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平安の問題 - エレミヤ書の9つのGolden Key 3/9(エレミヤ14:13)
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この週末の時代を読み解く上で非常に重要なエレミヤ書の9つの鍵の、第3番目は、「平安(シャローム)」の問題である。

現代、ユダヤ人はこのシャロームが挨拶言葉となっているが、元々はそうではなかった。
彼らが国を失って、いつ死ぬかも分からない毎日であった。それで、朝ごとに「あなたは大丈夫(シャローム)ですか?」と言うのが挨拶言葉になった。
元々はルツ記2:4で、ボアズが人々に「主があなたがたとともにおられますように。」と言って、人々は「主があなたを祝福されますように。」と答えたが、それが本来の挨拶だった。
しかし、ユダヤ人はあまりに切迫した状況を生きていたため、シャッレーシャローム、それがさらに短縮し、シャロームだけになった。

エレミヤ14:13 わたしは言った、「ああ、主なる神よ、預言者たちはこの民に向かい、『あなたがたは、つるぎを見ることはない。ききんもこない。わたしはこの所に確かな平安をあなたがたに与える』と言っています」。

エレミヤは主に切実に求めている。他の預言者達は、シャロームを宣言しています、と。
しかし主は、あいにく彼らは偽預言者だ、シャロームでないのに、シャロームだと宣言している、と、断罪する。

カン・シンゴン博士は言う。旧約聖書を一言で表すなら平安(シャローム)、新約聖書を一言で表すなら「恵み」だと。
ユダヤ人は誰もが求め、偽預言者が乱発している「平安」、これはいかにして与えられるのか。
それは、油そそがれた者、メシヤによってである。

イザヤ61:1 主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
61:2 主の恵みの年と/われわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、
61:3 シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる。

これがイエス様の働きである。イエス様が来られる時、主の恵みの年が成就する。
イエス様は自分の故郷、ナザレの会堂で、これを宣言された。

ルカ4:16 それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
4:17 すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
4:18 「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
4:19 主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
4:20 イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
4:21 そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
4:22 すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。

ここを、ハイネケンイシューという。ハイネケン(εινεκεν)とは「**のために」という意味で、ビール会社がそのギリシア語を社名に用いた。
しかしこのルカ4章には、イエス様が「何のために(ハイネケン)」来られたのか、その理由が一つ一つ記されている。

1,貧しい者に福音を伝えるために。
2,わたしに油をそそぎ。
3,<新改訳では欠如、原典にはあり>心の虐待された者を癒やすため。
4,捕虜に自由を。
5,目が見えない人に見える事を。
6,抑圧された者を自由に。

これらの働きは、私達キリスト者の働きでもある。
キリスト者もまた聖霊の油注ぎを受け、この地上にイエスキリストの働きをするように召し出されたゆえ、貧しい者に福音を伝え、心の虐待された者を癒やすために、罪とサタンによってがんじがらめにされてしまった人々を自由にするために、また、真理が見えず、イエス様が見えない霊的盲目な人々の目を癒すために、そして、抑圧された人を自由にするために、召し出されている。
これによって、恵みの年が告知されていくのだ。

イエス・キリストの十字架と復活を抜きにして、真の平安は無い。イエス様は復活の日、弟子達に平安を宣言し、聖霊を受けるようにと息を吹きかけられた。
そして私達は、世界へ宣教に出かけることが出来るのだ。
これは全て、恵みによる。

聖書最後の言葉は、次の言葉である。
黙示録22:21 主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。(アーメン)

これが、聖書全体の結論である。
まず、イエス・キリストの恵みがありきで、それによって、父なる神の平安が与えられる土台が整えられる。
イエス様はまことの門であり、この御方を通ってでなければ、誰も父なる神には至らないからである。

イスラエルのシャローム(平安)の問題、それはただ、メシヤであられるイエス・キリストを通してのみ、成就するのだ。

主から重んじられる人と、軽んじられる人(1サムエル記2:17-18)
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 先週、コーエン日本ラーニングセンターの第一サムエル記の講義を行った。前回主日にも学んだ通り、私達キリスト者は預言者として、祭司として、王として神と人々との間の「仲立ち(בֵּין ベイン)」の務めをするために主から任命を受けた者であり、主と主の言葉を重んじ(כָּבַדカバド)、忠実にその務めを果たして行くなら、主からさらに尊ばれ(カバド)、ついには、サムエルのように時代を変える者として大いに用いられる。
しかし、もし主を軽んじるなら、主から軽んじられ、主から警告を受けてもなお主に帰らずに、主から与えられた地位を、ただ自分のために乱用して止めないなら、主はその者を捨ててしまう(マアスמָאַס)。
サムエル記の登場人物達は、そのように明暗がくっきりと分かれて行くが、今回も2章から、主を軽んじ続けた故に務めが剥奪されてしまった大祭司エリの一族と、そして、生まれる前から主に捧げられ、主に見出され、時代を変えるために大いに用いられていくサムエルとの交錯から、私達が進むべき道を見出したい。

