メッセージ - 最新エントリー

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
陶器師である主の御手の中で(エレミヤ18:1-6):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
キリストの育ての親(マタイ1:17-25):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
第七のラッパ - 永遠なるキリストの王権成就(黙示録11:14-19):右クリックで保存

 

礼拝説教メッセージ音声:コラ達の反逆(民数記16:1-4):右クリックで保存

『ここに、レビの子コハテの子なるイヅハルの子コラと、ルベンの子なるエリアブの子ダタンおよびアビラムと、ルベンの子なるペレテの子オンとが相結び、イスラエルの人々のうち、会衆のうちから選ばれて、つかさとなった名のある人々二百五十人と共に立って、モーセに逆らった。』(民数記16:1-2)
今まで幾度か、主とモーセに対する反逆は、幾度かあったが、いずれも、肉が食いたいと泣き喚きちらすとか、主に示された事を「いやだ」と言って一晩中泣き明かすなど、幼稚で、直情的・原始的なものだった。
しかし今回の反逆は、知的で、計画的で、裏で手を回し有力者を味方につけるなど、組織的・政治的である。

コラは、ケハテ族のレビ人で、彼らは聖所の最も聖なる祭具を運ぶべき任を負っている。(民数記4章)
とは言っても、彼らがいつも運んでいる聖所の祭具は、彼らは一生、見ることは出来ない。
なぜなら、それらの祭具は、アロンとその子達のみが扱う事を主から許されており、ケハテ族が運搬する際には、アロンとその子らが、あらかじめ青布やじゅごんの皮で梱包してからでないと、運べないからだ。

聖所の祭具は、純金がふんだんに使われているため、とても重い。
だから、ケハテ族のレビ人は、自分達が運んでいるその中身を見ることは出来ず、ただ、じゅごんの皮で梱包された”重たい物”を、担いで運ばなくてはならない。
それだから、コラはもしかしたら、自分が担当しているの奉仕を、きつく、つまらない、日の目を見ない作業として、見ていたかもしれない。
モーセやアロンは、自分と同族のケハテ族なのに、彼らだけが、人の上に立って目立ち、聖所にも出入りする事が出来、民の捧げ物のうちから取り分もある。
それに引き換え、自分達は・・・と。

現代を生きる、神の働き人たちも、同様の罠に陥りやすい。
こんな、じゅごんの皮のような、つまらない信徒たちを、毎日霊的に背負って運ぶのは、重くてきつい。日の目を見ない奉仕だ、と。
しかし、忘れてはならない。
いかにじゅごんの皮のように、見栄えせず、つまらない人に見えても、イエス・キリストにある信徒であるからには、その中身は、イエス様をお入れする尊い神の器である事を。
そして、彼らを霊的に担うその奉仕は、主の御前に、とても尊い奉仕である事を。
コラは、自分がどれ程栄光ある奉仕を担っているのか、忘れていた。

『彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らって言った、「あなたがたは、分を越えています。全会衆は、ことごとく聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、どうしてあなたがたは、主の会衆の上に立つのですか」。』(民数記16:3)
この言い分は、尤もらしく聞こえる。
「全会衆は、ことごとく聖なるものであって、主がそのうちにおられる」、民主的に聞こえるし、プライドを刺激する言葉である。
二五〇名の有力者たちも、その言葉に刺激を受けたのだろう。
神が立てた権威を引きずり下ろし、自分を高く引き上げよう、という性質は、サタンの性質と同じ「高ぶり」であり、罰されるべき反逆の罪である。

『あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。』(ユダ5-6)
自分達のおるべき地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った使いへの裁きは、暗闇に落とされ、そこに永遠に縛られ閉じ込められる事であったが、コラたちも反逆する事を止めなかったために、後には同じ裁きを受ける事になってしまう。

モーセはコラの反抗に対し、知力や雄弁さで対抗するでもなく、それまで培ってきた政治的な手腕を用いるでもなく、真っ先に、主の御前にひれ伏した。(民数記16:4)
ひれ伏す。それは人の目には愚かで、弱々しく、みっともなく見える。
しかし、主にひれ伏す姿勢こそ、人には愚かでも、主の御前には最も偉大な態度である。
彼は、反逆の民と面と向かって反論せず、真っ先に主に向かい、主に訴えた。
それが、全ての解決の近道であり、主は結局彼を守り、彼の側について下さる。

『わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。』(黙示録3:8-9)

礼拝説教メッセージ音声:天に属する事のしるし(民数記15:31-41):右クリックで保存

『イスラエルの人々が荒野におるとき、安息日にひとりの人が、たきぎを集めるのを見た。そのたきぎを集めるのを見た人々は、その人をモーセとアロン、および全会衆のもとに連れてきたが、どう取り扱うべきか、まだ示しを受けていなかったので、彼を閉じ込めておいた。
そのとき、主はモーセに言われた、「その人は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で撃ち殺さなければならない」。そこで、全会衆は彼を宿営の外に連れ出し、彼を石で撃ち殺し、主がモーセに命じられたようにした。』(民数記15:32-36)

行為だけ見ると、彼が行ったのは「たきぎ集め」である。
人は思う。たかが、***しただけで、主がそこまでされるのは、ひどいのではないか、と。
しかし、人は例外なく、真理の法則に支配されるものであり、それに反した行為をするならば、破滅を身に招くものだ。

彼がいた環境は、神の民の中である。
安息日を覚えて聖とすべき事、その日は一切働いてはならぬ事を、彼は幾度も聞いていたはずであるし、二百万ほどのイスラエルの全会衆が、安息日には一斉に休んでいるのを長らく見続けている状況で、それでも彼は安息日に「たきぎ集め」という労働をした。
彼の罪過は、明白である。
そんな彼を、敢えて野放しにして置くとしたら、会衆全体の中に、すぐに主を侮る心が蔓延してしまう。
主は、約束の地を継ぐべき新しい世代を、そのような呪いのパターンに陥らぬようにと、敢えて厳しい措置を取られたのだろう。

「たきぎ集め」が労働に値するかどうか。クリスチャンが「酒を飲む」「パチンコに行く」事が、罪に値するかどうか。私達は良く議論する。
そうした事がグレーな場合は、しないに限る。そして、神と人との前でそれらの事が出来るかどうかを、自身に問うて見ると良い。
もし、神と人の前で、それをする事に呵責を覚えるとしたら、それはしない方が良いのだ。

主は、民が滅びを招くような行動に出る事を防ぐために、次の事を命じられた。
『イスラエルの人々に命じて、代々その衣服のすその四すみにふさをつけ、そのふさを青ひもで、すその四すみにつけさせなさい。あなたがたが、そのふさを見て、主のもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたが自分の心と、目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。』(民数記15:37-40)

青は、天の色である。
つまり、互いの衣服についている青いしるしを見る度に、自分達は天に属する者、神の民である事を思い起こさせ、親の世代が滅んだような誘惑に陥って堕落させないために、この事を定められた。
私達にとって、救いのしるしは十字架であり、私達が日常を過ごす時、自分が天に属する者であると思い起こさせて下さるお方は、聖霊である。

イエス様の時代、パリサイ人は、この”しるし”を形骸化させてしまったようである。(マタイ23:5-7)
彼らは、衣のふさの青いしるしを、自分を戒めるためではなく、人にアピールして飾るためのものとしてしまった。

同じように現代、十字架というと、ネックレスなどのアクセサリーとして思い出す人は多くいても、イエス様の痛みを覚えるしるしとして思い出す人は、ほとんどいない。
私達は、そうあってはならない。
十字架は、背負うものであり、自分を飾り付けたりアピールしたりするものではない。
私達はいつでも自分の十字架を背負って歩み、自分達が天に属する者である事を、いつも思い起こすべきである。

礼拝説教メッセージ音声:罪が示された時は(民数記15:22-30):右クリックで保存

『あなたがたが、もしあやまって、主がモーセに告げられたこのすべての戒めを行わず、主がモーセによって戒めを与えられた日からこのかた、代々にわたり、あなたがたに命じられたすべての事を行わないとき、すなわち、会衆が知らずに、あやまって犯した時は、全会衆は若い雄牛一頭を、燔祭としてささげ、主に香ばしいかおりとし、これに素祭と灌祭とを定めのように加え、また雄やぎ一頭を、罪祭としてささげなければならない。』(民数記15:22-25)

