節)

詩篇37:7 主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。
37:8 怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。

主は、悪人に対しては悪で報いられる故に、私達も、悪人が悪をしたからと言って、悪で返してはならない。

詩篇37:9 悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。

この「国を継ぐ」というキーワードは、詩篇37篇で5回出てくる重要キーワードである。(9,11,22,29,34節)
どのような人が、地を相続するか。

1ペテロ3:9 悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。
3:10 「いのちを愛し、/さいわいな日々を過ごそうと願う人は、/舌を制して悪を言わず、/くちびるを閉じて偽りを語らず、
3:11 悪を避けて善を行い、/平和を求めて、これを追え。
3:12 主の目は義人たちに注がれ、/主の耳は彼らの祈にかたむく。しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう」。

さばきは主のものであり、私達が報復する者ではない。
私達は、悪に対しては悪で返さず、善で返すべきである。悪で返すなら、悪人の報いを受けてしまうからだ。
なぜなら私達が召されたのは、祝福を受け継ぐためであるからだ。

詩篇37:10 悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。
37:11 しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。

柔和な者は、地を相続する。(マタイ5:5)
この「柔和(アナーブ:謙遜な、貧しい)」は、モーセの性質でもある。

民数記12:3 モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。

この民数記12章の場面では、彼の姉ミリヤムが、モーセがクシュ人の女をめとっていた事を責め立てて、「主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。」、と言ったが、主の軍配はモーセのほうに上がった。ミリヤムはこの高ぶりが元で、ツァラアトになった。
なぜなら主が立てた権威は、ミリヤムにではなく、モーセのほうにあったからだ。
地上においては、弁論達者な者、多少うそをついても物事をうまく進めて行く者が栄えてくかのように見えるが、主が目を留めて偉大な指導者とされる人とは、多少口下手であっても謙遜な人なのだ。

詩篇37篇の12節以降は、悪者は決して栄え続けないという法則が記されている。

詩篇37:12 悪しき者は正しい者にむかって/はかりごとをめぐらし、これにむかって歯がみする。
37:13 しかし主は悪しき者を笑われる、彼の日の来るのを見られるからである。
37:14 悪しき者はつるぎを抜き、弓を張って、貧しい者と乏しい者とを倒し、直く歩む者を殺そうとする。
37:15 しかしそのつるぎはおのが胸を刺し、その弓は折られる。

主は、御前において誠実に正しく立とうとする人が、悪人の手の中で滅びるような事を、黙ってはおかない。
悪人は主の目にかなった人に罠を張ろうとしても、その墓穴は自分で入るように、主はなされる。

詩篇37:16 正しい人の持ち物の少ないのは、多くの悪しきの者の豊かなのにまさる。
37:17 悪しき者の腕は折られるが、主は正しい者を助けささえられるからである。
37:18 主は全き者のもろもろの日を知られる。彼らの嗣業はとこしえに続く。
37:19 彼らは災の時にも恥をこうむらず、ききんの日にも飽き足りる。

ボアズはききんの時代にあっても、彼の畑は豊かに満ち足りていた。
それは、彼が貧しい人をかえりみ、自分の事業所では祝福のあいさつを交わし合う、主の御言葉を忠実に守り行う、御前で正しく歩む人だったからだ。
主はそのような人に対して、恥をこうむらせる事なく、その嗣業を、永遠に続かせて下さる。

詩篇37:20 しかし、悪しき者は滅び、主の敵は牧場の栄えの枯れるように消え、煙のように消えうせる。

牧場が草で生え盛っているとするなら、それは、羊たちに食べ尽くされる。
同様に、悪人の蓄えたものは、主の羊たちが、それを食べて行くものなのだ。

伝道者の書2:26 神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。

悪人は、いかに悪で蓄えても、それは悪人がいつまでも持つものではない。
それらは主を羊飼いとする主の羊たちへと、渡されていくのだ。

この詩篇37篇に従い、悪人がした事には、いつまでも心煩わせる事なく、主を喜びとし、主に信頼し、主が成し遂げて下さる事にまかせるという、ただ平安の日々を歩んでいく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