サムエルの名の意味はシェマー(聞く)+エロヒーム(神)、彼の母ハンナが、御前で長く祈った祈りに「主は聞いて下さった」という事で付けた名前であり、同時に、神の声を「聞いて」その通り行う者は祝福される事も象徴する。彼は幼い時から主に仕え(2:11,3:1)エリの用事を言いつける言葉にもよく聞いて行動した。
対し、エリの子・ホフニとピネハスは「ベリヤアル(悪魔)の子」で、主を恐れず(12節)、主に聞かない者達だった。ホフニの名は「拳で生きていく人」、ピネハスは「蛇の舌」の意味で、彼らは祭司でありながら、名の通りに「力づく」と「二枚舌」によって生きていく者達で、彼らの罪は主の前に非常に大きかった(2:12-17)。
彼らは、神殿で仕える女達に手を出す程の罪も犯したのに、父は言葉で注意しただけで何もしなかった。
私達は神をカバド(尊重)しなくてはならないのに、エリは息子達のほうをカバドした。それ故、エリの家は最終的に滅ぼされてしまう。重んじてはならない息子達のほうを重んじ、神のほうを軽んじたからだ。
それで主は幼子サムエルに現れ、言われる。『わたしはエリに、彼が知っている悪事のゆえに、その家を永久に罰することを告げる。その子らが神を汚している(מְקַֽלְלִ֤ים メッカーレリーム)のに、彼がそれをとめなかったからである。』(3:13) メッカーレリームとは「カラル(軽んじる)」に、場所を表す前置詞メム(מ)と、複数形のユッド・メム(ים)が語尾についた言葉で、すなわち「神を軽んじる」事が、言葉でも態度でも常態化し、どの場所でも、何度でも習慣化してしまった状態だ。それはまさに、自ら呪いを引き寄せている状態である。
なぜこうなってしまうのか。それは、本人自身が習慣的・日常的にインプット/アウトプットしている事に拠る。

私達の肉は、霊的な喜びよりも、楽しい事・面白い事・興奮する事を求める。ゲームやギャンブル、酒など。
それらは努力無しに簡単に出来、ラクである。その間、現実から離れ、自分のみじめな有様を瞬間的に忘れる事が出来(箴言31:7)、また、酔いしれている感覚が忘れられないので、その瞬間を買うために自分を売り、家族を売り、破滅への一歩一歩をクリアしつつ暴走し、歯止めが効かなくなる。エリ一族はそうだった。
だから、罪が自分の中に場所取りしないよう、そしてそれが習慣化・常態化しないよう気をつけるべきだが、もし既に破滅への道が習慣化されてしまっているなら、そこから逃れる術もまた、習慣化によってである。
サムエルはなぜ、堕落した祭司達の家という、霊的劣悪な環境の中で健全に育ったか。それは彼は「主の前に仕えていた」からだ(2:11,18,3:1)。そして、母の愛情がひと織りひと織り籠もったエポデ(主の御前に仕える祭司の服)をいつも身にまとっていた。私達に歯止めが効かなくなった、習慣化されてしまった罪がある時、サムエルのように主に仕えるエポデを心に思いに身に纏い、そして聖なる交わりの中に身を置き、聖徒達の愛とを「身に纏う」事である。そして御言葉を昼も夜も口ずさみ、テフィリンを習慣化する事である。
罪が自分の中に場所取りする前に、聖なる場所に自分の身を置き、そして自分の中には聖なる御言葉をいっぱいに住まわせる。そうするなら、御言葉が私達の中で陣営を張り、罪が入ってくる事を防ぐのだ。
ユダヤ人の母は、子供が胎に宿った時から、御言葉を口ずさむ事で子供を霊的に守り、赤ちゃんが生まれ出た後も、ハトラーという御言葉の包の中に入れて、世から、サタンから守る。私達も同様に、御言葉で陣営を組んで自分を、子供を、自分の集団を、罪の習慣に染めてしまう世とサタンから守るのだ。御言葉を宣言する事で自分や子を、また仕事場を、御言葉へと浸し込み、世とサタンに勝利する者となり、世を健全な神の言葉へますます浸し込んで行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

主を尊ぶ者は尊ばれ、軽んじる者は軽んじられる(1サムエル記2:30)
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週報/メッセージ(説教)概要

 いよいよ今週、コーエン日本ラーニングセンターの第一サムエル記の講義が東京にて行われ、天声の働き人はその奉仕と学びに行く。サムエル記を学ぶ上で知っておくべき重要なキーワードが3つある。それらは、キリスト者が正しく人生を送って行く上でも重要な事柄である。今回、その3つのキーワードを学びたい。

1つ目のキーワードは「間(בֵּין:ベイン)に立つ」という言葉である。サムエル記には祭司、預言者、そして王が登場し、それぞれ活躍するが、彼らは皆、神と人の「間に立つ」ために神から任命された者達である。
預言者は神の言葉を人に届け、祭司は人々に代わって神に執り成し、王は神に代わって正当な統治を地上で行うという「役割」があり、それは、私達キリスト者の役割でもある。キリスト者は皆、王族の祭司とされ、闇から光へと招いて下さった方を伝える役割が与えられている事が書いてあるからだ。(1ペテロ2:9)
しかし、王や祭司、預言者という特権的な「地位」だけを求め、「役割」をないがしろにするなら、その者は神から地位を剥奪されてしまう事例もまたサムエル記に記されている。大祭司エリの息子・ホフニとピネハスは、祭司の務めをないがしろにし、その特権を乱用して神への捧げものを人々から横取りし、神に仕える女性に手を出して神を軽んじた。その結果、この一族は祭司職という地位を剥奪されてしまった。(2-4章)
また、サウル王は、イスラエルで最初の王として神から任命されたのに、神の代理として正当な支配をせず、神の言葉を退けたため、神は彼を王座から退けた。それでもまだ王座の「地位」に固執し、新たに王として任職されたダビデを殺そうと何年も追い回した結果、非常に悲惨な最後を遂げてしまった。(15-31章)
世の人は「地位」を求めるが、私達は神と人との間(ベイン)に立つ「役割」を忠実に果たすべきである。そのような人にこそ神はさらに「地位」与える。もし地位に固執し特権を乱用するなら、取り上げられてしまう。