ここは、故意にではなく、知らない間に罪を犯した場合の教えであり、御言葉の光に照らされ、それが明らかになった際には、罪のためのいけにえを捧げる事が、定められている。
罪が人目に隠れていて、自分達は実は罪を犯していた、という事に、たとい気付いていなくとも、御言葉で定められた事に違反していたのであれば、それは、主の御前に悔い改める必要がある「罪」である。

罪の意識が無いのに「それは罪だ、悔い改めよ」と言われても、実感が沸かず、悔い改める気がさらさら無い人もいるが、自分が罪を犯したかどうかという判定は、御言葉が示すものであって、自分の実感に拠るものではない。
そして、自分が罪を犯した事を、悲しみ、悔やみ、恥ずかしく思う気持ちなどは、聖霊によって与えられる。

私達の内にある罪が、明らかにされたなら、私達は、真正面からその罪に向き合って、対処しなくてはならない。
なぜなら、罪がある状態では、神との隔てがそのまま残る状態であり、サタンに訴えられる口実を、そのまま持ち続ける事だからである。
対処せずにそのまま放置する時間が長ければ長い程、神様との間の隔ての壁はますます厚くなり、主の声を聞く感受性がますます鈍くなっていき、ますます祝福されない体質となってしまう。

『もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。』(1ヨハネ1:8-10)
それだから、一刻も早く主との健全な関係を取り戻すために、一刻も早くラクになるために、罪の告白と悔い改めは、すみやかに為すべきだ。

次に、故意に罪を犯す場合についての教えである。
『国に生れた者でも、他国の人でも、故意に罪を犯す者は主を汚すもので、その人は民のうちから断たれなければならない。彼は主の言葉を侮り、その戒めを破ったのであるから、必ず断たれ、その罪を負わなければならない。』(民数記15:30)

故意に、すなわち、それが罪であり主が忌み嫌われる事を知らされつつも、平気で、好き好んでその罪を犯し続ける場合は、民の中から「断たれ」、その罪を負わなくてはならない。
たとえば、御言葉の光に照らされ、自分の中の罪が明らかになった場合、罪祭のいけにえを捧げる事を億劫がったり、あるいは「だって、しょうがないじゃないか!」「そんなこと知らない!」と逆ギレしたり、といった場合も、そうである。

その教えは、他国人であろうとイスラエル人であろうと、同じであり、現代を生きるキリスト者に対しても、同じである。
『もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。モーセの律法を無視する者が、あわれみを受けることなしに、二、三の人の証言に基いて死刑に処せられるとすれば、神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。』(ヘブル10:26-29)

「絶たれる」の言葉の意味は「捨て去る」「追放される」という意味もあるし、「抹殺される」という意味もある。
私達は、主の民から追放されていない今の内に、恵みと憐れみが示されている今の内に、すみやかに悔い改めるべきである。

礼拝説教メッセージ音声:将来の幸いのご計画(民数記15:1-21):右クリックで保存

民数記の10章から21章は、民の荒野での行程の記録だが、15章は例外的に、レビ記のような主の定めが記されている。
『「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたが、わたしの与えて住ませる地に行って、主に火祭をささげる時、すなわち特別の誓願の供え物、あるいは自発の供え物、あるいは祝のときの供え物として、牛または羊を燔祭または犠牲としてささげ、主に香ばしいかおりとするとき、その供え物を主にささげる者は、燔祭または犠牲と共に、小羊一頭ごとに、麦粉一エパの十分の一に、油一ヒンの四分の一を混ぜたものを、素祭としてささげ、ぶどう酒一ヒンの四分の一を、灌祭としてささげなければならない。』(民数記15:1-4)

主のこの命令に、イスラエルの民は、戸惑いを覚えた事だろう。
なにしろ、二十歳以上の男子は約束の地に入れない事が確定してしまい、もうあと三十八年の放浪が確定したばかりなのに、主は、約束の地に入った後の事を命じておられるのだ。
それに、「主に捧げる」という行いからは縁遠いような、主の恵みにケチをつけ、逆らい通して来たような民に、「捧げる事」の命令である。