1テサロニケ人への手紙 講解説教 水曜夕礼拝
パウロ抜きで信徒達の模範となったテサロニケ教会の秘訣(1テサロニケ1:1-3)
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1テサロニケ1:1 パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
1:2 わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、
1:3 あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。

ヤコブ2:14 わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
2:15 ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、
2:16 あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。
2:17 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
・・・2:21 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。
2:22 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、

1コリント13:1 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
13:2 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
13:3 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
13:4 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
13:5 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
13:6 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
13:7 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
・・・13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

ローマ5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
5:3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

Luk 4:12  するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』と言われている。」
Luk 4:13  誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。
Luk 4:14  イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。

日夜主に慰めを求める人に、慰めを見せてくださる主(ルカ2:25-40)
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ルカ2:25 その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
2:26 そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。
2:27 この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、
2:28 シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
2:29 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに/この僕を安らかに去らせてくださいます、
2:30 わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
2:31 この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
2:32 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。
2:33 父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。
2:34 するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。――
2:35 そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。――それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、
2:37 その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。
2:38 この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。
2:39 両親は主の律法どおりすべての事をすませたので、ガリラヤへむかい、自分の町ナザレに帰った。
2:40 幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった。
 

御言葉を思い巡らしアーメンする事によってキリストを宿す性質(ルカ2:15-24)
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博士達は星に導かれてイエス様の元へと導かれたが、羊飼い達は「ダビデの町で救い主がお生まれになった」というキーワードしか無かったので、ミカ書の預言の御言葉を頼りに、「ここに飼い葉桶に布にくるまって寝かされている赤ちゃんはいませんか」と聞いて回ったかもしれない。

ルカ2:15 御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。
2:16 そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。

御言葉には、賞味期限がある。
羊飼いがもし聞いた御言葉に対し「もうちょっと待って」「明日にします」「1週間後にします」などと言っていたら、飼い葉桶に寝かされているイエス様には出会えなかっただろう。

ルカ2:17 彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。

イエス様が飼い葉桶に寝かされている所には、「人々」がいた事が書いてある。
アウグストによる住民登録騒ぎで、混雑状態にあるベツレヘムは、この、動物小屋で飼い葉桶に寝かされている、通常ではありえない場面に、人々が来ていたのかもしれない。

ルカ2:18 人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。

人々が飼い葉桶に布にくるまって寝かされている赤ちゃんイエス様を囲んでいる所に、「ここに飼い葉桶に布にくるまって寝かされている赤ちゃんはいませんか」と、通常ではありえないような事を聞いて回る羊飼い達が来て、人々も、マリヤも、おおいにびっくりしただろう。

2:19 しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。

マリヤの性質、それは、聞いた御言葉を思い巡らす性質である。
それが、彼女をしてイエス様を宿らせた。

2:21 八日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた。

御使いが「イエスと名付けなさい」と言ったのは、「受胎のまえ」と書いてある。
だから御使いがマリヤに「おめでとう、恵まれた方」と言った時点ではまだ身ごもっていなかったのだ。
いつ身ごもったか。
それは、マリヤが「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ1:38)と言った時点ではないかと私は思う。
なぜなら、イエス様は、御言葉を信じた人のうちに宿って下さるからだ。
もしマリヤが、御使いの言葉に「ありえない」「困ります」などと言って拒否していたら、御使いは次の人を、すなわち御言葉を信仰で混ぜてアーメンして自分自身に結びつける人を探しに出て行っていたかもしれない。

2:22 それから、モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った。
2:23 それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、
2:24 また同じ主の律法に、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。

このきよめの期間と犠牲についての律法は、レビ記12章にある。

レビ記12章は、出産に関する規定である。
『「イスラエルの人々に言いなさい、『女がもし身ごもって男の子を産めば、七日のあいだ汚れる。すなわち、月のさわりの日かずほど汚れるであろう。八日目にはその子の前の皮に割礼を施さなければならない。その女はなお、血の清めに三十三日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。』(レビ記12:2-4)