二つ目のキーワードは「כָּבַד:カバド」である。「カバド」は良い意味で用いられる場合は「栄光を捧げる、あがめる、尊ぶ」だが、悪い用いられ方では、「頑な・強情になる、(罪や災いが)重くなる」の意味となる。
祭司エリは自分の息子達を重んじ(カバド)、主を軽んじた為、主から言われる。「わたしはわたしを尊ぶ者を尊び(カバド)、蔑む者は軽んじる(קָלַל:カラル)」(2:30)。これは、サムエル記の重要キーワードである。
エリは後に、神の箱が敵に奪われた事を聞いた時、倒れ、首を折って死んだ。体が重かった(カバァド)からだ(4:18)。その時、彼の嫁は「栄光は去った」と言って、生まれた子にイ・カボテ(栄光なし)と名付けた。
しかし神をカバドする事には大きな報いがある。『あなたの財産と、全ての産物の初なりをもって主をあがめよ(カバド)。そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、あなたの酒槽は新しい酒であふれる。』(箴言3:10)
また、もし主の聖日に自分の楽しむ事をせず、この日を尊び(カバド)、口を慎むなら、その人は主の喜びに溢れ、良い地を受け継がせ、高い地位を乗り通らせて下さる事が約束されている。(イザヤ58:13-14)
結局、神をカバドせず、神を軽んじて、自分の欲望にカバドを置くなら、神から捨てられ(マアス)てしまう。

三つ目のキーワードは、その「捨てる(מָאַס:マアス)」である。イスラエルの王政は人々が神を退けて(マアス)、人間の王を欲しがった所から始まった(8:7)。神はそれ故、王の圧制のために苦しんだとしても助けない事を、予め警告したが(11-18)、それでも民は聞かなかった。それで彼らは、後に苦しむ事になる。
王となったサウルは、神から託された王権を正しく行使せず、神の命令を二度もマアスした(退けた)ので、ついに神から言わる。「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てた(マアス)ので、主もまたあなたを捨て(マアス)て、王の位から退けられた。」(15:23) 御言葉に聞き従う事こそ、神に喜ばれる最良のいけにえなのだ。

結局、御言葉を捨てる人は、神から捨てられ、御言葉を重んじる(カバド)人は、神からカバドされる。
神に召された私達は、神と人との間(ベイン)に立ち、神から与えられた賜物に従って、その与えられた役割を忠実に行使して行くなら、神からさらにカバドされ、さらに多くの賜物が与えられ、地位が高くなり、さらに神の国の働き人として重要な事に用いられていく。神に召されて栄光の務めができる事を喜び、有益な者として神にますます用いられていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって、祝福します!

自分の悪を認めて命を得、兄弟の罪を負って栄誉を得るユダ(創世記38:20-26)
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創世記38:20 やがてユダはその女からしるしを取りもどそうと、その友アドラムびとに託してやぎの子を送ったけれども、その女を見いだせなかった。
38:21 そこで彼はその所の人々に尋ねて言った、「エナイムで道のかたわらにいた遊女はどこにいますか」。彼らは言った、「ここには遊女はいません」。
38:22 彼はユダのもとに帰って言った、「わたしは彼女を見いだせませんでした。またその所の人々は、『ここには遊女はいない』と言いました」。
38:23 そこでユダは言った、「女に持たせておこう。わたしたちは恥をかくといけないから。とにかく、わたしはこのやぎの子を送ったが、あなたは彼女を見いだせなかったのだ」。
38:24 ところが三月ほどたって、ひとりの人がユダに言った、「あなたの嫁タマルは姦淫しました。そのうえ、彼女は姦淫によってみごもりました」。ユダは言った、「彼女を引き出して焼いてしまえ」。
38:25 彼女は引き出された時、そのしゅうとに人をつかわして言った、「わたしはこれをもっている人によって、みごもりました」。彼女はまた言った、「どうか、この印と、紐と、つえとはだれのものか、見定めてください」。
38:26 ユダはこれを見定めて言った、「彼女はわたしよりも正しい。わたしが彼女をわが子シラに与えなかったためである」。彼は再び彼女を知らなかった。

ダニエル9:8 主よ、恥はわれわれのもの、われわれの王たち、君たちおよび先祖たちのものです。これはわれわれがあなたにむかって罪を犯したからです。
9:9 あわれみと、ゆるしはわれわれの神、主のものです。これはわれわれが彼にそむいたからです。

1ヨハネ1:8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
1:10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。

創世記44:18 この時ユダは彼に近づいて言った、「ああ、わが主よ、どうぞわが主の耳にひとこと言わせてください。しもべをおこらないでください。あなたはパロのようなかたです。
・・・
44:33 どうか、しもべをこの子供の代りに、わが主の奴隷としてとどまらせ、この子供を兄弟たちと一緒に上り行かせてください、

49:10 つえはユダを離れず、/立法者のつえはその足の間を離れることなく、/シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。

自分の大切なものを残忍なものに渡してしまう所だったユダ(創世記38:12-19)
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創世記38:12 日がたってシュアの娘ユダの妻は死んだ。その後、ユダは喪を終ってその友アドラムびとヒラと共にテムナに上り、自分の羊の毛を切る者のところへ行った。
38:13 時に、ひとりの人がタマルに告げて、「あなたのしゅうとが羊の毛を切るためにテムナに上って来る」と言ったので、
38:14 彼女は寡婦の衣服を脱ぎすて、被衣で身をおおい隠して、テムナへ行く道のかたわらにあるエナイムの入口にすわっていた。彼女はシラが成人したのに、自分がその妻にされないのを知ったからである。
38:15 ユダは彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたため、遊女だと思い、
38:16 道のかたわらで彼女に向かって言った、「さあ、あなたの所にはいらせておくれ」。彼はこの女がわが子の妻であることを知らなかったからである。彼女は言った、「わたしの所にはいるため、何をくださいますか」。
38:17 ユダは言った、「群れのうちのやぎの子をあなたにあげよう」。彼女は言った、「それをくださるまで、しるしをわたしにくださいますか」。
38:18 ユダは言った、「どんなしるしをあげようか」。彼女は言った、「あなたの印と紐と、あなたの手にあるつえとを」。彼はこれらを与えて彼女の所にはいった。彼女はユダによってみごもった。
38:19 彼女は起きて去り、被衣を脱いで寡婦の衣服を着た。

箴言5:3 遊女のくちびるは蜜をしたたらせ、その言葉は油よりもなめらかである。
5:4 しかしついには、彼女はにがよもぎのように苦く、もろ刃のつるぎのように鋭くなる。
5:5 その足は死に下り、その歩みは陰府の道におもむく。
5:6 彼女はいのちの道に心をとめず、その道は人を迷わすが、彼女はそれを知らない。
5:7 子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの口の言葉から、離れ去ってはならない。
5:8 あなたの道を彼女から遠く離し、その家の門に近づいてはならない。
5:9 おそらくはあなたの誉を他人にわたし、あなたの年を無慈悲な者にわたすに至る。
5:10 おそらくは他人があなたの資産によって満たされ、あなたの労苦は他人の家に行く。
5:11 そしてあなたの終りが来て、あなたの身と、からだが滅びるとき、泣き悲しんで、
5:12 言うであろう、「わたしは教訓をいとい、心に戒めを軽んじ、
5:13 教師の声に聞き従わず、わたしを教える者に耳を傾けず、
5:14 集まりの中、会衆のうちにあって、わたしは、破滅に陥りかけた」と。
 

死んで夫に慰めをもたらす妻と、生きて夫に益をもたらす妻(創世記38:1-12)
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ダビデ、イエス・キリストへと続くユダの家系。
その父祖ユダは、神を敬う家族を離れ、一人、神の国の価値観から程遠いカナンへ下って行き、そこで家庭を築き上げて行こうとした。
しかしそこで得た妻も子供も、全滅してしまう。

38:1 そのころユダは兄弟たちを離れて下り、アドラムびとで、名をヒラという者の所へ行った。
38:2 ユダはその所で、名をシュアというカナンびとの娘を見て、これをめとり、その所にはいった。
38:3 彼女はみごもって男の子を産んだので、ユダは名をエルと名づけた。
38:4 彼女は再びみごもって男の子を産み、名をオナンと名づけた。
38:5 また重ねて、男の子を産み、名をシラと名づけた。彼女はこの男の子を産んだとき、クジブにおった。
38:6 ユダは長子エルのために、名をタマルという妻を迎えた。
38:7 しかしユダの長子エルは主の前に悪い者であったので、主は彼を殺された。
38:8 そこでユダはオナンに言った、「兄の妻の所にはいって、彼女をめとり、兄に子供を得させなさい」。
38:9 しかしオナンはその子が自分のものとならないのを知っていたので、兄の妻の所にはいった時、兄に子を得させないために地に洩らした。
38:10 彼のした事は主の前に悪かったので、主は彼をも殺された。
38:11 そこでユダはその子の妻タマルに言った、「わたしの子シラが成人するまで、寡婦のままで、あなたの父の家にいなさい」。彼は、シラもまた兄弟たちのように死ぬかもしれないと、思ったからである。それでタマルは行って父の家におった。

38:12 日がたってシュアの娘ユダの妻は死んだ。その後、ユダは喪を終って(ナハーム:慰められて)その友アドラムびとヒラと共にテムナに上り、自分の羊の毛を切る者のところへ行った。
ユダは、この妻が死んで、慰められた、と訳せる。
NKJV: 38:12 Now in the process of time the daughter of Shua, Judah's wife, died; and Judah was comforted

箴言19:13 愚かな子はその父の災である、妻の争うのは、雨漏りの絶えないのとひとしい。
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。
19:15 怠りは人を熟睡させる、なまけ者は飢える。
19:16 戒めを守る者は自分の魂を守る、み言葉を軽んじる者は死ぬ。

箴言11:8 正しい者は、悩みから救われ、悪しき者は代ってそれに陥る。
11:9 不信心な者はその口をもって隣り人を滅ぼす、正しい者は知識によって救われる。
11:10 正しい者が、しあわせになれば、その町は喜び、悪しき者が滅びると、喜びの声がおこる。
11:11 町は正しい者の祝福によって、高くあげられ、悪しき者の口によって、滅ぼされる。

ユダの妻は、死んだ事によって、夫であるユダは慰めを得た。
私達は、そのようになってはならない。

箴言31:24 彼女は亜麻布の着物をつくって、それを売り、帯をつくって商人に渡す。
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。
31:26 彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。
31:27 彼女は家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない。
31:28 その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、
31:29 「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども、あなたはそのすべてにまさっている」と。
31:30 あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。
31:31 その手の働きの実を彼女に与え、その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ。

私達は、真の夫であるキリストに、有益をもたらす者であるべきだ。

新しく歩んで行こうとする聖徒を惑わすもの(コロサイ2:11-23)
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コロサイ2:11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。
2:12 あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。
2:13 あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。
2:14 神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。
2:15 そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。

ガラテヤ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
5:24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。

コロサイ2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。
2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。
2:18 あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、
2:19 キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。

1コリント12:4 霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。
12:5 務は種々あるが、主は同じである。
12:6 働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。
12:7 各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。

コロサイ2:20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、
2:21 「さわるな、味わうな、触れるな」などという規定に縛られているのか。
2:22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間の規定や教によっているものである。
2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。

人の心をご覧になられる神(ヨブ記35章)
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エリフはさらにヨブに指摘する。

35:1 エリフはまた答えて言った、
35:2 「あなたはこれを正しいと思うのか、/あなたは『神の前に自分は正しい』と言うのか。

『神の前に』は、ヘブライ語では「メ・エル」、エルは神で、メは「**から、**以上」の意味があり、KJVでは「Thinkest thou this to be right, that thou saidst, My righteousness is more than God's?」と訳している。
つまりエリフは、ヨブ、あなたの義は神から来たもの、あるいは、神以上だとでも思っているのか、といった訳され方がされている。

35:3 あなたは言う、『これはわたしになんの益があるか、/罪を犯したのとくらべて/なんのまさるところがあるか』と。
35:4 わたしはあなたおよび、/あなたと共にいるあなたの友人たちに答えよう。

今回エリフは、ヨブのみならず、友人たちにもその間違いを指摘する。
友人たちも神に対する貧しい神観を持っていたからだ。

35:5 天を仰ぎ見よ、/あなたの上なる高き空を望み見よ。
35:6 あなたが罪を犯しても、/彼になんのさしさわりがあるか。あなたのとがが多くても、彼に何をなし得ようか。
35:7 またあなたは正しくても、彼に何を与え得ようか。彼はあなたの手から何を受けられるであろうか。
35:8 あなたの悪はただあなたのような人にかかわり、/あなたの義はただ人の子にかかわるのみだ。

エリフはまず、神が人よりもはるかに高い方であることを強調し、その神を前に、人がいかに正しさを主張しても、どんなに無意味か、また、人が自分の義を主張しても、いかにむなしいかを語る。
どんなに人が正しくても、それが神に何か益をもたらすものではないし、人がどんなに悪をした所で、神に何か損失が与えられるものではない。
ただ神は、人の、ご自身に向かう「心」こそ目を留められるのだ、という事を、エリフは続く節で指摘する。

35:9 しえたげの多いために叫び、/力ある者の腕のゆえに呼ばわる人々がある。
35:10 しかし、ひとりとして言う者はない、/『わが造り主なる神はどこにおられるか、/彼は夜の間に歌を与え、
35:11 地の獣よりも多く、われわれを教え、/空の鳥よりも、われわれを賢くされる方である』と。
35:12 彼らが叫んでも答えられないのは、/悪しき者の高ぶりによる。
35:13 まことに神はむなしい叫びを聞かれない。また全能者はこれを顧みられない。

人が神に叫び求めても、神が何も答えず聞かれない。
ヨブはそれをもって「神が不当だ」と叫び、友人たちは、神は高い所に座すお方だからいちいち人の言う事を聞く必要が無い、というレベルに留めてしまっているが、エリフはさらに進んだ説明をしている。

もし人が神に叫び求めても聞かれないするなら、それは、神の耳が遠いからではなく、また無情なマシンのような神だからでもなく、その人の叫びが、低俗な欲望に由来するものであったり、あるいは「高ぶり」に由来する「むなしい叫び」だからだ。
ヤコブも指摘する。

ヤコブ4:2 あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。あなたがたは、求めないから得られないのだ。
4:3 求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。

神に「自分の願う事をして欲しい」「自分に嫌な目を見させないで欲しい」という自分主体の願いも、自分を神以上のものとする高慢なつぶやきも、「むなしい叫び」である。
それは、神にいくら叫んでも聞かれない。