主は、不従順な世代は放って置かれ、将来起きる従順な世代のために、将来起こる幸いのご計画を、あらかじめ告げ知らされるのだ。
預言者イザヤやエレミヤを通しても、バビロン捕囚前の不従順な世代の時に、主は、捕囚後の幸いを、既に告げ知らされていた。

主は、この不従順な世代、肉が大好きで捧げる事が大嫌いな世代は、死に絶えさせ、その子の世代が、従順になり、幸いを得るようにと、約束の地に入った後の事の命令を、あらかじめ授けられたのだ。
主の御思いは一貫して、民が主に従順となり、約束の地を受け継ぎ、彼らが主と共に歩み、主は彼らの神となって、神と人とが共に永遠に住まう事を、望んでおらえる。

『その供え物を主にささげる者は、燔祭または犠牲と共に、小羊一頭ごとに、麦粉一エパの十分の一に、油一ヒンの四分の一を混ぜたものを、素祭としてささげ、ぶどう酒一ヒンの四分の一を、灌祭としてささげなければならない。 』(民数記15:5)

この量は、結構な分量である。
油一ヒンの四分の一は、約0.95リットルで、小麦粉十分の一エパは、約2.3リットルである。
1リットル牛乳パックおよそ一本分の油と、2リットルペットボトルより少し多い分量の小麦粉を、燔祭または犠牲のいけにえ一頭につき、添えて捧げるのだ。

小麦粉も、オリーブオイルも、ぶどう酒も、荒野では取れない。
荒野の民がその命令を聞いた時、そんな貴重な食品を、そんなにたくさん、と思ったかもしれないが、彼らがこれから入ろうとしている約束の地は、乳と蜜の流れる地、ぶどう一房さえ、大人二人がかりで担いだ程であるから、それを捧げる事は、十分可能である。
主は、喜んで捧げる人にはさらに増し加えて祝福を与えて下さるお方である。

『またあなたがたのうちに寄留している他国人、またはあなたがたのうちに、代々ながく住む者が、火祭をささげて、主に香ばしいかおりとしようとする時は、あなたがたがするように、その人もしなければならない。』(民数記15:14)

キブロテ・ハタアワでの災いを引き起こしたのは、この、寄留している他国人のつぶやきが元だったが、だからと言って主は、もう他国人はイスラエルの民に混ざってはならないと言ったり、他国人には神の祝福は与えないと言ったり、なさらない。
主に仕えたいという外国人は、確かにいる。
そのような彼らにも、同じように礼拝をさせ、同じような祝福を、主は与えて下さるのだ。
『信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。』(ガラテヤ3:7-9)

『主はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしが導いて行く地に、あなたがたがはいって、その地の食物を食べるとき、あなたがたは、ささげ物を主にささげなければならない。すなわち、麦粉の初物で作った菓子を、ささげ物としなければならない。これを、打ち場からのささげ物のように、ささげなければならない。あなたがたは代々その麦粉の初物で、主にささげ物をしなければならない。』(民数記15:17-21)
私達も、新しい仕事やビジネスなどを開始した時、その初月給や初売上の内から、喜んで主に捧げるなら、主は、さらにその分野を祝福して下さる。
次のように約束されている通りである。
『あなたの財産と、すべての産物の初なりをもって主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる。』(箴言3:9-10)

栄光の家系の女達 – ルツ2 信仰をもって畑に飛び込め(ルツ記2:1-3)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
第二礼拝・礼拝説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

ルツがイスラエルに初入国した時、彼女は、モアブ出身の一介の未亡人で、頼るべき男手も、財産も一切無い、一緒にいるのは、ただ傷心に沈んでいる、年老いた姑のナオミだけという人生を歩み出すには、あまりにも不利な条件が揃いすぎている状況であった。
しかし彼女は、偉大な王・ダビデの曾祖母となり、全世界を祝福へ導くイエスキリストの母として名を連ねた。
私達もルツのように、栄光の家系へと加えて頂く事が、可能である!
たとい当時のルツのように、弱く頼り無くても。いかに、人生を生きるには不利な条件ばかり揃っていても。