男の子を出産すると、七日間その女性は汚れ、さらに三十三日、きよめのために家に留まり、その間、聖なる所に入ってはならない。
そして女の子を出産するなら、その汚れときよめの期間は、男の子の場合の2倍となる。
新しいいのちが誕生する「おめでた」なのに、一体なぜ「汚れ」からの「きよめ」が必要なのか。

創世のはじめ、神は全生物に対し、産んで、増えて、地に満ちていくよう、祝福の命令を下された。
アダムとエバに罪が無かった頃、出産は、命を増え広がらせる、尊くすばらしき事であったはずだが、女が蛇に欺かれ、全人類に罪を導入してしまった時、「良き事」であったはずの出産は、罪を生み出し、罪を地にはびこらせる「悪しき事」へと変容してしま、ノアの時代に至っては、悪が甚だはびこり、神を悲しませるまでになった。
「女の産みの苦しみを大いに増す」(創世記3:16)、これは、夫に対して、そして全人類に対して、罪を運ぶ通路として用いられてしまった事の、ペナルティとして、女に与えられたものだった。

女性は、いのちを産み、育てるという役割が与えられている故、「母性」という特別な愛情が与えられた。
それ故、ことさらに清めに立つ必要があるのだ。
そういうわけで、出産した女性は、七日プラス三十三日の、計四十日(女児の場合は八十日)という期間が定められ、その閉じこもっている期間、エバ由来の犯しやすい罪と弱さについて、汚れときよめについて、そして、母としてこれからいのちをしっかり繋いで行くべき事を、新しく生まれたいのちとじっくり向き合いながら、思いめぐらし、考えるべきなのだ
御言葉を思い巡らし、いのちを思い巡らす。
それこそマリヤのようにキリストを宿す性質である。

いのちを産む事、子を育てる事、そして、性的な事には、ことさら「汚れ」が入りやすい。
それ故、それらの事には特に「きよめ」の意識を持たなくてはならない。
夫婦の営みや、出産の度にそれらを学んでいるユダヤ人女性は、いのちと性に関する概念がとてもしっかりしており、そのため、ユダヤ民族は諸々の歴史的な困難にもかかわらず、栄え、増え広がって行ったが、そうした学びの一切無い異教徒達は、それだけ罪と汚れに陥りやすく、滅びを身に招きやすいのだ。

マリヤのように聞いた御言葉を信仰によって自分自身へとしっかり結びつけ、アーメンによって自分と一つとなる人にこそ、イエス様は宿って下さる。

ヘブル4:1 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。
4:2 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。
4:3 ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。それは、/「わたしが怒って、/彼らをわたしの安息に、はいらせることはしないと、/誓ったように」/と言われているとおりである。しかも、みわざは世の初めに、でき上がっていた。

羊飼い達は、聞いた御言葉をそのとおり実行し、そうしてキリストの元へと導かれ、キリストとの出会いを通し、キリストを中心とした交わりによって、喜び賛美しながら帰って行った。
私達もマリヤのように、羊飼いのように、聞いた御言葉をその通り実行し、キリストと出会い、キリストを宿す者となりたい。

クリスマスイブ礼拝

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pastor 2018-12-24 23:56

クリスマスイブ礼拝

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死を打ち滅ぼす為に来たひとりのみどりご(イザヤ8:19-9:7)
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イザヤ8:19 人々があなたがたにむかって「さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ」という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。
8:20 ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。
8:21 彼らはしえたげられ、飢えて国の中を経あるく。その飢えるとき怒りを放ち、自分たちの王、自分たちの神をのろい、かつその顔を天に向ける。
8:22 また地を見ると、見よ、悩みと暗きと、苦しみのやみとがあり、彼らは暗黒に追いやられる。
9:1 しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。
9:2 暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。

ルカ2:8 さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
2:9 すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。

イザヤ9:3 あなたが国民を増し、その喜びを大きくされたので、彼らは刈入れ時に喜ぶように、獲物を分かつ時に楽しむように、あなたの前に喜んだ。
9:4 これはあなたが彼らの負っているくびきと、その肩のつえと、しえたげる者のむちとを、ミデアンの日になされたように折られたからだ。
9:5 すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣とは、火の燃えくさとなって焼かれる。

ルカ2:10 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。

イザヤ9:6 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
9:7 そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって/これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。

ルカ2:11 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
2:12 あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

1コリント15:20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
15:21 それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
15:22 アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
15:23 ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
15:24 それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
15:25 なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
15:26 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
15:27 「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
15:28 そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。

主日礼拝
十字架にかかるために赤ちゃんとなって来られたイエス(ルカ2:1-14)
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週報/メッセージ(説教)概要
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成田エクレシア礼拝 音声
 

 あと数日でクリスマス、イエス様の誕生を祝う日となる。イエス様は万物を創られる前より、神の御子として存在しておられたが、なぜわざわざ人の赤ちゃんとして来られたのか。その「基本」を改めて思い返したい。

イエス様がお生まれになった時、ちょうど皇帝が住民登録をせよという勅令を出した時で、普段は人がいない田舎のベツレヘムも、この時は混雑状態となり、ヨセフとマリヤが泊まれる部屋は、無かった。マリヤ達は祈ったかもしれない。あなたが約束された尊い子がもう生まれそうです、宿をあけて下さい、と。しかしそのようにはならなかった。『彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。』(ルカ2:6-7)
父なる神様は当然、快適な所で御子を産まれさせる事は出来た。しかし敢えてそうはされなかった。
神の御子が、あたかも人の間から締め出されるかのようにして、飼葉おけ(餌箱)の中に布にくるまれ、宿られたのは、しるし(セメイオン)のためと書いてある。『あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるし(セメイオン)である」。』(12節)
セメイオンとは、神的な意味が付与された奇跡を意味する。ただの「奇跡」は、単に人がびっくりするだけで信仰には繋がらない。しかし「しるし(セメイオン)」は、人が神へと繋がる信仰を起こすものである。
では、この「布にくるまれた赤ちゃん」というしるしには、どのような神の意図があるのか。

当時のユダヤの野では、家畜は、岩山の洞窟などで飼っていた。だからイエス様がお生まれになったのは、岩の洞窟の中であった可能性が高い。「飼い葉桶」と訳された語「ファテネー」は、日本でイメージする木箱の飼葉桶ではなく、岩に穿った凹みに、家畜などの獣の餌を入れるものである。想像して欲しい。洞窟の中に、布でくるまれ、岩の床に寝かされている・・・その姿はまさに、埋葬されたイエス様の姿と重なる。
御使いは、羊飼い達に「布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてある幼子が、あなた方のためのしるし」と言ったが、その有様は、まさに死んで葬られるキリストのしるしであり、それは全ての人々・・・博士達のような異邦人でも、羊飼いのような卑しい人であったとしても、全ての人々の身代わりに死んで下さる「救いのしるし」であり、どんな獣のような人であっても、彼のいのちにあずかれるように、飼い葉桶へ宿られたのだ。

万物は御子キリストにあって創られ、彼にあって万物が成っているのに、彼は何故、この人間世界に、貧しい夫婦の赤ちゃんとして降りて来られ、岩窟に寝かされたのか。それはこの上ない愛が全うされるためだ。
『神はそのひとり子を賜わった程に、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。』(ヨハネ3:16) 父なる神が御子を世に遣わされた理由、それは圧倒的な愛と憐れみ故である。神は人を愛し、一人も滅びる事を望んでおられないため、全人類(わたし)の罪を、独り子である彼に負わせ、処罰し、彼を信じる人が罪に定められる事がなく、永遠の天国で生きるためだ。
『神はそのひとり子を世につかわし、彼によって私達を生きるようにして下さった。それによって、私達に対する神の愛が明らかにされたのである。私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して下さって、私達の罪のためにあがないの供え物として、御子をお遣わしになった。ここに愛がある。』(1ヨハネ4:9-10)
私達・人間を救いたい、というその激情の愛がイエス様を動かし、栄光の神の御座を降りてあの貧しい所の赤ちゃんとなり、ご自身のいのちを投げ出させたのである。それで彼を信じる人は、アダム以来の死と呪いから開放され、神の子としての特権をいただき、永遠のいのちを得、永遠の天国に入る特権を得るのだ。

イエス様が赤ちゃんとなってこの世に来られたのは、愛のゆえ・・・そして十字架で死ぬため。その大きな愛が、見える形となって、赤ちゃんとしてこの世に結実した故に、御使い達は、大いに喜び、ほめ讃えた。
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように。」(14節)
彼の身代わりの死は、私達が代わりに生きるため。その救いにあずかった私達もほめ讃え、賛美するのだ。
「屠られた小羊こそ、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美とを受けるにふさわしい。」(黙5:12)
赤ちゃんとなって生まれたイエス様は、十字架への道を歩み出される。その小さな手の中に、全ての人の罪と呪いを、一手に握りしめて。この御方を喜び讃えつつ、クリスマスを迎える皆さんでありますように!

主のしもべこそ手に入れる事ができるエデン(詩篇36篇)
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『聖歌隊の指揮者によってうたわせた主のしもべダビデの歌』(詩篇36篇表題)

この詩篇の表題で、ダビデは自らを「主のしもべダビデ(レ・エベド・ヤーウェ・レ・ダヴィド)」と表明している。

「しもべ」とは「主人」ありきの存在であるが、私達・全ての信仰者にとって、主なる神が主人であり、私達はしのしもべである。
主のしもべである事には、特別な意味がある。それでダビデも、初代教会の人々も、自分は主のしもべである事を宣言した。

使徒4:24 一同はこれを聞くと、口をそろえて、神にむかい声をあげて言った、「天と地と海と、その中のすべてのものとの造りぬしなる主よ。
4:25 あなたは、わたしたちの先祖、あなたの僕ダビデの口をとおして、聖霊によって、こう仰せになりました、/『なぜ、異邦人らは、騒ぎ立ち、/もろもろの民は、むなしいことを図り、
4:26 地上の王たちは、立ちかまえ、/支配者たちは、党を組んで、/主とそのキリストとに逆らったのか』。

迫害を受けた初代教会の聖徒達は、「わたしたちの先祖、あなたの僕ダビデ」と言って、自分達を「僕ダビデ」の子孫と位置づけた。
すなわち、自分達も王であり、そして僕である、と。

使徒4:27 まことに、ヘロデとポンテオ・ピラトとは、異邦人らやイスラエルの民と一緒になって、この都に集まり、あなたから油を注がれた聖なる僕イエスに逆らい、
4:28 み手とみ旨とによって、あらかじめ定められていたことを、なし遂げたのです。

彼らは続いて、彼らの主イエス様を「僕イエス」と告白した。
それは、主であるイエス様は、王であり、父なる神の御子でありながらも、父なる神に対しては「僕」の立場を全うされたからだ。

使徒4:29 主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。
4:30 そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。
4:31 彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。

自分たちもまた「僕」ダビデに繋がる者であり、「僕」イエス様の御名を宣言した。
すると彼らに、しるしとして、聖霊の満たしと、神の御言葉を語る事の大胆さが与えられた。

僕とは主人の言葉に100%従う者である。
その立ち位置に立つ時、私達も聖霊の充満が与えられるのだ。
聖霊充満とは、本人自身が、聖霊の導きに従順する決心が充満する時、与えられる。だから、聖霊の不思議な力を利用して自分が何か特別な存在になりたい、と、自己中心的な願望をもって「ください、ください」と祈っても、与えられないのだ。
主なる神に従順する事なしに、超自然的な力を得て、身勝手に行使したいとするなら、その人は「魔術」を求める者である。

詩篇36篇は、悪者の道と、主のしもべの幸いな道、そしてダビデの祈りという3つの部分によって成り立っており、1-4節では、「しもべ」の逆を行く悪しき達の特徴が示されている。

詩篇36:1 とがは悪しき者にむかい、その心のうちに「言う(ネウム)」。その目の前に神を恐れる恐れはない。

「言う」と訳された語ネウムは聖書にたくさん出てくるが、特に、イザヤ・エレミヤ書以降の預言書に「主の御告げ(ネウム・ヤーウェ)」として頻繁に出てくる。
主を恐れ敬う者にとっては「主の御告げ」が行動規範であるのに対し、悪しき者にとっては、「とが」が、彼らの行動規範なのだ。

詩篇36:2 彼は自分の不義があらわされないため、また憎まれないために、みずからその目でおもねる。
彼らは、目で見える事が全てである。
だから、見えない神に対する恐れはなく、そして、誰も見ていない・誰にもバレないなら、どんなに悪辣な事をしても全く問題なし、と思っているのだ。

詩篇36:3 その口の言葉はよこしまと欺きである。彼は知恵を得ることと、善を行う事とをやめた。
36:4 彼はその床の上でよこしまな事をたくらみ、よからぬ道に身をおいて、悪をきらわない。

主を恐れ敬う人は、その口から、自分自身の信仰を混ぜた御言葉を語りだす。
しかし悪人は、その口からよこしまと欺きが溢れ流れ出てくる。
また彼らは、主から知恵を得ようとする心も、善を行う気持ちも、止めてしまった。

そのような彼らは、夜、一日の終わりの寝床でさえ、悪を計る。主を恐れる人は御言葉に固く立とうとするように、彼らはよくない道に固く立っているのだ。
それは「主のしもべ」とは真逆の道、自分を自分の主人とする「悪者」の道であり、自分の背丈以上のことは出来ないし、また自分の背丈以上に得る事も出来ない。
そうして自分の身の丈ほどの人生が終わってしまったら、もうそれで永遠におしまいである。

それに対し、5節から9節に、主のしもべが受けるさいわいが記されている。

詩篇36:5 主よ、あなたのいつくしみは天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶ。
36:6 あなたの義は神の山のごとく、あなたのさばきは大きな淵のようだ。主よ、あなたは人と獣とを救われる。

5-9節の主人公は「あなた」、すなわち彼らの主人である神、主である。
主のいつくしみ、主のまことは、天よりも雲よりも高い。
そして主の義と、悪人を正しく主のさばき、そして、そこから受ける莫大な恩恵を、主のしもべは、大いに享受できる。
悪人は、自分の身の丈ほどしか得られないのに対し、主のしもべが受ける恩恵は、天よりも雲よりも高いのだ。

詩篇36:7 神よ、あなたのいつくしみはいかに尊いことでしょう。人の子らはあなたの翼のかげに避け所を得、

主のしもべとなる事の報酬は、主が御翼を広げ、その陰に宿らせて下さる事である。
主は彼らを狩人のわなから、恐ろしい疫病から救い出され、ご自分の羽でおおわれ、その人は夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。
暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも、千人がかたわらに、万人が右手に倒れても、それらの災いは近づかない。
このような、詩篇91篇に記されているあらゆる幸いが、主のしもべのものとなるのだ。

詩篇36:8 あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。あなたはその楽しみ(エデン)の川の水を彼らに飲ませられる。
36:9 いのちの泉はあなたのもとにあり、われらはあなたの光によって光を見る。

主はその言葉に従順する「しもべ」を、あらゆる良きもので満ちたらせ、エデンの川の水を飲ませてくださるという。
エデンにおいては全ての必要が満たされている。
エデンでは、何万本あるか分からない程の色々な種類の実りがあり、主は、その全てから、思いのまま取って食べて良い、と言われたのだが、その中で唯一、取って食べてはならないのは、善悪を知る知識の木だった。(創世記2:16-17)
私達の人生がエデンのように楽園のようになるためには、しもべであり続ける事、すなわち、自分の善悪判断を捨て、主の御言葉どおり従順し続ける事である。

10節以降は、ダビデの祈りである。

詩篇36:10 どうか、あなたを知る者に絶えずいつくしみを施し、心の直き者に絶えず救を施してください。

彼は、2つが注がれるよう、主に求めた。すなわち、主を知る者に、主の恵みが注がれる事と、心に偽りの無い者に、主の義が注がれる事を。
恵みと義は、いずれも主に由来するものであって、決して、自分由来ではない。
主の義は、主に対しては心になんの後ろめたい所が無い人、やましくて隠したい所が無い人にこそ、現して下さる。だからアダムとエバのように、自分のとがを隠す者は、義とされず、エデンから追い出されてしまった。

詩篇36:11 高ぶる者の足がわたしを踏み、悪しき者の手がわたしを追い出すことを/ゆるさないでください。
36:12 悪を行う者はそこに倒れ、彼らは打ち伏せられて、起きあがることはできない。

ダビデは成功した時、高ぶる者の足に追いつかれてしまい、彼の忠実な部下の妻に手を出し、その部下を謀殺してしまった。
ダビデにとって人生の最大の敵は、ペリシテ人でもサウルでもなく、成功した時に忍び寄ってくる「高ぶり」だった。それが彼の後半人生を、非常に苦々しいものにしてしまった。

私達も祈るべきである。「高ぶる者の足がわたしを踏み、悪しき者の手がわたしを追い出すことを/ゆるさないでください。」と。

まことの神殿イエス様からいのちの水を流しだすには(エゼキエル40:1-5)
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メッセージ音声

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エゼキエル40:1 われわれが捕え移されてから二十五年、都が打ち破られて後十四年、その年の初めの月の十日、その日に主の手がわたしに臨み、わたしをかの所に携えて行った。
40:2 すなわち神は幻のうちに、わたしをイスラエルの地に携えて行って、非常に高い山の上におろされた。その山の上に、わたしと相対して、一つの町のような建物があった。
40:3 神がわたしをそこに携えて行かれると、見よ、ひとりの人がいた。その姿は青銅の形のようで、手に麻のなわと、測りざおとを持って門に立っていた。
40:4 その人はわたしに言った、「人の子よ、目で見、耳で聞き、わたしがあなたに示す、すべての事を心にとめよ。あなたをここに携えて来たのは、これをあなたに示すためである。あなたの見ることを、ことごとくイスラエルの家に告げよ」。
40:5 見よ、宮の外の周囲に、かきがあり、その人の手に六キュビトの測りざおがあった。そのキュビトは、おのおの一キュビトと一手幅とである。彼が、そのかきの厚さを測ると、一さおあり、高さも一さおあった。

エゼキエル47:1 そして彼はわたしを宮の戸口に帰らせた。見よ、水の宮の敷居の下から、東の方へ流れていた。宮は東に面し、その水は、下から出て、祭壇の南にある宮の敷居の南の端から、流れ下っていた。
47:2 彼は北の門の道から、わたしを連れ出し、外をまわって、東に向かう外の門に行かせた。見よ、水は南の方から流れ出ていた。
47:3 その人は東に進み、手に測りなわをもって一千キュビトを測り、わたしを渡らせた。すると水はくるぶしに達した。
47:4 彼がまた一千キュビトを測って、わたしを渡らせると、水はひざに達した。彼がまた一千キュビトを測って、わたしを渡らせると、水は腰に達した。
47:5 彼がまた一千キュビトを測ると、渡り得ないほどの川になり、水は深くなって、泳げるほどの水、越え得ないほどの川になった。
47:6 彼はわたしに「人の子よ、あなたはこれを見るか」と言った。それから、彼はわたしを川の岸に沿って連れ帰った。
47:7 わたしが帰ってくると、見よ、川の岸のこなたかなたに、はなはだ多くの木があった。
47:8 彼はわたしに言った、「この水は東の境に流れて行き、アラバに落ち下り、その水が、よどんだ海にはいると、それは清くなる。
47:9 おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所では、すべてのものが生きている。
47:10 すなどる者が、海のかたわらに立ち、エンゲデからエン・エグライムまで、網を張る所となる。その魚は、大海の魚のように、その種類がはなはだ多い。
47:11 ただし、その沢と沼とは清められないで、塩地のままで残る。
47:12 川のかたわら、その岸のこなたかなたに、食物となる各種の木が育つ。その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる。これはその水が聖所から流れ出るからである。その実は食用に供せられ、その葉は薬となる」。

ヨハネ7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
7:39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。

イザヤ11:1 エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、
11:2 その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。

1テサロニケ人への手紙 講解説教 水曜夕礼拝
1テサロニケ人への手紙 概要(1テサロニケ1:1)
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