神はむしろ、神を敬う人にこそ目を留められる。
ダビデはそれをよく知っていた。

1歴代誌29:14 しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。

これは、ダビデが神のために神殿を建てたいと願った時、ダビデ自身そのために多くの捧げ物をし、また、人々にも勧めた所、おびただしい量の捧げ物が集まった時に、主をほめたたえて言った言葉である。

人が神に何か為し得ると思うのは、傲慢だ、とエリフは指摘したが、ダビデは、神は人の造った建物に住まわれるお方ではない事を良く知っていたし、そして、このようなおびただしい捧げ物を捧げられたのは、神様、あなたのお陰です、と感謝した。
神は、人の心をご覧になられるお方である事をダビデはよく知っていたのだ。

1歴代誌29:16 われわれの神、主よ、あなたの聖なる名のために、あなたに家を建てようとしてわれわれが備えたこの多くの物は皆あなたの手から出たもの、また皆あなたのものです。
29:17 わが神よ、あなたは心をためし、また正直を喜ばれることを、わたしは知っています。わたしは正しい心で、このすべての物を喜んでささげました。今わたしはまた、ここにおるあなたの民が喜んで、みずから進んであなたにささげ物をするのを見ました。
29:18 われわれの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたの民の心にこの意志と精神とをいつまでも保たせ、その心をあなたに向けさせてください。

ダビデが告白している通り、主は心をためされるお方であり、そしてシンプルな、正直な心を喜んで下さる。
ダビデ王の感謝の祈りの中心は、全てのものは「あなたのものです」という点であり、その根底には、神は、神を愛する人の心をこそ喜ばれるお方である、という大前提がある。

世のいわゆる「神々」は、人間が捧げる「モノ」を喜ぶかもしれない。
10円よりも100000円のほうを喜ぶかもしれない。
しかし主は、元々富んでおられるお方であり、人が神に捧げる10円も、10万円も、その与える・与えないを司っておられるお方である。
だから主は、むしろ、人の心をこそ計られるのだ。

エリフは続けて言う。

35:14 あなたが彼を見ないと言う時はなおさらだ。さばきは神の前にある。あなたは彼を待つべきである。
35:15 今彼が怒りをもって罰せず、/罪とがを深く心にとめられないゆえに

エリフは、ヨブが「神のほうが間違っている」「自分のほうに分がある」という高慢な心でもって神に向かって叫んでいる限り、神は聞きはしないし、むしろ怒りをもって答えかねない事だ、と指摘する。

35:16 ヨブは口を開いてむなしい事を述べ、/無知の言葉をしげくする」。

この16節のエリフの言葉は、そのまま神ご自身がヨブに対して評価した言葉だ。(38:2)
結局、神を敬う事なしに、神にあれをしろこれをしろ、という叫びは、虚しいものなのだ。
イエス様も言っている。

ヨハネ6:26 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。
6:27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。
6:28 そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
6:29 イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。

群衆は、イエス様がパンを増やして満腹させてくださったから、このお方を王に立てればパンに事欠くことはない、と踏んで、イエス様をむりやりに王にしようとしたのだが、、イエス様はそこから退かれた。(15節)
彼らは、イエス様との人格的な交わりを持つためではなく、また神が認証されたメシヤとして救いを求めるためでもなく、ただ、肉欲を満足させてくださるお方だと思ったから来たのだ。
それで彼らがイエス様を訪ねて探して来た時、イエス様は「あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。」と指摘したのだ。

神は、人の好き勝手な欲望に、答えるお方ではない。
神はむしろ、人格的な交わりをこそ、人に求めておられる。
イエス様は彼らに答えられた。
「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」と。

結局、人に出来る最高の事は、イエス・キリストを知る事。
すなわち、神から遣わされた神の御子であり、私達のために十字架にかかられ、死なれ、よみがえられ、そして天においても地においても一切の権威が与えられたイエス様を主として受け入れ、彼との関わりを持ち、彼と共に歩んでいく事だ。

キリストのいのちの特権にあって歩む道(コロサイ2:6-15)
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週報/メッセージ(説教)概要

 先週、4名の兄弟姉妹が洗礼を受け、新たに神に繋がって生きる決心をした。神に正しい良心を願い求めて洗礼を受ける時、聖霊という全く新しいセンサーが与えられ、そのナビゲーションに従って行くなら、どんどんきよくなり、聖化が進み、いのちが増し加わり、永遠のいのちへ至って行く事を、先週学んだ。
イエス様がバプテスマを受けた時、天が開け、聖霊が鳩のように降り、「これは私の愛する子。わたしはこれを喜ぶ」と、天の父からの御声があった。私達もバプテスマを受けると、イエス様が先駆けて体験されたように、天が私達に向かって開け、賜物として聖霊を受け、神に愛される子となる特権にあずかるのである。

『このように、あなた方は主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい。また彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて溢れるばかり感謝しなさい。』(6-7節) 
主にあって生きる時、彼に在るあらゆる良い性質や、いのちに属する事、すなわち、健康や美しさ、力強さが、ますます自身の中に体現化されて行く。キリストの内にこそ神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っているからであり、信じる者は、全ての支配と権威のかしらであるキリストに満ち満ちているからだ(9-10節)。
実際、先週洗礼を受けた聖徒から、早速、喜びの報告を頂いた。ガンかもしれない、と医者から言われていたので、MRI検査をしたのだが、結果を見た医者があまりに怪訝に首を傾げていたので、心配して聞いてみた所、あったはずの兆候が、全然無くなっていた、という事だった。待ち時間の間、洗礼時にもらった十字架を握りしめて「(ガンは)ない、ない」と何度も宣言したら、その通りになり、同席していた未信者の方も「神様のお陰だね」と言っていたという。まさに主の栄光である。
そればかりでなく、この1週間で、友人からもらったお守りの腕輪が勝手に壊れたり、以前会った人を意識では忘れていても霊では覚えていたり、また、料理をつくる思いが与えられ、それに従った所、とても喜ばれたり。まさに、新しいナビゲーションが与えられ、新しいいのちが息吹かれた事を早速、体験したのだ。
このように、主キリストにあって歩もうと意識する時、いのちに属する、あらゆる良き特権に与かれるのだ。

『キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。』(11-12節)
バプテスマによってキリストと共に死んだ、と書いてある。別にバプテスマを受けた瞬間に心臓が停止して死んだ訳ではなく、肉体は継続して生きている。一体何が死んだのか。次のように書いてある。
『キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである・・・このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。』(ロマ6:3,11)  ここにある通り、「罪に対して死んだ」のだ。
ただ先週学んだ通り、洗礼は「肉体の汚れ」を除くものではない。罪へ傾く「くせ」も、犯してきた罪々の記憶も、相変わらず脳に残ったままだ。そこで、私達の側の意思決定と、努力しなくてはならない領域がある。
『だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。』(ロマ6:12-14)
「もはや罪に支配される事はない」事を、体現したいだろうか?それなら書いてある通り、それまで「罪」の方向に自分を捧げていた方向性を、神へとささげる方向へと転換し、行動して行くのだ。その期間、その人は聖霊の支配下に入り、もはや罪の支配から抜け出した状態にある。その状態を、継続して行くのだ。

もし私達がキリストに従って歩み、キリストの死と復活の中に入っているなら、彼に在るあらゆる良い性質やいのちに属する事、すなわち、健康や美しさ、力強さが、ますます体現化されて行く。その時、もはや世の支配も権威も、強制力も、全て武装解除され、さらしものとされている。なぜならその時、キリストの内にあり、私達を不利に責め立てている一切の債務証書は、十字架上に釘付けにされているからだ。(14-15節)
キリストにある私達の特権は、どんなに素晴らしいものだろう。これをますます実際に体現して行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって、祝福します!

「災い」を積み立て貯金する方法 - 「わたしは悪くない」と主張する事(ヨブ記34:16-37)
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______________
エリフは、神は完全で過ち無く統治されるお方である事を示した。
以下続く節で、ヨブの、「私は正しい、神が不当だ」と言った事の過ちを示して行く。

34:16 もし、あなたに悟りがあるならば、これを聞け、/わたしの言うところに耳を傾けよ。
34:17 公義を憎む者は世を治めることができようか。正しく力ある者を、あなたは非難するであろうか。

ヨブは神を不当だと非難するが、万一にも神が「公義を憎む者」であったとするなら、とうの昔に宇宙も銀河系も太陽系も崩れていたはずであり、今もなお宇宙が秩序を保っているからには、神は公義を行う方であるからに他ならないと先に言った。

34:18 王たる者に向かって『よこしまな者』と言い、/つかさたる者に向かって、『悪しき者』と/言うことができるであろうか。
34:19 神は君たる者をもかたより見られることなく、/富める者を貧しき者にまさって/顧みられることはない。彼らは皆み手のわざだからである。

神はいつも、見ておられる。
王や、つかさたる者に、人は陰口は叩くことはできたとしても、その王やつかさに面と向かって「よこしまな者」「悪しき者」と言う事は、めったには出来ない。
それならなおさら、常に私達を御目で見て、御聞いて、知っておられ神に向かって悪口を言うとするなら、それは、よほど身の程をわきまえない事だ。
ヨブはそのような事をしたのだ。

34:20 彼らはまたたく間に死に、/民は夜の間に振われて、消えうせ、/力ある者も人手によらずに除かれる。
34:21 神の目が人の道の上にあって、/そのすべての歩みを見られるからだ。
34:22 悪を行う者には身を隠すべき暗やみもなく、/暗黒もない。
34:23 人がさばきのために神の前に出るとき、/神は人のために時を定めておかれない。
34:24 彼は力ある者をも調べることなく打ち滅ぼし、/他の人々を立てて、これに替えられる。

神は、人の営みを全て見ておられ、そして、人のそれぞれのいのちを計っておられる。
悪を行う者もまた、いかに闇の中に身を隠そうとも、また、心の中で密かに謀ろうとも、全て見ておられ、それぞれに応じたさばきを定められる。
警察はどこにでもいるわけではなく、全部を見聞きしているわけではないため、「取り調べ」という事をしなくてはならないが、神には全くその必要は無いのだ。

34:25 このように、神は彼らのわざを知り、/夜の間に彼らをくつがえされるので、/彼らはやがて滅びる。

悪を行う者のわざを、神は、何も「夜」という時間帯にしか覆さない、というわけではない。
夜は、人が寝る時間帯であり、また、闇夜は人が目で見えない時である。
そのような、人が計り知る事が出来ない思いがけない時に、神はそれを行う、という意味だろう。

34:28 こうして彼らは貧しき者の叫びを/彼のもとにいたらせ、/悩める者の叫びを彼に聞かせる。
34:29 彼が黙っておられるとき、/だれが非難することができようか。彼が顔を隠されるとき、/だれが彼を見ることができようか。一国の上にも、一人の上にも同様だ。
34:30 これは神を信じない者が世を治めることがなく、/民をわなにかける事のないようにするためである。

神は、人の営みを人類史が始まって以来ずっと秩序をもって保っておられる。
もし、上に立つ権力者が、絶対的な権力を奮って民草を虐げるなら、天災が起こったり、その者が不慮の死によって取り去られる。
そのような「前は必ず勝ち、悪は必ず滅びる」といった法則性を人はなんとなく知っているからこそ、神を知らない人でも、なんとなく、全ての人を超えた「天」という人格ある存在を意識している。
それは、神が、弱く貧しい人達がいつまでも虐げられ続ける事がないように、また人の悪が増大して人間みずから自滅してしまう事が無いように、神はいつも歴史に介入し、人類全滅の危機から、いつも人類を守ってきたのだ。
こんな邪悪さを備えた人間が、何千年も自滅せず生きながらえている。それこそ、憐れみ深い神が存在するという事の証明ではなかろうか。

そういうわけでエリフは、続く節で、自分が犯した罪を認め、神に告白するようヨブに促す。

34:31 だれが神に向かって言ったか、/『わたしは罪を犯さないのに、懲らしめられた。
34:32 わたしの見ないものをわたしに教えられたい。もしわたしが悪い事をしたなら、/重ねてこれをしない』と。

口語訳で34節は「わたしは罪を犯さないのに、懲らしめられた。」と訳されているが、しかし他の多数の訳(新改訳、新共同訳、NKJVなど)は、「わたしは罰を受けました。もう悪いことはいたしません。」というように訳される。(新共同訳)
つまりエリフは、こういう風に悔い改めの告白をしなさい、と勧めているのだ。

34:33 あなたが拒むゆえに、/彼はあなたの好むように報いをされるであろうか。あなたみずから選ぶがよい、わたしはしない。あなたの知るところを言いなさい。

エリフは促す。
あなたは、悔い改めの言葉を発するのか、それとも、相変わらず全能者を不当だと訴え続けるのか、どちらかあなたが選びなさい、それはわたしの分ではないですよ、と。

34:34 悟りある人々はわたしに言うだろう、/わたしに聞くところの知恵ある人は言うだろう、
ここは新共同訳では「理解ある人はわたしに言うだろう。知恵ある人はわたしに同意するだろう。」と訳されている。こちらのほうがわかりやすいだろう。

34:35 『ヨブの言うところは知識がなく、/その言葉は悟りがない』と。
34:36 どうかヨブが終りまで試みられるように、/彼は悪人のように答えるからである。
34:37 彼は自分の罪に、とがを加え、/われわれの中にあって手をうち、/神に逆らって、その言葉をしげくする」。

ヨブは自分が罪がないと頑として主張し、語気を強めて、主張に主張を重ね、3人の友人たちさえ黙らせたが、しかしエリフは指摘する。
そうやって、「自分は悪くない」と、主張すればする程、実は神の前に、自分の「悪人」である事を積み立てているのだ、と。

私達も同じである。
妻が悪い、夫が悪い、親が、育ってきた環境が、社会が悪い、自分は悪くない。
そう主張すればするほど、実は自分の品性を損ね、貶め、自分で自分をさらに癒やし難くしているのだ。
人類最初の夫婦が、まさにそうだったではないか。

エリフは7-8節で
34:7 だれかヨブのような人があろう。彼はあざけりを水のように飲み、
34:8 悪をなす者どもと交わり、悪人と共に歩む。
と言った。

ヨブとすれば、自分は、あざけりを水のように飲むなどとんでもない、悪をなす者どもと交わったり、悪人と共に歩んだ事などない、と主張する所であろう。
しかし、実は、ヨブが自分を正しいとすればする程、彼は、悪をなす者共の交わりへとどんどん入り込んで行っていたのだ。

彼が自分は悪くない、と主張すればするほど、悪人と共なる歩みを進んでおり、全能なるお方を「不当だ」と叫べば叫ぶ程、彼は、全能者へのあざけりを飲み干していた。
その点、エリフの指摘は、ただ因果応報を繰り返すだけの3人の友人たちより、はるかに進んでいると言える。

結局ヨブは、イエス様が話されたパリサイ人と取税人のたとえの中の、パリサイ人を演じていたのだ。(ルカ18:10-14)
主は言われた。
ルカ18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

結局、自分を高くし、自分を正しいとし、神を正しくない、とする者を、神は裁かれる。
神が義と認めて下さるのは、自分を罪ある者として悔い改め、自分を低くする者である。

ヤコブ4:6 しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
4:7 そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
4:9 苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。
4:10 主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。

ヨブは最後、自分を誤ちある者とし、低くへりくだって、灰の中に伏した。
神がヨブを高めて下さるのは、その後である。

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