ルツ達は、大麦の刈り入れの時期にベツレヘムに着いた。落ち穂拾いが出来るのは、刈り入れた日から一、二週間ほどの短い期間で、ルツ達は、それが出来るちょうど良い時期に、ベツレヘムに着いた。
困難な状況の中でも、主が与えて下さった、ちょうど良いタイミング。しかしナオミは、落ち穂拾いには行けなかった。誰かの畑に入って落ち穂を拾わなくてはならないまでに落ちぶれてしまった自分を、昔ながらの知り合いの前に、晒したくなかったのだろう。しかしルツは、イスラエルの神が定めて下さった「落ち穂拾い」という憐れみにすがり、取るものも取り敢えず、落ち穂を拾うために、どこかの畑に飛び込んだ。
信仰が萎え果て、何も出来なくなった時でも、信仰によって育てた霊的な娘が助けてくれるのである。

外国人の彼女が、他人の畑に入り、人が取りこぼした落ち穂を拾い集める。それは、どれほど恥をしのぶ行為だっただろう。それでも彼女は、ただ謙虚に、膝をかがめて、憐れみにすがった。
私達も、「恵み」という 落穂を拾うには、謙虚に膝をつき、低くかがむ事によって、拾う事が出来る。
困った状況に陥った時、「自分は大丈夫だ」「人の憐れみなどいらない」などと、やせ我慢をしてしまうと、そのプライドが、逆に自分の首を締め、ますますどうにもならない状況へと、追い詰められてしまう。
主の恵みを頂くには、まず「誇り高さ」や「自尊心」は、打ち砕かれていなくてはならない。
主は憐れみ深い。どんなにそしりを受けても、口をちりにつけて主の救いを黙って求めるなら、主はいつまでも見放してはおられず、豊かな恵みによって憐れんでくださるのだ。(哀歌3:22-32)

ルツも、ラハブ同様、まず信仰告白によって神の民に加えられるチケットを手に入れた。
パーティーのチケットを手に入れたなら、その会場に実際に行って使わなければ、そのチケットの恩恵に預かれないように、信仰告白によって手にした「天のパーティーチケット」を「使う」には、恵みが落ちている畑へと実際に行き、その中に飛び込み、落ち穂拾いをしなければならない。
ルツは思い切って刈り入れをしている一つの畑に飛び込んだが、「そこはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった。」(2:3)ルツは、それとは知らずに飛び込んだのだが、単なる偶然ではない。
ルツがこの畑に飛び込んだのも、ダビデがゴリアテに致命傷を負わせる石を放ったのも、一人の兵が悪王アハブに致命傷を負わせる矢を放ったのも、それら全ては、「何気なく」であったが、主は人や環境、状況の「何気なく」を支配して御心を行い、信仰を持って第一歩を踏み出す人に、恵みを与えて下さる。
しかし、思い切って畑に飛び込まない者、石を投げない者、弓矢を引かない者には、何も下さらない。
ルツがたまたま飛び込んだボアズの畑は、私達が頼りとした主・イエス様が支配される神の国のようであり、ボアズは、私達を買い取ってくださるイエス・キリストの雛型である。私達も、それまでの自分中心の生き方を捨て、イエス様を主とし、神様を中心とした新しい生き方へと飛び込むなら、「選ばれた種族、王族の祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」(1ペテロ2:9)へ加えられるのである。

この世の営みは、落ち穂を拾うようなものかもしれない。仕事も、家事も、恥を忍ぶ日々である。
しかし、イエス様を主として、「神の国」にいる限り、恵みは落穂のように、必ず落ちている。
いかに不利な条件が揃いすぎている状況であっても、信仰告白によって、天の王国のパーティーチケットを入手し、信仰によって畑に飛び込んでそのチケットを「使い」、そして、謙虚に恵みをいただく「落穂拾い」によって、主から豊かな恵みをいただき、地上においては家族をしっかり養い、天を故郷とする栄光の家系へと加えられる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
兄弟姉妹を愛しなさい(1ヨハネ3:16-24):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
系図が明かすキリストの真理(マタイ1:1-16):右クリックで保存

メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
メッセージ音声
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2020/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

検索
Copyright ©Yokohama Voice of Christ Church 横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園?-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2022 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest